新選組紀行⑥ 光を浴びずに散った隊士が眠る地 壬生寺(京都府 壬生) | 夢の続き・・・

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新選組の壬生屯所があった八木家。

ここからすぐ近所に壬生寺がある。


(壬生寺)




ここは新選組となじみの深い寺で、小説やドラマなどで必ず出てくるお寺である。

この寺は沖田総司が近所の子供たちとよく遊んでいたとも言われ、また新選組が大阪の力士と殺傷沙汰を起こした事件をきっかけに親睦へとつながり、大阪の力士を招いて相撲大会を開いたといったエピソードが残っている寺である。

また、境内で軍事訓練をするなど、少々寺にとっては迷惑なようなこともやっていたようだ。

まあ、ここまでは明るい感じだが、新選組の黒歴史とも言うべき粛清や法度に背き切腹した隊士、池田屋で戦死した隊士といった新選組が華々しく活躍する陰で、光を浴びずに無念の死を遂げた者10名が眠る寺でもある(近藤勇は遺髪だけの為カウントせず)


門をくぐると、看板があるのですぐわかるが、新選組隊士を祀った墓がある。




まずは水戸一派。

先に紹介した新選組初期の筆頭局長だった、芹沢鴨や平山五郎が眠っている。

芹澤鴨は水戸出身で剣術も凄腕の暴れん坊。浪士組に呼応して上洛。ひと悶着あった挙句、近藤一派らと共に京都に残り新選組初期メンバーとなる。

筆頭局長として一時は新選組の顔となる。

だが水戸派を引き連れ商家に押し入り乱暴や金策するなどの危険人物。

新選組の後ろ盾となっていた会津藩にも睨まれ、近藤一派に暗殺されたと言われている。



芹澤と言えば、ドラマなどで確実に酒乱ぶりが描かれるが、そのせいか彼の墓には全国の新選組ファンが供えたのだろうか? 酒が供えてあり面白い。

芹澤は今、同じく惨殺された平山と酒を酌み交わし眠っている。

(写真左が芹沢と平山の墓 右は粛清、切腹、池田屋で戦死した隊士達の墓)






続いて勘定方の河合耆三郎。

(河合耆三郎の墓)




新選組が組織維持の為に隊士に課した非情の掟 局中法度。

河合の切腹は、この法度に触れたと言われている。

勝手ニ金策致不可」の罪。

河合耆三郎。もとは播磨の米問屋の出らしい。新選組の経理担当で、剣術よりも算盤で勝負した異色のキャラクターと言える。

彼の死については諸説があり謎であるが、一説には何らかの事情で隊の資金を流用したことが発覚し、腹を切らされたとも言われている。

普通に商人として家業を継げば縁のなかった切腹。

彼もまた武士になる夢を武士の終わる時代に見てしまったのだろうか?

このほかにも局注法度に背き切腹された隊士に、葛山武八郎や水戸派の野口健司がいる(芹沢の隣の墓)。



またここには後に東京板橋で斬首された近藤勇の遺髪が埋葬されているという。





以上10名が眠っている。

150年以上の時が流れていても、歴史の舞台で光を浴びずに散った

隊士の無念が伝わるってくる寺である。





新選組紀行① 新選組隊士が眠る街 会津

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新選組紀行② 土方歳三最期の地  函館一本木関門

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新選組紀行③ 天才剣士 沖田総司永眠の地 専称寺

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新選組紀行④ 永倉新八 新選組への想いが詰まった街 板橋

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新選組紀行⑤ 新選組 夢実現のスタート地 八木家壬生旧屯所跡 京都壬生

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