心の状態 五蘊のバリエーション
五蘊ごうんの
「想( 「善/悪」 「優/劣」などの概念・思考・考え方)」 は、
まったく同じものである。
すなわち 非R(の思考)は、
外/内の自然との接触を契機に(色→受→)
それに反応・変換(想)して引き起こされる
(心の座に現れたリアルな感覚Rが 非Rに変換される:想)
こともあるし、
または 非R(の思考)は、
自然との関わりとまったく別個に
独立して発生する
(いきなり心の座に浮かび上がる:法)
こともある。
五蘊とは、一般的には
識(自我:エゴ)が発生するまでの過程を
説明するものとして
識も含めて 以下の五つの要素の流れ
として理解されているが、
色 ➡︎ 受 ➡︎ 想 ➡︎ 行 ➡︎ 識
A 色 ➡︎ 受 ➡︎ ➡︎ ➡︎ 行 ➡︎ 識
(Rレベルの苦悩である渇愛の主体としての識の発生)
B 色 ➡︎ 受 ➡︎ 想 ➡︎ 行 ➡︎ 識
(非Rレベルの苦悩である取の主体としての識の発生)
C 法 ➡︎ 行 ➡︎ 識
(非Rレベルの苦悩である取が 色を介さずに発生する)
と3パターンに分けて考える方が、
より正確だと思われる。
➡︎ は必然的な反応なので、
この反応を 切り離すことができない。
➡︎ は、無意識・無自覚だと
その反応が起きてしまうが、
マインドフルであれば、
「受→行」 または 「受→想」 の反応を切り離して
その先の反応
(最終的な「識:自我」の成立)
に進まずに済む。
行の発生と 自我(識)の成立は
不可分であり、
「自我の成立 = 苦悩の形成」である。
AとBは「色」から始まる流れなので、
現実世界(に 「色」 が触れること)によって
引き起こされる反応である。つまり、
日常生活(に限らないが)という「現実」
の中の状況の説明である。
AであれBであれ いずれも、「受」に留まり
「想」や直接的「行」に進行しなければ、
純粋なRの状態のままでいられる。つまり、
日常生活の中でも
「行」に囚われずに暮らしていける。
しかし「行」にまで進行してしまえば、
「苦悩」が発生してしまう。
Aは、「受」 の 「快/不快」 を
直接的に( 「想」を介さずに)追求/否定しよう
とするときの「行」の反応で、
Bの 「(高次の)行」は、「快/不快」 を
「想」 の 「善/悪」 などに変換してから
追求/否定しようとする間接反応であり、
非Rの⑤・⑥に相当する。
Bを何度も 数知れず繰り返していると、
そのうち 現実の出来事がなくとも
いきなり「法:思考」 が心の座に生ずる
ようになる。これが Cの状態であり、
その 「法」 に反応して 「行」 が生起すると、
やはり「識」まで反応が進み、
苦悩が発生する。
Cは、
六入の「意」から 六境の「法」が
生まれるときのことを表していて、
現実世界との接触が 最初から断たれている。
つまり、
Cは 頭の中だけで起こる 現実でない
「想像上(架空)の」状況での
「観念から始まる反応」の説明である。
Cもまた、非Rの⑤・⑥に相当する。
(最終改訂:2022年4月12日)