至極どうでも良いビールの話。 | 坊さんとして暴走してます。No Buddhism , No Life!

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どうも、あいも変わらずアッチの居酒屋、こっちの酒場を彷徨う僕です、ご機嫌よろしゅう。

僕はお酒が好きですが、まったく詳しくありません。お酒に関する蘊蓄というものが全く無いのです。凄く高級なワインを飲んでも、反応は「うまい」ぐらいしかありません。川島なお美さんからみたら悪鬼のごとくな存在であります。といって、なんでも良いわけではありません。ウマい、マズいの判別はあるのです(笑)お酒に対しての希少性や背景にある物語、歴史なんかにあまり興味が無いだけでして……。そこらへんを少し詳しくなって、ワイングラス片手に薀蓄を語ることのできる大人になりたいと感じおります。すいません、嘘です。

さて、お酒にこだわりの無い僕ですが、ビールについてこだわりがあります。凄いですね、この朝令暮改的な文面。こだわりといっても味とかではありません。

「居酒屋では瓶ビールを注文する」ということです。
今まで「とりあえず生中×人数分」が定番の僕でしたが、瓶ビールの持つ「昭和感」を見なおしてみたいと思ったのです。
冷えた瓶ビールで一緒にいる人達に「まぁ、一杯」とお酌をする。
そう、この「お酌」というのがジョッキではでき無いのです。
「まぁまぁ一杯」というコミュニケーションツールとしての瓶ビールの魅力です。

しかもジョッキは少し量が多い気がしていたのです。最初の一杯ならなんとか飲み切れますが、2杯目以降ぐらいからは、なにか、最後の方が味気の無い感じがするのです。
瓶ビールならば、数人で飲んでいれば常に「フレッシュ感」を味わえる気がするのです。

また一人で飲む時でもジョッキにはない「手酌感」があります。
そのコップに注いで飲むという行為が、一人飲みをしているという感覚をさらに際立たせるのです。
コップに注ぐ。これ自体も昭和なのです。映画「幸せの黄色いハンカチ」で出所してすぐに入った食堂で生ビールのジョッキをグビグビやっていたら、健さんの演技が光りません。
ふるえながらコップを持って注いでもらうのが、なんとも言えないのです。

ということで瓶ビールからコップに注いで飲む。この昭和感にこだわりたいのです。
とはいいつつ、目の前に生中ジョッキがあったら、サクッと飲んでしまうぐらいのこだわりですが。