いや~ついにここに来ることが出来た。
土方歳三ファンの小生にとってここは聖地なのだ。
石碑前には土方の写真が置いてあり、全国の土方ファンの方が備える花が今も絶えない。
(函館 五稜郭タワー内の土方歳三像)
鬼の新選組副長として京都で活躍。
剣の腕がたつだけでなく、軍略にも長け、おまけに浪士部隊の
経営力にも優れていた土方。
しかし、時の流れに逆らえず幕府は崩壊。
先に散った仲間を追うかのように、土方は死地を求めて宇都宮、会津
などを転戦。そして函館に辿りつく。
ストイックなまでの彼の生き方は今なお多くのファンを引き付けて
やまない。
榎本武揚を中心とした蝦夷政権では陸軍奉行並という要職に就き活躍。
函館戦争でも、その優れた軍略から戦力的に不利にありながら
新政府軍相手に連勝を重ねる。
京都時代は鬼と恐れられた土方も、函館では部下に優しく、
部下が土方を慕うこと母を慕う子供が如しという。
そんな彼も函館で死を覚悟したのか、下の一枚の写真を14歳の少年兵に
託し、戦場を離脱させて東京日野市の実家に走らせている。
フランス軍服に身を包み、白いマフラー。この写真には
写っていないが、ブーツも履いている。
150年の時が流れても渋すぎる。
彼の予期した死は、ここ一本木関門で訪れる。
このシーン。
司馬遼太郎の「燃えよ剣」でも実に劇的に書かれていて、
多くのファンを今なお魅了している。
その跡地は今 公園の中にひっそりとあり、周囲も整備されており、
目を閉じないと当時の風景は想像できませんな・・・。
ただ、ファンはそんなことどうでもいい。
ここに来ることが大事なのだ。
1869年6月20日(新暦)
弁天台場に孤立していた部下の新選組生き残りの救出の為出陣。
ここ一本木関門あたりで政府軍と交戦。
馬上で指揮を執るも銃弾に倒れ、生涯を閉じた。
榎本が降伏する6日前のことだった。
享年35歳。
その後土方が函館のどこで眠っているのか?
今もって分かっていない。
されど150年の月日が流れても、信じる道を貫いた土方の生き方は
色褪せることなく美しい。
新選組紀行①
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