カンポンさんの「課題の分離」 | やすみやすみの「色即是空即是色」

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「仏教の空と 非二元と 岸見アドラー学の現実世界の生き方」の三つを なんとか統合して、真理に近づきたい・語りたいと思って記事を書き始めた。
「色即是空即是色」という造語に、「非二元(空)の視点を持って 二元(色)の現実世界を生きていく」という意味を込めた。

浦崎雅代さんのブログ(note)「タイの空に見守られて」の2018年6月25日の記事から引用
(【  】内は、やすみやすみのコメント)



    カンポンさんの説法   「目覚めて、知る」
夫婦は苦楽を共にすべきである、 は誤り

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  一組の夫婦がいるとしましょう。するとね、よく「夫婦は苦楽を共にすべき」と言いますね。それは、パートナーが苦しんでいたら私も一緒に苦しむ。パートナーが幸せであったら私も一緒に幸せになる。そういうことですね。
【課題が分離されていない】

  でも、そんなふうに考えてはなりません。パートナーが幸せであったら私も一緒に幸せになる。これはいいですよ。
  でもパートナーが苦しんでいたら、私はあなたと一緒になって苦しみません。でも、私はあなたの苦しみが減るように手助けします。
【わたしは、あなたを水飲み場まで連れて行ってあげる。でも水を飲むかどうか(自ら 「幸せ」 を見つけるかどうか)は、あなた次第だ】
  修行者は こういう感じでいるようにしましょう。

  どんな苦しみが相手に生じようが修行者は自分も一緒になって苦しむことはない、こうした【課題が分離されている】姿勢でいることは 世間的なメリットがたくさんあります。
  そして法(タンマ)的なメリットというのは、自分自身を知るということです。真理の法を知る、正しい道を歩むことができる、ということです。

  そうして それが(わたしの)幸せを導くのです。
  法に沿った幸せは、世間的な幸せよりもより繊細で丁寧です。
  法に沿った幸せは楽しみや刺激を探し求めなくとも幸せになることができます

  世間的な幸せは、何かを見たり 聞いたりすることで、自分に刺激が得られたら幸せになる、そういったタイプの幸せです。
  世間的な幸せはね、疲れます。そして何かと競争しなければなりません

  法に沿った幸せは、探し求める必要はありませんよ。もうこの自分自身にすでにあるのですから。ただ自分を感じる自分を知るだけでいいんです。
  思考が どんどん飾り立てられていくと、私たちは 苦しみにはまりこんでしまいますが、それらがもう、生じることはありません。

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浦崎感想
  この話、カンポンさんはよく説法でお話されていて、初めて聞いた時に私は、目からウロコが落ちました。 
  相手が苦しんでいる時には、自分も一緒になって苦しまないといけない。。。【それが深く共感することだと】私はずーっとそんなふうに思っていました【勘違いしていた】

  相手が幸せなら、自分も共に幸せを喜ぶ。
  相手が苦しんでいるなら、自分は苦しまずに、相手の苦しみを減らす手助けをする。
  この微妙な違い【課題の分離】を、感じ取っていただけますでしょうか?
 
  相手の苦しみを 自分のことのように感じながらも一緒になって苦しまないただ見守りつつ良き働きかけをする

  この視点は、夫婦やパートナーシップの話だけではなく、親と子供、友人関係、ひいては社会的な問題【すべての人生のタスク】に対しても、言えるのではないかと思います。
  共感するということが とても、大切にされていると思いますが、それは「一緒になって苦しみなさい」ということではないんですね。
【逆説的に聞こえるかも知れないが、共感するためには課題の分離が必要】

  修行に取り組む私たちは、まず 自分自身の苦しみを減らし、その安らぎある心で苦しむ他者の苦しみを減らす関わりをする。
【慈悲の瞑想では、まず自分自身を慈しむ。ついで、その慈しみを他者に広げていく】
  そのような姿勢が大切なのですね。
 
  相手のためを思うならば一緒になって苦しまない先に自分の苦しみをまず減らしていく
  心がけていきたいものですね!

【課題の分離ができるようになると、驚くほど優しくなれる!】

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やすみやすみの感想
  今回のカンポンさんの説法は、アドラーの「課題の分離」というキーワードを理解するのに最適な話題だと思いました。
  そして、仏教の「慈悲の瞑想」の背後に、この「課題の分離」という概念が潜んでいたことに気づかされた法話でした。
「夫婦やパートナーシップの話だけではなく、親と子供、友人関係、ひいては社会的な問題」という浦崎さんのコメントは、愛のタスク・交友のタスク・仕事のタスクと分けてアドラーが説明した「人生のタスク」のこと。人生のタスクに取り組むためにも「課題の分離」が必須であることが、あらためて理解できました。