令和5年の初詣は、沖縄の普天満宮へ行きました。
★本日の教訓★
それぞれの立場で、
なるようになる、かな
*・°∵*,・∵*
初詣へ行って来ました。
シタと私は、
現在の家に引越してから コロナ禍前まで、
例年、とある有名なお寺にお詣りして
ミニだるまを買うのを
恒例としていたのですが、
人が多くて面倒で足が遠のき、
(本音は、不倫女の自宅が近くて行きたくない)
昨年末、シタの出張のついでに
出雲大社まで出向き、
厄祓いをして戴いたので
ググって見つけた出先の神社に
お詣りだけしたら気が済みました。
それでも地元では有名なお社らしく、
お詣りの行列は境内の外まで伸びていて、
並んで自分の順番を待つ間、
他の参拝客、、家族連れなどを
ウォッチング
足が疲れて不機嫌な子。
はたまた、フワッと、
あらぬ方向へ歩き出す子。
ヨチヨチ歩きの子供達が
抱っこをせがむ様子と、
それに応じる若いパパママを見て、
あー、自分もそうだったなぁ…と
少し懐かしい気持ちになりました。
他人事ながら、、ずっと仲良く、
家族一緒でいて欲しいなぁ…
*・°∵*,・∵*°
大晦日、私の子供達は
前夫の実家へ
泊まりに行ったようです。
長男は、近々入籍予定の彼女を連れて、
元義母に挨拶をしに。
時節柄、盛大なお式はしなくとも
ケジメはケジメ。
次男は、元義妹夫婦に年金搾取されている
元義母を心配して、様子を見に。
元義父が亡くなってから
荒れ放題の家に独り住まいの様子を見て、
密かに心を痛めてる。。
前夫が同行していたのかどうか
聞いていないので、わかりません。
*・°∵*,・∵*°
■父親の不倫や両親の離婚を
子供達にどう知らせるべきか問題について
離婚係争中、小中学生だった二人の子供達も
今や成人しており、私は子供達と、
前夫とその家族との付き合いを
本人達の自由意思に任せています。
私自身は、今後も元家族とは一切関わる気持ちはありません。
しかし、子供達にとって血縁は血縁。
元義妹を筆頭に、離婚係争中、あれだけ私を敵視していた元義家族ですが、離婚して10年以上経ち、元義母にも後悔を残さず会える内に会っておくべきとの考えから、自由に交流させています。
よそ様のblogなどを読むと、ある程度大きければ、別かもですが、特にお子さんが幼かったりすると、子供の前では痩せ我慢して泣かない、とか、夫婦のトラブルについてはっきりと伝えない方が多いように感じます。また、離婚後の面会交流も含め、親の身勝手で子供を振り回すべきではないとの考えなのかな?
私は、前夫の女遊び発覚から離婚までの全てを、子供達には隠さず丁寧に話し、家族をどうするかについて3人で相談して決めました。
ウチの場合、下の子は 小学校低学年でしたが、
いくら幼くても
子供達も 家族の一員
自分の大切な家族や家庭について
蚊帳の外に放置され、
【何も知らない】ことが、
逆に子供の心理的不安を煽り、
不安定に繋がると思ったからです。
だって子供達も 当事者だから
子供達としても、相談もなく親から一方的に結果だけを押し付けられるのではなく、自分で自分の家族のあり方について選択する事が出来るので、後々の後悔や失望、不安が減り、また事実を事実として受け入れられるようになり、納得ができるように思います。
離婚するとの結論を出すのには1年かけました。
子供にとっての1年は、結構長いですよね。
三人で何度も相談して、納得した上で、最終的に『パパから離れよう』と決めました。
上の子は、パパを”見守る係”となりました。
また、子供達に相談することは、
子供達にだけでなく、
親にもメリットがあると感じました。
私自身は問題を一人で抱え込まずに済みました。
そもそも離婚して子供から父親を奪うのか、とか、離婚後の生活はどうするのか、とか。その辺の友達や両親、カウンセラーに相談するよりよっぽど頼りになったかも。
何かと精神的に不安定になりがちな親(私だけでなく前夫をも)を、子供達はそれぞれの立場から随分と支えてくれ、
親は早々に『立派な親』を演じることから脱することが出来ました。
かと言って、それは『親である事を放棄』するものだとは思いません。
子供達にとって 両親が
【入籍してようが離婚しようが】
親である事に変わりはなく、
そこさえ揺らがなければ、
大丈夫
例え、ヘタレな母親、
女癖の悪い父親であっても。
長男は、今や頼りにならない前夫以上に一家の長。
次男は、昔から敵を作らない、誰からも好かれる子でしたが、その才能を遺憾なく発揮して親族間のコーディネーターとして機能しています。
成長と共に離れて暮らすようになった今、改めて感じるのは、離婚が、離婚をしたからこそ改めて家族としての絆を考える良い機会となったこと。「家族」というものが空気のように当たり前にあった時にはなかった、お互いへの思いやり、本当に困った時にこそ支えあって生きて行けるようになったこと。
おかしな話ですが、離婚して以降の方が、より強固な関係性を築けたように思います。つまり、うちの場合、親の離婚が子供達自身の成長や自立に繋がり、上手く”着地”出来たように思います。
家族の機能不全に陥らせる事なく、離婚を子供達の、人生におけるマイナス点にしない
子供達は、常に、しっかり両親の背中を見ています。
*・°∵*,・∵*°
ちなみに親権は、子供達と相談の上、
長男が父親、
次男は私が持ちました。
ご存知の通り、前夫は有責配偶者ですが、
これまた意志の弱い男なので、
子供2人を奪う事は 自暴自棄になって
責任逃れ=養育費の未払い等
(仕事を放棄するとか自殺するとか)に
繋がると思いました。
名字についても、
単純な“兄弟平等“ではなく、それぞれの考えに添い
長男は、前夫の名字をそのまま使い、
次男は、成人を期に、私の旧姓への変更しました。
離婚当初、前夫の姓で私が新戸籍を作って入籍する事で兄弟同じでした。
直ぐに変えなかったのは、子供達の心理的負担を軽減する為だけでなく、
前夫が、名字が違うだけで『俺の子じゃない』とか言い出しかねない人でしたので、養育費対策もありました。(事実、戸籍が違うだけで経済的な差を付けられたり、次男だけ誕生日を無視したりされました。)
次男が私の旧姓を選んだ理由は、そんな前夫の仕打ちや、離婚後に私の両親と密に関わり、実家で暮らした経験も大きく影響していたと思います。
つまり、事実上、子供は
二人ともが自分の意思で
自らの名字を選んだ事になります。
後日聞いたところ、前夫は、次男が自分の名字を捨て私の苗字を選んだ事に少なからずショックを受けていたようです。
*・°∵*,・∵*°
昔と違って?子供のクラスメイトにも
数人は同じような境遇の子がいて、
その子の性格にもよるかもですが、
友達とお互いに情報を共有したり、
ウチの場合は、兄弟同士で
親について二人で考えを話し合ったり
友達の親御さんや、
周りの大人も気を遣ってくれたり。
幸運にも恵まれていたと思います。
何より…こんなポンコツな親を見て育ったので、
二人とも男の子ですが、
これらの経験が反面教師となり
父親と同じ過ちは
きっと起こさない‥と思う
*・°∵*,・∵*°
元旦早々に、またシタから不倫女への
メール送信履歴がありました。
律儀に?あけおめメールと思われますが、
ここまで来て、本当に病的…。
私も元旦の朝から不安発作が爆発したので、
その前か後かはわかりませんが、、
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