池田屋事件以後、新選組の名は幕府方のみならず、尊王攘夷派志士たち
の間で一気に知名度を上げた。
ただその評価は様々。英雄的な目と憎悪の目だ。
新選組の中でも、近藤は旗本に取り立てるまでに出世し、
その他の隊士も幕臣扱いになった。
そして組織も多くなり、200人とも300人ともいえる剣客集団に膨
れ上がった。
しかし、一方で内部粛清も続いていた。
新選組 鬼の掟 「局注法度」(違反者は即切腹)は拡大した
組織を維持するうえで絶大な効力を発揮し、多くの隊士を切腹に追い込
んでいた。
かつて水戸 芹澤派を粛清し、近藤勇率いる試衛館派による一本体制を
構築したが、再びこれを揺るがす一大派閥が出てきた。
伊東甲子太郎率いる伊東一派だ。
伊東甲子太郎は水戸で遊学し、勤王思想に傾倒。後に江戸で伊藤道場と
いう剣術道場を開いていたという。
1864年 新選組は組織拡大の為、江戸で新選組が隊士募集を行っ
た。
この時、勧誘に応じて伊東は道場の門弟を率いて入隊したという。
ここに藤堂平助と言う、試衛館派最年少の男がいる。
彼は、もとはこの伊東道場の寄弟子だったらしいが、どういう経緯か途
中試衛館に移り、近藤勇旗上げに加わった生え抜きの幹部だ。
若干20歳ながら剣の腕も優れ、副長助勤として、近藤・土方らを補佐
する。
池田屋でも先陣を斬るほどの勇猛果敢で、沖田総司とは年齢が近く仲が
良かったらしい。
そんな彼が、江戸で隊士募集にあたり勧誘したのがかつて所属していた
伊東道場だった。
これが彼の運命を変えてしまった。
百姓出身の近藤にとっては、伊東の学問の深さはまぶしかったのか、参
謀と言う総長 山南敬助より上位の破格の役職を用意して迎え入れる。
容姿端麗、剣術の腕は勿論のこと、深い学問にして巧みな弁舌は多くの
隊士を惹きつけたという。
山南敬助とキャラがかぶり、彼の居場所を奪ってしまい山南脱走の一因
となったとする説もある。
ただ、やはりぶつかる。
敵方長州のような尊王攘夷思想の伊東と、幕府側に立つ新選組。
攘夷と言う共通点はあっても幕府を思う立場は違う。
おのずと対立の構図が出来てくる。
伊東は、やがて策を弄し、孝明天皇陵警護と、薩摩の監視と言うことを
名目に新選組からの脱退という形ではなく、あくまでも分隊という
形で離脱を図る。
一方、近藤も全面戦争を避けるためか、これが法度に背く背信行為と知
りつつも、認めている。
さて、分裂が決定的になりった藤堂平助。
かつての師匠の上、新選組に勧誘した手前もあったのだろうか?
近藤たちと、伊東の対立が表面化するにつれて、間に挟まれ苦悩した
ことが察せられる。
そして藤堂は、伊東につき従い、新選組から離脱する。
藤堂は伊東への責任感や過去のしがらみがあったのだろうか?
それとも山南同様、新選組あり方に疑問を持ってしまったのか?
この藤堂の離脱の真意を知りたいが分からない。
いずれにせよ藤堂にとっても苦渋の決断だったに違いない。
こうして新選組は名目上は分隊ながら、実質分裂となった。
新選組を去った伊藤たちは御陵衛士を名乗る。
伊東に従い去った人数は10数人に及んだという。
伊東一派が離脱した後、一度は平和的に事が終了したかに見えたが、や
はりこれを許さない人もいる。
土方は永倉、原田らに命じ、隊士を引き連れ、夜 近藤との会合の
帰りを狙って、京都 油小路において伊東甲子太郎を襲う。
(油小路の変)。
(油小路)
そして伊藤を斬殺するや、これを放置し、伊藤の弟子たちに連絡を
入れ、遺体の回収に来た弟子たちを再び襲った。藤堂も現れた。
永倉ら試衛館仲間は藤堂だけは逃がしてやるつもりでいたが、
連絡が徹底されておらず、乱戦の中新選組下級隊士に斬られ絶命。
24歳という若き死を迎える。
この日、伊東、藤堂以外に二刀流の服部武雄や毛利有之助も落命。
試衛館旗上げで立ち上がった8人の内、山南に次いで、藤堂も逝ってし
まった。
今、伊東、藤堂ら御陵衛士は、戒光寺に眠っている。
【戒光寺】
〒605-0977 京都府京都市東山区泉涌寺山内町29
500円
新選組にとっては敵役に描かれる御陵衛士であるが、本質は悪役でも何
でもなく、単に思想の違いで、近藤らと同じように国を思うために
必死に動いた志士であった。
だがドラマのイメージと言うのは時に悪い影響を与える。
近年、御陵衛士をよく思わぬ輩が墓をいたずらするという
不祥事が多く、今は寺の許可がないと参拝が出来なくなってしまったの
は悲しいことだと思う。
御陵衛士はお寺の管理のもと静かに眠っている。
油小路での粛清。
試衛館派にとっては、藤堂という昔からの仲間を失う痛恨の粛清であっ
た。
このあたりから新選組に斜陽が差し込んでいく。
新選組紀行① 新選組隊士が眠る街 会津(福島県 会津市)
http://blog.goo.ne.jp/ssh219/e/060b6dc61445d1d7b4058fff27614fac
新選組紀行② 土方歳三最期の地 一本木関門(北海道 函館)http://ameblo.jp/ssh219/entry-11956748874.html
新選組紀行③ 天才剣士 沖田総司永眠の地 専称寺(東京都 元麻布)
http://ameblo.jp/ssh219/entry-11994380699.html
新選組紀行④ 永倉新八 新選組への想いが詰まった街 板橋(東京都 板橋)
http://ameblo.jp/ssh219/entry-12000231681.html
新選組紀行⑤ 新選組 夢実現のスタート地 八木家壬生旧屯所跡(京都府 壬生)
http://ameblo.jp/ssh219/entry-12039173270.html
新選組紀行⑥ 光を浴びずに散った隊士が眠る地 壬生寺(京都府 壬生)
http://ameblo.jp/ssh219/entry-12039945210.html
新選組紀行⑦ 試衛館派最初の犠牲者 山南敬助と謎の女性が眠る 光緑寺(京都府 壬生)
http://ameblo.jp/ssh219/entry-12047268806.html
新選組紀行⑧ 新選組の晴れ舞台そして転落の始まりの地 池田屋跡地(京都府 河原町三条)