光は存在しても、闇はその光の不在でしかなく、実体も構成要素もないという話…いよいよ佳境に入ります。
五億年の間、全く光の届かなかった洞窟の奥から、ある特殊な装置や最新のテクノロジーを駆使して、闇の中の闇と言っても過言ではない特別な「闇」を持ち出した実験者がいたとします。
それを実験室で開けて、その構成要素やエネルギーを測定出来ますか?
実験室でその闇を閉じ込めた筈のカプセルを開けた瞬間!?
闇は何処へ?
さぁ、闇が確かに存在しているのであれば、こんなことになるでしょうか?
光の不在という以外に、何の構成要素も根拠もなく、虚構そのものと言うしかありません。
一方、光は今のところ最小単位とされるフォトン(光子)という素粒子で構成される電磁波の一種です。
可視光線と言われる、赤外線と紫外線の間だけが我々の目には見えているということです。
ところが、この光…目には見えないところにも存在しています。
コズミックレイ(宇宙線)という光の粒子が、この地球上に常に降り注いでいることをご存知でしょうか?
私が30年ほど前に読んだジョージ・レオナードの「サイレントパルス」という本にそのことが詳しく紹介されています。
肉眼では見えなくても、ある特殊な感光フィルムのその痕跡は、まるで光のダンスだと著者は表現しています。
しかも、インドの「シヴァコズミックダンス」は、この光のダンスを直感的に捉えたものだとも言及している、なんとも柔らかな感性の持ち主でもあります。
さぁ、光こそが本質的なものであり、闇は単なるその不在でしかないという話…ガッテン!して頂けたでしょうか?
ところで、仏教用語の「無明」と「光明」も、そのことを現している可能性があります。
光明だけが本質的で自然な姿であり、無明や煩悩は「闇」とよく似た虚構だという大胆な仮説!?
煩悩も原罪も、宗教を奨励する側の都合のいい捏造だという仮説!?
光の存在証明は可能でも、闇の存在証明が不可能だとすれば、私の大胆な仮説もやがて「光」を浴びる日も来ないとも限りません!
まぁ、その頃に私が生きている可能性は極めて低いとは思いますが…(苦笑)
さぁ、次回はどんなところに光が当たるのか?
今のところ全く「闇」の中…五里霧中です(笑)
それでは、また近いうちに!!