西谷退三(Nishitani Taizō, 1885-1957)
アウトサイダー翻訳家:翻訳界のヘンリー・ダーガー?
(The Outsider Translater, The translater version of Henry Darger?)
本名・竹村源兵衛
明治18年、高知県高岡郡佐川村(現・佐川町)に、
代々続いた薬種問屋の長男として生まれる。
札幌農学校に在学中、植物学の講義で使用された
ギルバート・ホワイト(Gilbert White, 1720-1793)の
『セルボーンの博物誌』(The Natural History of Selborne)に魅了された。
同校をニ年程で中途退学。
帰郷すると、長男であるために家業を継ぐが、商売には興味が無く、
番頭などに代わりを頼み、自らは趣味に没頭していたという。
1923年(大正12年)までに『セルボーンの博物誌』の翻訳(第1稿)を済ませていた西谷は、
実証的に検討しなければならないとの思いから、同年叔父に家業を譲り、
欧米遊学の途についた。
(『セルボーンの博物誌』の翻訳は、1939年からではないかとの情報もあり)
『セルボーンの博物誌』に関係する書籍80冊ほどを収集したほか、
セルボーン村にギルバート・ホワイトの足跡を訪ね、墓石の拓本を採る事すらした。
帰国後、『セルボーンの博物誌』の翻訳に生涯を捧げるため、故郷の西谷に隠棲する。
”西谷退三”というペンネームは、1942(昭和17)年頃から雑誌「動物文学」に寄稿
する際に名乗った様だが、「西谷に退く(隠棲する)」という意味合いが
込められているものと思われる。
手に入れた書籍を細密に検討し、自らの註釈も加えながら訳出に努めた。
実は、1946年に出版の話が出ていたものの、頓挫。
1952年にも、池田書店からの出版が決定。
蔵書を売る事で出版費用を賄おうとしたようであるが、
その後も原稿の推敲を重ねたようで、死の数日前に決定稿が完成したという。
生前彼は、雑誌に時々寄稿したり書画を蒐集している隠棲者と見られていたが、
『セルボーンの博物誌』の訳業については、極親しい僅かの者しか知らなかった。
子供の頃は腕白だったようだが、晩年は”優しい物静かなおじさん”と
言われていたようである。
独身を貫き、清廉で高潔な生涯を閉じたあと、同郷の友人にして
江戸川乱歩を発掘し横溝正史を育てた事で知られる森村雨村(編集者:小説家)
の尽力によって西谷翻訳による『セルボーンの博物誌』(1958,200部)が出版された。
西谷の1万点程の厖大な蔵書は、死後佐川町が一括購入。
『西谷文庫』として佐川町の所有となった。
佐川町は、森村雨村のほかにも、植物学で知られる牧野富太郎など、
数多くの著名人を輩出している。
【資料】
青山文庫
http://sakawa-kuroganenokai.org/sub/history/people_in_history.html
http://www.eonet.ne.jp/~pitta-selbornian/selborne-6.htm
http://www.mystery.or.jp/kaiho/0512/tantei.html
※情報源により、内容のズレあり。これで正しいかは断言出来ません。
「売れたい」「モテたい」「認められたい」というのは、一般的な人間として当たり前の
感覚かも知れませんが、そういうのを超越して生きている人が世の中にはいます。
そんな人に対して一般的な感覚の人は「そんな事をしてどんな得があるの?」
と思ったりします。
一般人は、損得でものを考えますからね。
だからこそ、損得で行動しない超然としている人というのは、見ていて感動します。
アウトサイダーアート:アール・ブリュットに感動するのは、
そういった所があるからというのも理由の一つとしてあると思います。
(作品だけでなく、生き様そのものもアートみたいな所がありますし。)
自らの利益の事を考えて行動する人は、悪いとは言いませんけど、
姑息さ厭らしさを感じてしまいます。
そういうのが分かりますよね。
確かに、この手の人の中には、自分本位な人もいます。
ヘンリー・キャヴェンディッシュ(Henry Cavendish)とか、
ボー・ブランメル(George Bryan Brummell)とか。
結局のところ、人からどう見られようとお構い無しに
自分の信念を貫いている所が感動を呼んでいるのかも知れません。
一般人は、妥協したりしますから。周囲に合わせようとしますから。
不良を気取っている人だって、皆似たり寄ったりの恰好をしますもんね
(ダサいと言われるのを極度に恐れる卑屈性を感じます)。
それから、自己顕示欲というのも無かったりします。
そういうのも見ていて感動します。
●翻訳界のヘンリー・キャヴェンディッシュ?三松正夫?伊藤若冲?
話を西谷退三に戻します。
実は、西谷よりも先に『セルボーンの博物誌』の和訳版を出版している人がいます。
山内義雄によるもの(1948)や、寿岳文章によるもの(1949)など。
どちらも、1945年以前には翻訳を終えていたようですが、
戦争の影響で戦後に出版せざるを得なかったらしい。
でも西谷は、1923年の時点で既に翻訳を終えていたらしい。
出そうと思えば出せたと思うのですが、もっと完全性を求めるために、
家業を譲って現地へ調査に赴くという徹底ぶり。
しかも、あくまで個人で。
クーロンよりも先に『クーロンの法則』を発見し、
オームよりも先に『オームの法則』を発見したにも拘らず、
生前に全くそれらを発表しなかったヘンリー・キャヴェンディッシュのようです。
また、山内義雄や寿岳文章は大学の教職を勤めましたが、西谷は在野です。
アマチュアながら昭和新山の研究に生涯を捧げた三松正夫にも似ています。
家業に身が入らず、趣味に没頭し、妻を娶らない所は、伊藤若冲に似ています。
●ギルバート・ホワイトもそれなりの人だった!!
『セルボーンの博物誌』を著したギルバート・ホワイトとはどんな人物なのか?
故郷セルボーンで副牧師を勤める傍ら、
少年時代から興味を抱いていた博物学の研究に殆どの時間を費やした。
弟ベンジャミン(Benjamin)の伝手で知り合った
博物学者のトマス・ペナント(Thomas Pennant)とデインズ・バリントン(Daines Barrington)に、
その研究の成果を20年間にわたり書き送り続けた。
1789年に、弟ベンジャミンの手によってその書簡がまとめられ『セルボーンの博物誌』
として出版された。
彼の研究は、当時の標本主義の博物学とは対照的に、
自然観察に重点を置き、歴史や風土などと共に日記形式で記録した点が特徴。
それが、現在まで『博物学の古典』とされる所以らしい。
ネイチャーライティング(nature writin)の元祖と目され、
エコロジーの先駆とも看做されているらしい。
ギルバートは、聖職の職務を必要最小限果たす他は、自然観察に熱中していたらしい。
大人になっても純粋さを忘れない所が感動的です。
しかも、生涯独身の隠棲者という所も、西谷退三と共通します。
西谷は、ギルバート・ホワイトの生まれ変わりか?と思ってしまいます。
●奇遇
1958年に、私家版として僅か200部のみ出版された西谷版『セルボーン』ですが、
1992年に八坂書房から復刊されていたらしい。
その八坂書房ですが、このエントリーの一つ前のエントリーで紹介した
J.J.グランヴィルの『花の幻想』も八坂書房からの出版なんですね。
それから、埼玉県立近代美術館で
『アール・ブリュット・ジャポネ』展(L'exposition d'Art Brut Japonais.)
が4月9日に開催されるのですが、同日に、
佐川町立青山文庫にて『西谷文庫の世界』展も開催されます!!
『西谷文庫の世界』展開催
場所:佐川町立青山文庫(高知県高岡郡佐川町甲1453-1)
会期:2011/4/9(土)-6/26(日)
休日:月曜日
http://www.town.sakawa.kochi.jp/bunka_kanko/seizanbunko.html
●追記
そういえば、原宿のラフォーレ・ミュージアム(LAFORET MUSEUM)で、
『ヘンリー・ダーガー展』(2011/4/23-5/15)もやるんでした。
●お詫びと訂正(2011.4.30)
4月27日に、『西谷文庫の世界展』を見る為に青山文庫へ足を運びました。
西谷退三についての情報をもっと得たかったためです。
この旅行については後日ブログで描く予定です。
この確認作業によって、それまで得ていた情報との食い違いを幾つか見出しました。
欧米遊学の前に家業を畳んだと記述していましたが、
実は叔父に家業を譲ったというのが正解のようです。
それまでに見た資料だと、「家業を整理した」だの「家業を畳んだ」だのといった
記述ばかりで、叔父に譲ったという記述は見ませんでした。
それから、1945年頃に初めて、極親しい僅かの者に翻訳作業の事を話したそうです。
同年には農地改革によって田畑の多くを失いました。
蔵書を売ったり病気に悩まされていたりもしていたそうで、
決して幸せとは言えない隠遁生活であったようです。
1946年には出版をする話が出ていたそうですが、頓挫してしまったそうです。
1952年にも出版する事が決定したそうですが、「死の数日前に完成」
とある事から、その後も度々原稿の推敲を行っていたと思われます。
「死後に原稿が発見された」といった記述も見られるため、
てっきりヘンリー・ダーガーの様な状況だと思ってしまいがちですが、微妙に違うようです。
以上を踏まえて文章を修正しました。
●画像追加(2011.5.5)
4月27日に青山文庫を訪れた時に戴いたパンフレットに掲載されている西谷退三の
肖像写真や、『西谷文庫の世界展』で展示されていた肖像画の色彩を参考に、
アクリル絵具で水彩風肖像画を制作。
【関連エントリー】
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(20年ぶりの再会)
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フランスのアウトサイダーアーティスト
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