デフォルト・モード・ネットワーク | やすみやすみの「色即是空即是色」

やすみやすみの「色即是空即是色」

「仏教の空と 非二元と 岸見アドラー学の現実世界の生き方」の三つを なんとか統合して、真理に近づきたい・語りたいと思って記事を書き始めた。
「色即是空即是色」という造語に、「非二元(空)の視点を持って 二元(色)の現実世界を生きていく」という意味を込めた。

  NHKオンデマンドで、NHKスペシャル「シリーズ 人体 ネットワーク」第5集「"脳"すごいぞ! ひらめきと記憶の正体」という番組を観た。その中で、記憶のメカニズムと、デフォルト・モード・ネットワークと呼ばれる状態の説明が、とても印象的だった。
  デフォルト・モード・ネットワークという脳の状態が最新のMIR画像で示されたとき、これこそが「気づき(サティ)」の状態の脳だ、とひらめいた。
 
 
記憶のメカニズム
  最近の出来事を記憶するのは、脳の中の海馬と呼ばれる場所であることは、以前から分かっていた。最新の研究成果により、その海馬での記憶のメカニズムが、かなり詳細に解明されている。
  海馬の中には、歯状回と呼ばれる部分がある。脳や脊髄を構成する神経細胞は再生することはなく、生涯を通して徐々に減る一方であると言われていたが、実はこの歯状回の中の神経細胞だけは、次から次へと新しく生まれていること(神経新生)が判明した。老化によって記憶力が衰えるのは、この神経新生が低下するためである。

  一方、記憶は脳の中でどのような形をとって存在するのか、ということも分かってきた。われわれがなにかの出来事を経験したとき、脳の中では様々な神経細胞が電気的に興奮(発火)し、それが神経線維と神経間隙(シナプス)を介して次から次へと伝えられ、ある一定の電気回路のパターンを形成する。このパターンこそが記憶の正体であるという。
  そしてこのパターンが、新しく生まれた歯状回の神経細胞一個一個に焼きつけられる。その神経細胞がパターンを記録し、パターンを焼きつけられた神経細胞が「記憶」となる。あるひとつの出来事は、脳の巨大で複雑なネットワーク(全体)の中の、ある一定の(分離され、限定された)神経回路のパターンに変換され、それは歯状回の一個の神経細胞に「記憶」として記録される。
  出来事に大きな感情が伴う場合、より強力に記憶されるように(海馬に隣接し、情動をつかさどる)扁桃体が記憶をサポートしている。
  海馬の中にある出来事を記録した「記憶」細胞は、数か月の間 歯状回の中で生きている。この間に「記憶」が再生される(思い出される)と、その度にこの回路は強化される。そして数か月(マウスでは約1か月)のうちに、一定以上の強度を得た記憶は、なんらかの方法で(たぶん、睡眠時に大脳皮質の細胞が歯状回の細胞のパターンを模倣することで)大脳皮質の神経細胞に移し替えられ、今度はその(大脳皮質の)細胞が生きている間中、いつでも思い出される長期記憶として存在し続ける。昔の記憶がいつまで経っても色褪せないのは、このためである。
  一方、大脳皮質に移植されることのなかった「記憶」パターンは、歯状回の神経細胞の死とともに 永久に失われ(忘れられ)てしまう。
 
  以上が、解明された最新の「記憶のメカニズム」である。この説明は説得力があり、非常に分かりやすい。現時点での科学的ストーリーに過ぎないのだろうが、大変面白い。
 
 
デフォルト・モード・ネットワーク
  脳を構成する神経細胞は、細胞体本体から一本の長い樹状突起(軸索)が伸びていて、その突起は神経線維になる。最新のMRIでは、脳から細胞体を取り除き、神経線維だけの塊の画像を再構成することができる。これは、複雑な形をしたタワシのようにも見える。

  なにかの経験をするときは、この神経線維のネットワークの中を電気信号がめぐり、その伝達回路のパターンは、「記憶」として記録される。なんとこのNHKの番組では、その電気信号がタワシのような線維の塊の中をめぐる様子が映像化されている。そのパターンは、外部から入ってくる刺激の種類により様々である。
  何かに集中しているときは、その集中の状態を反映して神経回路の一部だけに信号が流れ、線維は太く明るく光って示され、脳のネットワークの一部分が強調される。
  一方 何かが閃いたときのパターンは、特定の一部だけの回路が強調されるのでなく、神経線維の塊全体が ほぼ均等に輝き、脳を構成する神経細胞体全部が まんべんなくネットワークで結ばれているように見える。これは科学者や作家などが、新しい理論や着想を思いつくときの ベースになるパターンであるようだ。そのときの均等に輝くネットワークの状態はデフォルト・モードと名づけられた。脳の中に蓄えられた経験の記憶は、(限定され、分離された)一部だけが強調されるのでなく 相互に対等な関係にあり、全体が 均等にネットワークで結ばれている。
 
  神経線維がアクセスする先には、その人が生涯をかけて「記憶」した情報を蓄えた神経細胞体が存在する。様々な経験が大脳皮質の異なる場所に蓄積され、記録されている。そして普段はいくつかの限定された(分離した)記憶とその組み合わせ(連合記憶)だけを使いまわしている。これが「心のクセ」と呼ばれる、日常生活での個々人のライフスタイル(世界観・行動規範など)の元である。 
  トラウマを抱えた人では、その(連合記憶としての)トラウマ回路がいつも活発にカッカカッカと発火し、燃えさかっているのだろう。
  ところがデフォルト・モードの状態にあるときは、普段は繋がることのない領域もほぼ均等にネットワークで結ばれ、新しい繋がりや組み合わせが出来あがりやすくなっている。このような状況において、異なる脳領域の経験がまったく新しい視点でまとめられることによって、新たな物の見方考え方反応の仕方が生まれるのであろう。また、トラウマとして結びつけられてしまった 本来関係のなかった記憶の接合がほどけ、解除されていくのだろう。
 
  デフォルトモードネットワークのとき脳はオープンだオープンとはのことであり、「沈黙のことでもある
 
  そしてまた大変興味深いことに、MRIの中にいる被験者に、「目を開けて、なにも考えずにボーッとして下さい」と呼びかけると、このデフォルト・モード・ネットワークと同じ、神経線維の均等な輝きが観察されるではないか。この映像を観たとき、思わず「これがサティ状態の脳だ」と叫びそうになった。これこそ、頭の中から思考や感情などを取り払った「空っぽの心の状態、すなわち「気づきのときの脳の活動(空っぽではあるが、たしかに輝き 活動している)を示したものだろう。
 
  このような視覚的イメージを持っていることは、「日常生活での気づきの瞑想」とはなにか、ということを理解する上で非常に有用と思われた。この状態では思い込み(特定の限られた神経回路パターンの連合:記憶の勝手な組み合わせ)が薄れて、「わたし」と世界の全体像を 客観的に捉えることができるだろう。この状態では、心は過去や未来を彷徨うこと(特定の限られた神経回路パターンの再生)がなく、「いまここ」に留まることができるだろう。サンカーラに関連した思考や感情も、存在していないだろう。
  わたしたちは、落ち着いた状況でごく短い期間なら、「目を開けてボーッとする」ことで、デフォルト・モードに入ることができる。しかし日常の喧騒の中でこのモードに入るのは難しい。そして仮に このデフォルト・モードが得られたとしても、その状態を長い時間維持し続けることはさらに難しい。雑念や思考や感情が浮かび上がることで、均等に輝く神経線維のパターンはすぐに変化し、特定のある部分が強調されたパターンに変わるのだろう。
 
  瞑想のトレーニングはこのデフォルトモードネットワークの状態を(喧騒の中でも)自由自在に引き起こしそれを維持することを目的としている。サティ(気づき)の力が増すと、容易にこのモードに入ることができるようになる。しかしこのモードに入っても、その状態で様々な(特に自分が攻撃されているように感じるような、「苦」を伴う)出来事が起きると、その出来事に反応して このモードは簡単に崩れてしまう(闘争・逃走反応) このモードが崩れないように維持する(闘いもせず、逃げもしない)のが、受容する力(定:サマーディ)である。
  すなわち、デフォルトモードネットワークを引き起こし(心の動きをめる:念:気づく:サティ) このモードを維持する(一体化することなくただている:受容する:定:サマーディ)ことが、止観瞑想(マインドフルネスである
  MRI画像で描きだされたタワシのような神経線維の塊が均等に輝くさまを想像しながら、マインドフルネスとはなにか、日常生活での瞑想とはなにか、を考えてみるのも一興であろう。
  マインドフルネス・ストレス低減法と呼ばれる 瞑想のトーニングを医療に応用したプログラムも存在する。そのような機会を利用して、デフォルト・モード・ネットを使いこなそうとしてみるのもいいだろう。
 
 
  なんやかやと言葉で説明してみたが、やはりもどかしい。ぜひNHKの番組を観てほしい。オンデマンドにログインして、単品の番組を観るだけなら、216円である。972円だして1か月だけ特選見放題の会員になれば、他の「人体シリーズ」も観れる。こちらもおススメである。人体がいかに巨大で複雑なネットワークであるか、視覚を通してよく理解できる。ネットワークとは縁起

のことである

  実は、私が以前に「縁起論」というブログ記事を書いているとき、たまたまこの人体シリーズを観た。そこからずいぶんと多くの気づきが得られ、それらはブログ記事の中に反映されている。
  この人体シリーズの番組は、縁起というブッダの世界観を理解する一助になるだろう。「わたしという人体は 首から上だけの脳が優先的に支配しているのでなく全体がネットワークでありそのわたしもまたより大きなネットワーク(大いなるもの)の一部であることに気づくと、なんとも不思議な気持ちになる。
  この構造は、「フラクタクル」と呼ばれる。
 
  みんな繋がっていてみんな助け合っている。その構造が重層して、次々と果てることなく影響は続いている。それがネットワーク(縁起)の姿であろう。
  わたしたちはネットワークの中で生かされている


* デフォルト・モード・ネットワークを上手く活かすには、「気の感覚やナーダ音」を利用するといい。


(最終改訂:2018年7月2日)



追補1(2018年7月18日)
  今回の記事は、NHKの番組を観たあとの印象・思いつきとして書いたものである。
  ところが後日判明したことによれば、デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)とは雑念の起きている(mind-wandering)ときの脳の状態であり、自分に関する思考(self-referential processing)に関連しているという。そしてこの状態(DMN)は、すべてのタイプの瞑想(Concentration・Loving-Kindness・Choiceless Awareness:サマタ瞑想・慈悲の瞑想・ヴィパッサナー瞑想)により、その(DMN)活動が低下するという。
  これでは、私の記事と真逆の説明のように聞こえる。NHKの番組では、肯定的に説明されていたDMNが、否定的なものとして捉えられている。

  おそらくDMNという概念は、まだ発達途上にあるのだろう。しかしいずれにせよ、DMNと瞑想になんらかの関係があることは間違いなさそうだ。雑念が湧き上がり自己に囚われている状態【我】と、瞑想で「いまここ」にいる状態【無我】のどちらが人間にとって基本的かつ標準的な(デフォルト)状態なんだろうか?
  この二つの状態は、ひょっとすると活動レベルの強弱に過ぎないのかも知れない。より強いDMNが「我」で、より弱い・もしくは適正な強さのDMNが「無我」の状態なのかも知れない。

  脳科学もまた「物語」に過ぎない。物語が正しいか否かということに執着し過ぎることなく、どんな物語がわたしたちの幸せに寄与するのか。そんな風に思いながら脳を科学するのも、また楽しいではないか。


追補2(2019年5月17日)
  追補1で、「デフォルト・モード・ネットワークの状態はマインドフルネスなのかマインド・ワンダリングなのか?」と書いた。
  最近これに対する考え方がやっと整理できたので、デフォルト・モード・ネットワーク 2」というブログ記事で紹介することにした。
(クリックすると記事が読めます)