の続き。
●高松駅→高知駅
今回の旅に限らず、基本的に私が旅行をする時は、何か必ず目的があります。
目的の無い、単なる気侭な旅はしません。
無駄に時間を潰すのが勿体無いと思ってしまうからです。
ですから、電車の中にいる時は、ずっと漫画の下書きを描いてました。
27日朝起床。
前日に、高知行きの電車が何時発なのか事前に調べ、
それに合わせてビジネスホテルを出ました。
高松駅からは、通勤サラリーマンが続々と出て来ました。
そういえば、世間は平日でした。
↑高松駅前にて、”親切な青鬼くん”像。
朝なんでしょうがないと思うんですが、逆光です。
童話『泣いた赤鬼』(浜田廣介)と関係があるのだろうか?と思って調べてみたら、
”泣いた赤鬼”の親友だそうです。
高知行きは、特急しか無いのでしょうか?
各停もあるとは思うんですが、多分乗り換えとかするのかも?
でも、何行きがどうとか全く分からない。
なので、高くは付きましたが、高知行きの特急に乗りました。
高知駅に着く少し前辺りから、雨が降り出してきました。
携帯電話で天気を確認すると、その日は高知県は一日中雨だとのこと。
大丈夫か?
四国の電車に乗っていてやたらと目に付いたのは、『アンパンマン』の広告です。
作者のやなせたかしゆかりの地ですからね。
高知駅にも、人形なども用いたアンパンマンの豪華な広告がありました。
↑高知駅の大きな階段踊り場にて。
「これでもか!!」なアンパンマン尽くし!!
それにしても、高知県の中心地の駅の割には、電車は1~4両位の編成で、
思っていたよりも意外と小さいホームが2面4線しかない。
土讃線しか通っていない。
しかも、パンタグラフ用の電線も無く、皆ディーゼル車だったのが驚きでした。
(別にバカにしてはいません)
ネットで後日確認したところ、電気で走る路面電車(土佐電気鉄道)はあるそうですが。
●高知駅→佐川駅
最終目的地へは、土讃線に乗って窪川方面へ向かいます
(その窪川という所もどんな所なのか知りません)。
私が乗ったのは、確か1両編成だったかな?
まずこの電車の料金支払いシステムに戸惑いました。
佐川駅で降りる時、高知駅からの乗車料金を運転手に支払うのですが、
改札口ではどうするのか訊いた所、無人だから素通りするだけだとのこと。
でも、お昼に電車に乗ろうとした時は、駅員がいて駅で切符を買うんですね。
何か紛らわしいと思いました。
初めての人は戸惑うと思います。
これって、多度津とか高松方面から来た人はキセル出来てしまう様な気がするんですが、
大丈夫なんですか?
電車内では漫画の下書きをひたすらしていましたが、不思議な事が起こりました。
佐川に近づくにつれ、何故だか段々と晴れてきたんですね。
天気予報では一日中”雨時々曇”の筈なのに。
私が佐川に滞在していた間だけ佐川は晴れていたのか?
↑佐川駅
●佐川
佐川駅から『西谷文庫の世界展』を開催している青山文庫へ向かう途中、
”小江戸ストリート”とでも呼びたくなる様な道を通ります。
江戸時代の土蔵みたいな建物とかが残っていて、風情があってとても癒されました。
”司牡丹酒造”というのがこの辺りの名物らしい。
また、竹村家の建物というのが2軒国の文化財に指定されています(うち1軒は重文)。
この、私が小江戸ストリートと勝手に名付けた通りの只中にあります。
見るからに真新しく見える近所の小さな公園(ベンチがあるだけだが)も、
江戸時代の建物を意識した様な感じにデザインされていました。
●青山文庫『西谷文庫の世界展』
アウトサイダー翻訳家、西谷退三の所蔵していた厖大な書籍の一部
(ダーウィンの”種の起源”、杉田玄白の”解体新書”など)や、
彼の『セルボーンの博物誌』の翻訳原稿、彼を描いた油絵などが展示されていました。
西谷の履歴についても紹介されていましたが、
それまで知っていた情報とのズレを幾つか発見しました。
「死後原稿が発見された」みたいな記述を見た事があるので、
ヘンリー・ダーガーみたいな人だと思っていましたが、
アウトサイダーには違いありませんが、生前も出版に向けた努力が払われていたので、
ヘンリー・ダーガー的ではありません。
やはりというか、余り入場者が期待できない展覧会だと思うので、
カタログの類は作られていませんでした。
でも、肖像写真が小さく出ているパンフレットは入手。
それと、展示されていた肖像画の色彩を思い出し、
アクリル絵具で水彩風の肖像画を自作する。
西谷退三紹介記事 にその絵を追加。
常設展も見ました。
佐川は意外と歴史的に重要な役割を担った人を数多く輩出しているというのが
分かりました。
また、牧野富太郎の描いた植物図も、実はこの時初めて見たんです。
有名人なので、敢えて積極的に見たいとは思っていなかったので。
でも、どんな感じなのか見れて良かったです。
↑元青山文庫
元々は、須崎警察署佐川分署として建てられ、それが図書館として川田文庫に払い下げられ、
田中光顕(宮内大臣)の雅号『青山』を取って青山文庫となる。
現在、青山文庫は移築されています。
●西谷の名水
青山文庫を後にしたあと、西谷退三の旧家を訪ねました。
牧野富太郎の生家跡からほんの歩いて直ぐに、西谷退三の旧家があるとは驚きでした。
西谷退三の旧家は現在全く関係無い方が住んでおられる上に非公開でもあるため、
一切声は切掛けず、プライバシーを考えて撮影も遠慮しました。
その代わり、その斜め向かいにある『西谷の名水』を撮影しました。
柄杓は下げてあったんですが、水は溜まっていたものの泉は湧いていなかったです。
なので、怖くて飲めませんでした。
枯れてしまったんだろうか?
↑土佐の名水 西谷の清水
小さな洞窟の中には澄んだ水が溜まっていたんですけど、水は溢れ出ていなかったです。
元は泉がコンコンと湧き出ていたのだろうか?
それとも時期によって出たり出なかったりするんだろうか?
元からこういう感じなんだろうか?
漏斗と柄杓が下げてありました。
撮影を終え、「これで終了した」と思った矢先、雨が降り出してきました。
近所のおばさんと思しき人がいたので、西谷退三について訊いてみたところ、
直接は知らないけど西谷の旧家の事はご存知のようでした。
↑牧野富太郎生家跡近くの小さな公園にて。
何と、司牡丹酒造は黒鉄ヒロシの実家だったんですか?
その上、『管弦楽のためのラプソディ』(シンプルに”日本狂詩曲”すればいいのにと個人的には思う)
を作曲した、指揮者として有名な外山雄三の父も佐川ですかい!?
帰り際、前述の司牡丹酒造の直営店『ほてい』で、清酒やミニ半纏などを購入。
朝にお茶を飲んだだけだったので、腹ごしらえをしようと思ったものの、
佐川駅周辺にまともに食堂らしきものが見当たらない。
『あそこ食堂』という、”VOW”のネタになりそうな名前の食堂がありましたが、
営業しているのかどうか不明。
駅の反対側までは探さなかったが。
思えば土讃線には、『ハイスクール鬼面組』に出てきそうな名前の駅が幾つかあります。
『大歩危』(おおぼけ)『小歩危』(こぼけ)『御免』(ごめん)など。
駅前の喫茶店で食事を摂る。
●佐川駅→琴平駅
用事を済ませたらさっさと家路につこうと思いましたが、
高知駅から出ている特急には乗らず、各駅停車に乗りました。
もしかしたら、その日のうちに帰り着ける可能性もあったとは思うんですが、
28日に愛☆まどんなの母が経営している店の番を愛☆まどんなが木曜日に
担当している上、同じく木曜日に歌舞伎町の芸術公民館の担当がChim↑pomなので、
旅行帰りにそれらに立ち寄ろうと調整しようと思った意味合いもあります。
行き当たりばったりで各停で行けるところまで行こうと。
でも、もう一つ目的が出来ました。
ライト兄弟に敗れた栄光なき天才、こと二宮忠八を記念した記念館である
『二宮忠八飛行館』が琴平駅からタクシーで10分程の所にあると
携帯からのネット検索で知り、そこで泊まろうと思いました。
横山松三郎と同じくらい、私はこの人が好きです。
しかし、水、木曜日は定休日なので、観に行っても閉まっています。
とりあえず場所だけは把握しておこうと思いました。
●琴平
着いたのは20:00くらいなんですが、やはり地方だからかもう殆どお店が閉まっていて、
腹ごしらえの場所を探すのに苦労。
雨も降っていました。
ラーメン店を見つけ、塩バターラーメンを注文。美味い。
おでんもやっていたので食べてみれば良かった。
折り畳み傘を持ってきたつもりだったのですが、荷物が多くてバッグの中から中々
見つけられない(もしかしたら忘れたのかも?)でいると、店の主人が傘を貸してくれました。
ありがたや~!!
勿論、翌日琴平を発つ時に返却しました。
琴平は、海上交通の守り神、金刀比羅宮ゆかりの地だそうです。
名前はどこかで聞いてはいたものの、内容まではよく知りませんでした。
また、温泉の名地でもあるため、旅館がいっぱいあります。
しかし、初めての場所なのでよく分からない上、
恐らく大半が予約制ばかりなのか入り口が閉まってばかりで、
飛び込みで来た私はちょっと不安でした。
でも、川沿いにビジネスホテルを何とか見つけ、部屋が空いているかどうか尋ねた所、
大丈夫だとの事で、そこで宿泊。
(つづく)
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