以前の私のブログ記事
「デフォルト・モード・ネットワーク:DMN」
「デフォルト・モード・ネットワーク:DMN」
という本を読んで、
このことがスッキリと分かった。
以下に、茂木氏の本からの引用も含め、
整理してみる。
このことがスッキリと分かった。
以下に、茂木氏の本からの引用も含め、
整理してみる。
まず「幸せ」とはなにか?
自分自身を 受け入れ、
「いまここ」を楽しむこと。
それが「幸せ」である。
自分自身を受け入れるとは、
自分の持って生まれたものと、
「人生、何が起こるか分からない」という
過去と今と未来の 偶有性を
受け入れることである。
自分の容姿や素質・性格・
生まれ育った環境によって、
偶然 いまのような人生(状況)
になったけれど、
それは必然だったのだ と受け入れること。
そして これからも
その態度を続けていくことが、
幸せへの道である。
偶有性とは
「他の状態でもありえたのに、
たまたま今は この状態になっている」
ということ。
必然に変わった偶然が 偶有性であり、
それを 運命と呼ぶこともできる。
運命を切り開こうと努力しつつも、
起きてしまった結果は
運命として受け入れる。
その努力の過程を 楽しむ。
そして どんな結果も受け入れる。
それが「(本当の)幸せ」だ。
「偶有性」 という言葉は、
「受容」 のための重要なキーワードだ。
今のありのままの自分と運命を
受け入れるためには、
マインドフルであることが必要だ。
マインドフルであるとは、
成功や目標の達成という「結果(条件)」
を重視するのでなく、
その「過程:いま」 を 味わい、 楽しむこと。
目標は 過程を味わうための仮のものであり、
極言すればなんでもいいと言える。
過程を 「楽しむ」 ことが 主(目的)であり、
目標は 従であり そのための手段である、
という風に 逆に見てみたらどうだろう?
一般的には
成功に伴って、つまり 結果・条件によって
幸せがやって来ると思いがちであるが、
マインドフルであれば、つまり
過程を、ありのままの今を 楽しめれば、
成功しなくても、目標を達成できなくとも、
幸せになれる。
そして 実は、
それこそが 本当の幸せなのである。
ただし 最初から 「達成できなくてもいいや」
と思いながらやっても、 それはダメだろう。
「いつか」幸せになる、というのは 幻想だ。
幸せは「いまここ」にある。
「いまここ」が幸せでなければ、
「いま」を楽しむことができなければ、
幸せは「いつ」になっても やって来ない。
この「自分と世界を受け入れ、
『いま』を楽しむ マインドフルネスの状態」
とは どんな意識の在り方なのか?
それをイメージするために
デフォルト・モード・ネットワーク
についての理解が有用だと思われた。
マインドフルネス と
マインド・ワンダリング
マインドフルネスとは、
「いまここ」で起きていること
に注意を向け(サティ:気づき)
「いまここ」で自分が感じている
(リアルな快/不快の)感覚・
(善/悪・正/誤・優/劣などと
価値づけられた非リアルな)思考・
(貪/瞋という非リアルな快/不快の)感情
に引きずられずに(執着・一体化しないで)
冷静に観察している
(サマーディ: それはそれとして受け入れている)
心の状態。
「感覚の快/不快」 と
「感情の快/不快(すなわち貪/瞋)」 の違い
について、よく考えてみてほしい。
前者は リアルな身体にともなう
「(五蘊の)受」のことであるが、
後者は(心の中で創りあげられた)
非リアルな「行」に付随するものである。
不快な感覚は「苦」 であり、
不快な感情が「苦悩」である。
マインドフルであれば、
この 感覚と感情・苦と苦悩の違いに
気づいていられる。
マインドフルネスとは、
自分の心の状態に 意識的である
(覚醒している:気づいている)状態である。
無意識的だと、
勝手に(自動的に、どこからともなく)
湧いてきている 思考や感情に
すぐに反応して 振り回されてしまうが、
意識的であれば、
その思考や感情に反応しないで
ただ観ていることができる。
一方、無意識的(自動反応)状態の方を
マインド・ワンダリング(MW)と呼ぶ。
MWは マインドフルネスと反対の状態であり、
感覚と感情・苦と苦悩の違いに気づかない。
MW状態のとき、 (自動反応として)
繰り返し 同じことを考えたり、
過去の出来事を 思い出して後悔したり、
まだ起きていない 未来を心配したり
する時間が増えて
イライラや不安がつのり、
それが ストレスとなって蓄積する。
また、
その思考や感情に引きずられて反応し、
言葉を発したり 行動したりして、さらに
状況を悪化させてしまうことがある。
状況の悪化は、
悪循環的にストレスを蓄積させる。
ワインド・ワンダリングとは、心が
「いつかどこか」を彷徨うことであるが、
その彷徨さまよう心を
「いまここ」に引き戻すことが
サティ(気づき)であり、
その状態を維持することが
サマーディ(三昧:受容)である。
他者とのコミニュケーションにおいて、
相手の態度や発言内容に対して
マインドフルネスであれば、
それに対して
自分の心の中で湧きあがる思考や感情に
すぐに引きずられることがなくなり、
適切な対応ができるようになって、
人間関係が上手くいくようになるだろう。
日常生活において人間関係が改善されれば、
人生におけるストレスは激減し、
心の状態は安定する。
現代は 情報過多の時代である。
この情報を整理しないまま
無意識的に触れ続けていたら、
それに刺激されて
思考や感情が勝手に湧いてきて、
マインド・ワンダリング状態が
容易に引き起こされてしまう。
だから 現代は
ストレスが蓄積されやすい時代である。
マインドフルに情報に接していられれば
(情報を 客観視する、
情報を 一呼吸置いてから受けとる、
情報と自分の間に スペースを作る)
マインド・ワンダリングは起こらない。
マインドフルネスとは、(情報に対する)
反射的な自動反応を止める技術でもある。
以上のように、
わたしたちを「幸せ」へと導く、
きわめて重要な「心の技術」であるが、
同時に
意識がクリアになる(覚醒する)ことで
創造性が高まり、
クリエイティブな発想が
生まれやすくもなる。
このことを理解するためには、
脳科学における
デフォルト・モード・ネットワークという
概念が 理解の助けになると思われる。
については、
私のブログ記事を参照してもらいたい。
上記の記事では、
デフォルト・モード・ネットワーク
= マインドフルネスと考えていたが、
デフォルト・モード・ネットワーク
= マインド・ワンダリングという
考え方もあるようであり、
「いったい どっちなんだ?」という
フラストレーションが残ってしまった。
今回「茂木式マインドフルネス」を
読んでみて、 この辺のことがスッキリした。
タスクネガティブ と
タスクポジティブ
「茂木式マインドフルネス」p111〜112
『デフォルト・モード・ネットワーク
(DMN)は、
脳が何も考えていないときに活発に働き、
課題や外部からの刺激を
与えられたりすると 活動が低下します。
DMNが働くときは
脳がアイドリング状態になっているので、
タスクネガティブといい、
働かないときは その代わりに
課題や刺激に応じた
脳の他の領域が活性化されていて、
タスクポジティブと呼ばれます。
DMNと 非DMNでは、
使われる脳の領域が異なっている。
DMNは 何も考えていないとき、 つまり
ぼーっとしているときに働きますが、
そのとき脳は何をしているのかというと、
脳の中を整理したり、
自分自身を振り返ったりしています。
この状態を 放っておくと
(上手くコントロールできないと)
過去や未来に意識が向き、
思考がさまようという
マインド・ワンダリングが起きやすい
ことが、わかっています。
DMNが働いていて、
かつ マインドフルな状態にするには、
(DMNの状態を 上手くコントロールするには)
瞑想をするといいでしょう。
瞑想によって、
DMNの回路内の結合が
より強固なものになります。
瞑想のトレーニングを続けていると、
DMNが うまくコントロールされ、
マインド・ワンダリングに陥るような
過剰な活動が 抑えられます。
瞑想の結果、
マインド・ワンダリングが
抑えられることで、
ストレスが減少します。
さらに、一般的脳機能のなかでも
メタ認知や 統合作用が高まる
と言われています。
つまり 自分自身を客観的に見つめる能力
(メタ認知)や、
【広い範囲の】
経験を統合して そこに意味を見出す
【全体の中で個々の意味を再統合する】
といった能力(統合作用)が向上します。
そうなると コミニュケーション能力
【共感力:女性性】の向上や
クリエイティビティが 増す
と言われています』
以上の記述で、
マインドフルネスの状態も
マインド・ワンダリングの状態も、 ともに
デフォルト・モード・ネットワーク
が働いている状態であり、
DMNの活動が 過剰になると
マインド・ワンダリング、
DMNが うまくコントロールされていて
メタ認知や統合作用が発揮できているのが
マインドフルネスであることが分かった。
そして、DMNとは
課題や刺激(タスク)のない状況での
脳の在り方(タスク ネガティブ)であり、
タスクのある状況での在り方
(タスクポジティブ)とは異なっていると
指摘している。
集中:タスクポジティブ と 非集中:タスクネガティブ
スリニ・ピレイ著「究極の思考法」では、
タスクポジティブな脳の状態を
「集中モード」
タスクネガティブな脳の状態を
「非集中モード」と呼んでいる。
「集中」によって課題をこなすことで
人間は問題を解決し【男性性】
生存してきたのであり、
それが 生産性を高めて
未来を切り開く原動力となった。
しかし「集中モード」が続くと
脳は オーバーヒートして、
やがて 疲れ果てしまう。
この事態を回避するためには
「非集中モード」の存在が大切であり、
この両者のバランスを取り、
自由自在に使いこなすことが
「生きるコツ」であると言っている。
すなわち、
DMN:非集中
(デフォルト・モード・ネットワーク)と
非DMN(集中)の 両者が
ともに必要であり、
そのバランスが問題だということだ。
脳の使われ方が非DMNに偏り過ぎると、
脳の中を整理できなくなり、
自分自身を振り返ったりしなくなる。
では、非集中と集中のどちらが
より本来的な ベースとなる状態なのか?
集中は タスクポジティブモードであった。
課題に遭遇したときに活性化する
(同時に 交感神経系も活性化する)
「非常時」 の 脳の状態である。
とすれば、 課題フリーのベースの状態は、
非集中であるDMNの方であろう。
だから それを「デフォルト」と
呼んだのだと思う。
なのに わたしたちは、
課題がある状態の方を
デフォルトだと思っていないか?
仕事をしている、または
何かをしている(doing)状態が 普通で、
当たり前だと思っていないか?
それ故に、必要がないのに
無理に課題を創りだしていないか?
その
わざわざ創りだした課題に引きずられ、
疲れ果てていないか?
人間の脳にとっては、
課題がない状態の方がデフォルトなのだ。
このことを 忘れてはいけない。
純粋な「集中モード」は、
「五蘊の想」が 活発に働いている状態であり、
心の状態は 想レベルに留まっている。
だが 想の中に(善いとか悪いという)
価値判断が発生すると、
それは容易に「行」に結びつき、
バランスを崩してまで 過剰に追求したり
否定しようとしてしまう。
つまりバランスが崩れている状態とは、
行が発生している状態のことである。
脳をオーバーヒートさせて
ストレスをため込んでしまうものは、
行(サンカーラ )である。
行によって、
タスクポジティブな状態が
デフォルトであると勘違いして、
疲れ果ててしまっていないか?
そして タスクネガティブなときでも
無意識的であれば、
勝手に浮かびあがる思考に捉まって
行が発生し、
それに執着して イライラや不安がつのり、
ストレスをため込んでしまうだろう。
どちらにせよ、
ストレスのもとは「行」である。
集中モードのときは、
特定の課題を遂行するために 意識が
課題とその周囲の範囲に限定されるため、
脳の特定の領域だけを使っている。
つまり、
脳と意識は 「部分」 に閉じ込められている。
そして
(想と行が一体化した)MW状態 のときも、
ムダに 脳の特定の領域だけを使って、
疲れ果てている。
一方 (マインドフルな)非集中モードのときは、
課題に特定されることも、
行に引きずり回されることもないため、
脳の領域の 広い全体 を使うことができて、
脳と意識は 「全体」 として解放されている。
このようなときには、広い全体の中から
(承認欲求でない、心の座の)
本当の欲求を 探しだすこともできる。
そして
「脳の全体」 は 「脳」 という臓器に留まらず、
脳と 縁起ネットワークで結ばれている
さらに その個体は
(より高次の)縁起ネットワークで結ばれた
より大きな「全体」を構成することになる。
このようにして 縁起のネットワークは、
次元を変えながら 重なり合って広がっていく。
そのとき「わたし」は、
「個人」であると同時に「全体そのもの」
にもなっている。
このことを、
ワンネスとか 梵我一如とか呼ぶのだろう。
脳(意識)の一日の在り方は、
DMNか 非DMNかの どちらか
(もしくは眠っている)である。
最新のMRIでは、
この二つのネットワークのパターンの違い
を 画像化し識別できる。
さらに ともにDMNである
マインドフルネスと
マインド・ワンダリングの違いは、
DMNパターンの活性の強度の違い
として表現される。
すなわち、 MWのときは
過剰なDMNパターンとして示される。
統合されたマインド・ワンダリング
と
統合なきマインド・ワンダリング
再び、
デフォルト・モード・ネットワーク
の話に戻る。
DMNの中には、
マインドフルネスと
マインド・ワンダリングの二つの状態がある、
ということであった。
「前掲書」p115〜117
『しかし、最近になって
マインド・ワンダリングには
肯定的な働きもあることがわかってきました。
とくに注目されているのが、
創造性との関係です。
ジョナサン・スクーラーは、
意識をさまよわせておくことが
創造的な思考にとって重要だ という説を
唱えています。
創造の過程において、初期段階では
意識が自由にさまよう期間が必要だ
というのです。
マインド・ワンダリングによって、
最初は Aについて考えていたが、
Aから Bに思考が移り、
さらに Cから Dに行きつくことがある。
目の前の課題Aだけにしがみついていると、
A から B、 C、 Dと
ひらめく瞬間を逃してしまう。
はっとするようなアイディアが
思い浮かぶのは、
【集中モードである】
課題Aについてしか考えていない時ではなく、
【非集中モードの】
意識を自由にさまよわせる
マインド・ワンダリングの時間なのです。
ただし、意識が散漫に漂うだけで、
創造性に結びつかないこともあります。
このときの意識には統合性がなく、
他律的【自動的】です。たとえば、
テレビのチャンネルを次々に変えるように
脈絡なく ランダムに意識をさまよわせる
受け身な状態のときは、統合性はなく、
他律的といえます。
仮にこれを
統合なきマインド・ワンダリング
と名づけましょう。
この統合なきマインド・ワンダリングが、
従来言われてきた
否定的な意味でのマインド・ワンダリング
です。
一方で、
自分が取り組みたい課題や疑問が
何であるかを
日ごろから自律的に認識している場合は、
意識が 自然に課題に向かっていくため
創造性に結びつきやすい。
マリア・メイソンによれば、
マインド・ワンダリングの最中、
さまよう意識は
完全にランダムな動きをするのではなく、
ある一定の目的地に向かう傾向がある
といいます。
このような状態が
統合されたマインド・ワンダリングです』
マインド・ワンダリング(MW)の中にも、
統合されたMWと 統合なきMWの
二種類があると言う。
すると DMNの中には、
マインドフルネスと
統合されたMW と
統合なき MW の
三種類の状態があることになる。
そして、 純粋なマインドフルネスではなく、
統合されたマインド・ワンダリングの方が
創造性を司るという。
MWを統合するためにも、
やはり 瞑想のトレーニングが重要である。
こういったことを踏まえると、DMNとは
タスクネガティブな状態ではあることは
確かだが、
その内容を詳細につめていくと、
統合なきマインド・ワンダリングから
純粋なマインドフルネスまでの幅があり、
その中には創造性に結びつく状態も含まれる、
と考えるのがよさそうだ。
また、創造性を生みだす
統合されたマインド・ワンダリングは
DMNの中の ある状態であるとも、
DMN(非集中)と非DMN(集中)の
中間の状態であるとも 言えるかも知れない。
適度にコントロールされた
純粋なマインドフルネスには、
覚醒時に心の要素を整理することで
脳を休息させ、
ストレスを軽減させる働きがあるが、
他方の 過剰なDMN状態である
統合なきマインド・ワンダリングは
純粋なマインドフルネスとは真逆に、
心の要素を混乱させ またはカチカチに固めて
脳を疲弊させ、
ストレスを蓄積させてしまう。
でも 統合なきマインド・ワンダリングが
いつもストレスを溜め込むわけではなく、
ただ雑念が湧いては消えていくような
毒にも薬にもならない
ニュートラルな状態もある。
この状態が
もっとも多く見受けられるものだろう。
とすると、
統合なきマインド・ワンダリングも
さらに二つに分けられ、
ストレスを溜める「悪い」 MWと、
ストレスに対してニュートラルな
「普通」のMWがある
ことになる。
そして 純粋なマインドフルネスと
統合なきMWの中間、 もしくは
集中と非集中の中間に位置するように見える
統合されたマインド・ワンダリング状態は、
創造性を発揮し
(単に物質的なものにとどまらない)
より豊かな人生を作りだすためにも
必要とされるものなのだろう。
この統合されたMWを
「良い」MWと呼ぶことにすれば、MWは
「悪い」 「普通」 「良い」の 三種類ある、
という言い方もできる。
で述べた脳の状態と比較すると、
①[純粋なRの状態]は、
純粋なマインドフルネスの状態
③[純粋な非Rの状態]は、
タスク・ポジティブな集中モードの状態
④[非純粋な非Rの状態]は、
統合なきマインド・ワンダリングの状態
に相当するだろう。
まとめ
脳(意識)の一日の在り方は、
DMNか 非DMNか のどちらか
(もしくは眠っている)である。
非DMNとは
タスクポジティブな集中モードであり、
問題解決のための課題を遂行するときの
非常時の 脳のネットワークの状態だ。
一方、DMNは
タスクネガティブな非集中モードであり、
何もしていないボーッとしている状態で、
脳(意識)の一日の在り方は、
DMNか 非DMNか のどちらか
(もしくは眠っている)である。
非DMNとは
タスクポジティブな集中モードであり、
問題解決のための課題を遂行するときの
非常時の 脳のネットワークの状態だ。
一方、DMNは
タスクネガティブな非集中モードであり、
何もしていないボーッとしている状態で、
【リラックスする方の
副交感神経系が活性化している状態】
こちらが 脳にとってデフォルトだ。
しかし、人類は 文明の進展とともに
集中モードを使う機会が多くなり、
本来デフォルトでなく
こちらが 脳にとってデフォルトだ。
しかし、人類は 文明の進展とともに
集中モードを使う機会が多くなり、
本来デフォルトでなく
緊張感を伴う 非DMNの状態に
より多くの時間を費やすることになった。
これによって「想」の機能が過剰になり、
DMNのときも
どこからともなく「想:法」が発生し、
それに囚われやすくなってしまった。
これが MWの状態であるが、
これが 行き過ぎると「行」まで発生し、
苦悩に囚われてしまう
「悪いMW状態」 になる。
ともに ストレス(緊張)をもたらす。
だから そのような状況では、
DMNをマインドフルネスに保つ
意識的な訓練が必要になる。
それにより
マインドフルに過ごす時間を
増やすことで ストレス:緊張を減らし、
ビビッドな世界を取り戻すことができる。
したがって、
望ましい脳(意識)の使い方は
以下のようなものになるだろう。
目の前の 今すべき課題に対して、
タスクポジティブな集中モード
(非DMN)を使う。
だが この疲れる集中モードは
これによって「想」の機能が過剰になり、
DMNのときも
どこからともなく「想:法」が発生し、
それに囚われやすくなってしまった。
これが MWの状態であるが、
これが 行き過ぎると「行」まで発生し、
苦悩に囚われてしまう
「悪いMW状態」 になる。
非DMNモードと
DMNの中の「悪いMW状態」 は、ともに ストレス(緊張)をもたらす。
だから そのような状況では、
DMNをマインドフルネスに保つ
意識的な訓練が必要になる。
それにより
マインドフルに過ごす時間を
増やすことで ストレス:緊張を減らし、
ビビッドな世界を取り戻すことができる。
したがって、
望ましい脳(意識)の使い方は
以下のようなものになるだろう。
目の前の 今すべき課題に対して、
タスクポジティブな集中モード
(非DMN)を使う。
だが この疲れる集中モードは
ほどほどにして、
その必要がないときは すばやく
タスクネガティブな 非集中モード
(DMN)に戻す。
マインドフルネスの トレーニングを行い、
非集中モードのときは
できるだけ 悪いMW の状態を避ける。
マインドフルネスであれば、
たとえ MW の状態であっても、
それは 統合されたものとなり、
創造的なものにすることができるだろう。
その必要がないときは すばやく
タスクネガティブな 非集中モード
(DMN)に戻す。
マインドフルネスの トレーニングを行い、
非集中モードのときは
できるだけ 悪いMW の状態を避ける。
マインドフルネスであれば、
たとえ MW の状態であっても、
それは 統合されたものとなり、
創造的なものにすることができるだろう。
脳の二つの在り方であるDMNと非DMN。
この二つのバランスが大事であり、
現代は非DMNの方に偏っているとはいえ、
瞑想(DMN)ばかりしていて
いいワケではない。
また
DMNモードを適正に整えることも大事で、
瞑想は このためのものである。
「フロー」 と呼ばれる
統合されたMWである特殊なDMNモードでは、
課題遂行レベルを超える (大発見・発明レベルの)
高度な創造性が発揮されることもある。
デフォルト・モード・ネットワークとはなにか?
最新のMRIによる解析で、
脳のネットワークの状態を
集中モードと 非集中モードの
二種類に分けることができる。
でも それ以上細かく分類することは、
現時点ではできない。そして、
非集中モードの方を
DMNと呼ぶことにした、ようだ。
だから DMNには様々な状態が含まれる。
DMNには、 マインドフルネスや、
統合された 「良い MW」 や、
統合されていない「普通のMW」 や、
統合されていない「悪い MW」 が
含まれている、ようだ。
さらに
それ以外の状態があるのかも知れない。
漠然と、広い意味で
「ボーッとしている状態」というと
分かりやすいかも知れない。
ボーッとするのも いろいろある、
ということか。
だいぶ整理され スッキリした気がするし、
逆に 複雑になって 「DMNとは これだ!」
という単純な言い方が
できなくなったようでもある。
現実の 【リアルな】脳の状態は、
【非リアルな概念で】スッキリと
理解できるようなものではないのだろう。
DMNと 非DMN(非集中と集中)
マインドフルネスと マインド・ワンダリング(MW)
統合されたMWと 統合なきMW、
普通の統合なきMWと 悪い統合なきMW、
統合されたMWと 統合なきMW、
普通の統合なきMWと 悪い統合なきMW、
これらは、
すべて【非リアルな】対になる対極を持つ
「概念」として持ちだされたものであり、
脳(意識)を理解しようとするための
「物語」に過ぎない。
リアルな 現実の脳は、その中間の
グレーゾーンの 多様性の中にある。
でも「物語」 が
すべて【非リアルな】対になる対極を持つ
「概念」として持ちだされたものであり、
脳(意識)を理解しようとするための
「物語」に過ぎない。
リアルな 現実の脳は、その中間の
グレーゾーンの 多様性の中にある。
でも「物語」 が
「幸せ」への道をたどる助けになるなら、
それはそれで 結構なことだろう。
脳の、つまり意識の状態を理解するための
軸のようなものとして、
これらの概念を利用することは有益だと思う。
いまの 自分の心の状態はどうなのか?
これらの中の どれに近いのか?
そんな風に 自分(の心)を客観視する
のも面白いではないか。
それはそれで 結構なことだろう。
脳の、つまり意識の状態を理解するための
軸のようなものとして、
これらの概念を利用することは有益だと思う。
いまの 自分の心の状態はどうなのか?
これらの中の どれに近いのか?
そんな風に 自分(の心)を客観視する
のも面白いではないか。
*参考記事「手動瞑想」
*参考記事「ボーっとする」
:これは 心の状態を 別の見方・言葉で
考察してみたものである。
(最終改訂:2022年3月22日)