時は幕末。
江戸の試衛館道場で決して身分的に恵まれていなかった青年達は、夢と剣の腕を頼りに、新選組として歴史の舞台に現れ、激しい閃光を放つものの僅か数年で露と消えていった。
これまで新選組については会津、函館、江戸など、どちらかというと新選組のその後を追いかけてきた。
今回は新選組が大志と希望に燃えて上洛し、不逞浪士の殺戮そして、内部の粛清に明け暮れ、やがて時代に背を向けられ失意に沈んだ京都を訪ねた。
まずは、新選組が京において夢を実現するための原点となった八木家 旧壬生屯所跡を訪れた。
壬生・・・中京区にあるのどかな感じの町に八木家壬生旧屯所跡がある。
(八木家壬生旧屯所跡)
手前の建物は現在和菓子屋を営んでいる。
奥の門を潜れば屯所の建物がある。
門前の「誠」の旗がかっこいい。
9:00~17:00
見学料:1,000円【お茶と和菓子付き】
建物内は撮影禁止。※画像はネットの拾い物画像を拝借。
1863年春 近藤勇ら、試衛館一派は、幕府の浪士組募集に応じ、徳川家茂の警護と言うことで京都に上る。
しかし、主導者の陰謀うずめくこの浪士組は今日に着くや否や分裂。
近藤一派と水戸浪士グループや一部浪人は京に残り、後は江戸に引き返す。
初期の新選組は、近藤らの試衛館派と芹沢を中心とした水戸派に大きく分けられた。
残留した一行は、そのまま京の宿舎としていた八木家に留まり、ここを屯所として活動する。
八木家にとっては迷惑この上なかったことであろう。
そして八木家は現在も続いていて、写真の通り、京菓子屋を営んでいる。
屯所も全部ではないが現存しており当時の雰囲気を今に残している。
八木家の敷地に入ると正面に問があり、右手の方に和菓子屋さんの店舗がある(最初の画像参照)
説明して下さった方の話によると、この店舗のあたりが近藤、土方らの試衛館一派が寝泊まりしていた場所らしい。
正面の門をくぐると屯所の建物がある。
建物の玄関をくぐると、広い座敷があり、裏庭まで繋がっている。
奥に見えるのが庭である。
この座敷に水戸浪士の暴れん坊、芹沢鴨一派が陣取ったとのことだ。
入口にある大広間っを乗っ取るとはなんとも図々しいものである。
この座敷入ってみると薄暗い感じで仏壇があり、芹沢鴨らを弔っている。
ここはまさしく芹沢一派斬殺の凶行現場である
八木家主人の妻と子供は、この暴れん坊たちの隣の狭い部屋に寝泊まり。これだけ見ても不憫さが伝わってくる。
京都に残留した新選組はその後会津藩お預かりとして、生活の目途がたった。
しかし、水戸一派の京都での乱暴狼藉は酷く、会津藩に睨まれ、最初の内部抗争が始まる。
1963年9月というから上洛して僅か半年での出来事。
試衛館派は、芹沢一派の暗殺に乗り出す。
説明下さった方の話によると、暗殺はドラマで描かれるような激しい斬りあいといった感じではない。
リスクを少なくするため、念入りに練られた暗殺計画にのっとり粛々と行われた感じだ。
まず当時水戸一派を当日泥酔させる。当日は大雨。試衛館一派は周囲が寝静まる夜中まで待つ。
中では芹沢は愛妾梅と同衾し、平山、平間らはなじみの芸鼓とやはり同衾していた。
衝立でそれぞれが仕切られているものの何とも淫靡な情景だ。
隣では八木家主人の妻と子供が寝ている。教育上大問題だ
そして夜中、土方、沖田、山南、原田と言われているが、4名がこの画像にある裏庭から侵入。
ドラマのような派手な斬り合いといったリスクを避けるため、衝立を蹴飛ばす。その衝立は寝ている平山の上に倒れる。試衛館一派は、相手の動きを封じて、衝立の上から確認せずに一方的にメッタ刺し。
次いで芹沢にも同様に衝立を倒して動きを封じてメッタ刺しも、どうやら愛妾梅が致命傷を負ったらしく、芹沢は瀕死の重傷を負いながらも衝立をどけて、刀を探しながら隣の子供部屋に逃げ込む。
しかし、入り口には文机があり、芹沢これに躓く。
追う刺客。ここで芹沢に反撃の隙を与えず、斬りまくり芹沢絶命。
暗闇の中、一部刀の先が子供の足にあたり、負傷を負わせたという。
文机は現存し、当時の位置に置かれていて見ることが出来た。実に生々しい。
また、その子供が寝ていた部屋の入り口。
追いかける刺客がすぐ芹沢を切ろうとしたのか、入り口仕切りの上の部分には刀傷が今も残っていて確認することが出来る。
斬りつけて引っ掛かったのだろう。
刺客の息遣いと言うか、必死ぶりを感じることが出来る刀傷だ。
実に凄惨な現場だったと思う。
この事件で、芹沢と妾の梅、平山と芸鼓1名が惨殺。平間と一緒にいた芸鼓は侵入口の一番遠くに寝ていたせいか逃亡したようだ。
こうして、これを契機に新選組は近藤勇を中心とした一本体制になるのである。
それにしても八木家。今でこそ笑えるが、
突然怪しい浪人集団に家の大半を乗っ取られ、日に日に浪士が増えて、
挙句の果てに内部で暗殺やら切腹やらを繰り返す。
たまったもんじゃなかっただろうな
この八木家屯所跡を訪ねたなら、是非とも説明を聞きながら見学すると味わい深いものになると思う。
見学が終わると、和菓子屋の店舗でお茶とお菓子が頂ける。
屯所餅という銘柄のお餅と、お茶を振舞ってくれたが、これがおいしい。
お土産に買ってしまった。
(屯所餅とお茶)
この八木家の屯所は3年ほど続いたそうだが、途中組織が拡大するにつれて、隣の前川邸へも住み付いたようだ。そして組織が肥大化するとこの 壬生を後にして、西本願寺に屯所を移したそうだ。
(前川邸 入口の土産店以外は中の公開はしていない)
新選組の足跡を追っかけてみると、この壬生での3年間が新選組のもっとも良かった時代に思う。
ここ壬生屯所あとは、近藤、土方らの農民や浪人達から武士として世に出たいという、夢実現に向けた原点の場所である。
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