さて、続編です。
古い船としての私の旅も、その魂に私が名付けた「宇宙船自分号」の旅も続きます。
誰もが究極の意味では「永遠の旅人」だと、私は確信していますが、あなたはどうですか?
永遠の旅人だという自覚があれば「死」でさえも、ある意味ではひとつの通過点であり、ここに天国や地獄などの宗教的な固定観念も入り込めません。
朝があり、昼があり…そして夜があり、また朝が来ることに似ています。
その中に熟睡という完全な「無」の状態があります。
私に言わせたら「死」も「無」も、熟睡のようなものです。
熟睡から目覚めても、それまでの記憶はありますが、「死」の後でまた生まれた場合はある有難い理由で記憶は無くなっています。
私のように「非業の死」という、何千年か前の記憶が甦る人は、ある意味では相当「業の深い人間」なのかも知れせん(苦笑)
輪廻はあればあったで良し、無ければ無いで良し!!
これが私の基本的なスタンスです。
あるなら「因果律」という法則の中でそれが起きるのであって、苦しむ為でもなく、逆に責任逃れにもならない筈です。
他の命を軽んずる人間が 、その宗教でいうところの天国に行けるほど、出鱈目なシステムではありません。
そして、もし輪廻が本当に無いとしたら苦しむ実体である「私」というものが無いことになります。
あればあったで良し、無いなら無いで良し!!
まぁ、これが魂は「永遠の旅人」だと捉える、アモン流の死生観です。
旅人にはなかなか完成や完璧はやっては来ません!!
私を見れば分かる筈です(笑)
学び続けるしかありません、成長し続けるしかありません。
そして、それも含めて遊び続けられたら…と、そんな気の長い永遠の旅人の話は此れにて!
それでは、また近いうちに!!