新選組紀行⑦ 試衛館派最初の犠牲者 山南敬助と謎の女性が眠る 光緑寺(京都府 壬生) | 夢の続き・・・

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半沢直樹で有名な堺雅人さん。

彼の出世作は、大河ドラマ「新選組」における山南敬助では

ないだろうか?

このドラマで、彼が演じた山南敬助と言う人物の知名度はかなり

上がったと思う。




荒くれ者が集まった新選組の中で、剣だけでなく、

学問にも優れた人物は少ない。そして温厚な人格者とくれば、

誰からも一目置かれる存在。

しかしながら、徐々に新選組の在り方に疑問を感じ、そして居場所を

失い、脱走、切腹。近藤勇グループの試衛館派にあって最初の犠牲者、

山南と芸妓 明里との悲しき恋、破滅的で悲しき人物。




おおよそこんな感じの人物像として山南敬助は多くの小説やドラマ

などで描かれている。

この大河ドラマでも同様で、歴代大河ドラマの中でも山南の死の回は

今見ても号泣ものだ。。


最近メジャーになった山南敬助であるが、謎が多く仙台と言う説はある

が、出身地すら不明で、実はその死すらもはっきりしないほど謎の多き

人物である。



先日 京都壬生屯所近くにある光縁寺を訪れた。



(光縁寺)




京都市下京区綾小路通大宮西入四条大宮町37

【拝観時間】AM9:00PM5:00

【拝観料】100




門が閉ざされていて、一見入りにくい感じがするが、門を開けて「新選組隊士のお参りに来ました」と伝えると住職が気持ちよく迎えて下さった。



そう ここは山南敬助をはじめ、多くの新選組隊士らが眠っている寺で

ある。

元祖 新選組の菩提寺ともいうべきお寺だ。

山南以外にも有名どころでは、松原忠司や、河合耆三郎(※先に紹介した河合耆三郎は本来この寺に墓があったが、親族が息子を死に追いやった新選組が建てた墓とは別に、先に紹介した壬生寺に建てた)や沖田氏縁者がいる。


(山南啓介の墓)


江戸で近藤勇の試衛館の出入りし、1863年近藤らとともに京都に上り、初期からの新選組メンバーで最初は副長として土方と肩を並べている。

しかし新選組の敵のみならず仲間も多く粛清していく姿に疑問や居場所のなさを感じ脱走。やがて捕まり、

切腹したというのが有名な描かれ方ではあるが、186310月 呉服商 岩城升屋に押し入った不逞浪士の取り締まりに山南が急行。しかし、ここでかなりの重傷を負ったという。

その戦闘で激しく刃こぼれし、折れた刀を土方は押し型にして、多摩の田舎の知人に送っている。

これがもとか、山南は記録から消えていて、一説にはこの深手がもとで死亡とも、新選組から離脱とも言われている。

このような説はあるが、小生は、小説に描かれているような優しくも悲しい山南が好きなので、史実は後世の研究に任せ、主流のイメージでいたいと思う。

どちらにせよ、山南も夢を描き上洛したものの、挫折または夢半ばなのか、無念の死だったことに間違いなさそうだ。



もう一つ、気になる墓石がある。

他の墓石は名前があるのに対し、一つだけ名前が刻まれていないお墓がある。

そのお墓には沖田氏縁者とされる戒名のみの墓がある。




慶応3426日、ひとりの身元不明の女性が埋葬された。



光縁寺の住職さんは大変気さくな方で、冗談も交えながら、この縁者に対する貴重なお話を楽しく説明して頂いた。



ありがとうございました。



この縁者というのがどういう間柄なのかを示す資料がないが、住職さんからは2つの説を紹介頂いた。


沖田総司の妻または彼女説

山南の彼女であった明里説





「新選組紀行③」でも紹介した、悲劇の天才剣士 沖田総司。

美剣士として全国の女性ファンが多い人物だが、京都に妻または彼女がいた?


確かに何ら不思議はない。

新選組きっての天才的な剣術使い。その上若く、かっこいい。

幹部の上、何もなければ将来有望で、近藤勇の後継者とくれば、女性の一人や二人はいたとしても不思議ではない。

この縁者を、妻とする説は戒名だそうだ。



総司の戒名「賢光院仁誉明道居士」


女性の戒名「真明院照誉貞相大姉」



戒名の知識がないが、説明によると、同じ格式や字数、似た字など夫婦と考えられる戒名だそうだ。


沖田総司が翌年に亡くなっているので、1年ほど早くなくなっている。

夫婦とすれば、両者ともあまりにも早すぎる人生で、共に過ごした時間も短い悲しき夫婦だったことになる。





山南敬助の彼女だった明里。

山南が切腹し、その介錯をしたのは沖田総司だったという。

山南と総司は、試衛館時代から仲が良かったそうで、山南が自分の死後沖田氏に彼女の面倒を見てやってほしいと託されたとも考えられる。その為「沖田氏縁者」となったのか?

住職の話によると、戒名に「明」という字を使っていることがこの説だそうで、住職は明里説を有力視しておりました。




いずれにしても、沖田そして山南の裏の部分を見るようで興味深い。



人気者だが謎多き山南敬助、そして一人の名もなき女性が眠る寺 光縁寺。


真実はどうなのか?

謎が気になるお寺である。




新選組紀行① 新選組隊士が眠る街 会津(福島県 会津市)

http://blog.goo.ne.jp/ssh219/e/060b6dc61445d1d7b4058fff27614fac



新選組紀行② 土方歳三最期の地  一本木関門(北海道 函館)http://ameblo.jp/ssh219/entry-11956748874.html



新選組紀行③ 天才剣士 沖田総司永眠の地 専称寺(東京都 元麻布)

http://ameblo.jp/ssh219/entry-11994380699.html


新選組紀行④ 永倉新八 新選組への想いが詰まった街 板橋(

東京都 板橋)

http://ameblo.jp/ssh219/entry-12000231681.html


新選組紀行⑤ 新選組 夢実現のスタート地 八木家壬生旧屯所跡(京都府 壬生)
http://ameblo.jp/ssh219/entry-12039173270.html




新選組紀行⑥ 光を浴びずに散った隊士が眠る地 壬生寺(京都府 壬生)http://ameblo.jp/ssh219/entry-12039945210.html