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坊さんとして暴走してます。No Buddhism , No Life!

No Bnuddhism , No Lifeをテーマにして面白いことを画策してます。

昔から凄い好きなアニメ「未来警察ウラシマン」。


主題歌をカラオケでも熱唱するのですが、なぜか同年代でも知らない人が多いのです……。
逆にみんなが視ていたようなアニメとかはあんまり視ていなかったりするので、やはり、僕はどこか偏屈なのかもしれません。
ちなみにお年玉で買ったマグナビートルのラジコンは一体、どこへ行ったのでしょう……。
https://youtu.be/i3BqLJ16-LM
この頃、着物を普段着として愛用しております。
坊さんとして衣、袈裟、作業などで作務衣のうえでの着物姿ですので、かなり和な日々であります。
ただ着物といってもかなりいい加減な着付けなのであります。
襦袢の替りにシャツであったり、足元はサンダルであったりとかいう、かなりラフな感じです。
ま、それでぶらぶらと遊ぶに行っているのですが、
たまに、
「そんな着方は正式では無い。」
という、ご指摘を頂戴しております。
いや、よくよく存じております。
正式な着付けでないことは重々に承知なのです。
でも、気楽に着物を楽しみたいな~と思っているのです。
フォーマルな場においてはキッチリとすることは僕も多いに同感です。
むしろお衣やお袈裟の着付けなどは人一倍にうるさい方でもあります。
しかしながら、日常においてはジーンズの用に気軽に楽しみたいと思っております。
あんまり、
「本来の着物とは!」
と、言い過ぎると、
”着物めんどくせー”
と、なってしまいそうなのです。


蒸し暑いのでブログを放置してました。嘘です。寒いころから放置です。

浴衣を買いました。
もう、夏場は浴衣で過ごします。
飲みに行くのも浴衣でいきます。
そして下着は基本、褌です。
この二つのコンビネーションにより通風性は抜群です。
なにはともあれ褌と浴衣で今年を乗り切ります。

脱立体裁断。
あきる野本願寺の事務棟エントランスはナウでオシャレなオールガラス仕様。
掃除のために開け放していたら、雀氏が迷いこんできました。
大きく開いてある部分から、飛んで出れば良いのに、雀氏の目からはガラスというのがわからないようで、あっちにぶつかり、こっちにぶつかり。
怪我をさせてはいけないと助けようとする僕を睨む雀氏。

まさに燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんやであります。
そして、なんとか開口部分に誘導して、そこから近くの樹まで飛んだ時にはホッといたしました。


僕の眼から見れば、ガラスの部分から外が見えてもそこから出ることができないのは当たり前にわかることです。
しかし、雀氏の眼からはガラスの部分も、開口部分も「同じように外へ出る事ができる」と見えたのでしょう。
ちなみに此の話を法話の譬喩として使う際は僕にビールを一杯おごりましょう(笑)

なにはともあれ、エントランスに戻って雀氏の置き土産たる「糞」を多数発見した際は、雀氏を捕まえて焼鳥にしてやろうかと思った所が僕が凡夫たるところです。
なんまんだぶ。
B級グルメとなると今や人気コンテンツで、我が大月市にも「おつけだんご」というB級グルメがあり、各地で活躍をしていることであります。
たしかに高級なものではないが、むしろ他人に披露をしたくなるような味わい、それがB級グルメなのかもしれません。

ただ世の中には他人に知られたくない、ちょっと恥ずかしい「味わい」というものがあるかと存じます。
それは自宅などにおいて、ひっそりと食され、決してその存在を表に出すことが無い……。
そういったC級グルメというものが誰にもあることかと存じます。
某グルメ漫画でも、バター醤油ライスやソースライスといったグルメが紹介されていました。



もちろん僕にも有ります(`・ω・´)
その中でも、ムダに体力を消費しまくり、万年飢餓状態であった我が青春の10代後半に愛食していたのが、「ごま油ご飯」であります。
温かいご飯にごま油と味の素を少しかけるだけというレシピもへったくれもない一品。
しかし、ごま油の旨味でいくらでも食べることができるのです。
部活後の夕方のオヤツ(焼そばパンとトマトジュースがお気に入り)から、晩御飯までというわずかな間もお腹が保たない僕にとって、思いついたら、すぐに食べられることができるメニューとして、とても優秀な一品でありました。

つい最近にふと思いついてやってみました。
ただ、味の素ではく牡蠣醤油で味を整え、ネギなどを散らした大人のごま油ご飯でしたが(笑)
ごま油の芳醇な香りが楽しめ、実に良いツマミとなりました。

ただ思い返せば、常に見透かしたように温かいご飯を用意していてくれたのは母親でありました。
温かいご飯があるのを当たり前のように貪り食らっていましたが、決してそれは恥ずかしいグルメでなく、母親の思いのつまったグルメであったと、何十年も経って気づくことでありました。
なんまんだぶ。