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哲句の2016年バージョンが始まって、もう1ヶ月は経つでしょうか?
今になってい分かることですが・・・やはり初期の頃に比べて、解りやすさやその伝わり方において明らかな違いがあるように思います。
それは我ながら、穴があったら入りたいというような心境でもありますが逆に言えば、私もそれなりに成長し続けていることの証・・・まぁ、そんな風に受け止めるしかありません(笑)
さて、そんな訳でいつものように今日のこの句の包丁さばきの開始です!
偉くなる それと幸せ それは別・・・
それが幸せかどうかは別にして、偉くなりたいと望んでいる人の数は相当のものだろうと思います。
そのための学歴や親の七光りや、本人の努力や何かの犠牲により、その目指していたステータスが手に入る人はふつうに考えたら、幸せでない筈がありません。
ところが・・・昨今の様々なニュースの例を持ち出すまでもなく、そんな恵まれていた筈の誰もが幸せな人生にならないのが、この世の中の常ではないでしょうか?
さぁ、この句はそんな幸せになるかならないのボーダーがどのあたりにあるのか?そこに迫ろうとしたものです。
その人の個性や器に関係なく、誰もが偉くなることを目指すことへのアンチテーゼでもあります。
社会的地位や年収に関係なく、人それぞれの幸せがあるように思うのは私だけでしょうか?
Sサイズがちょうど似合う人が、Lサイズのものを着ても、そしてその逆もまた然り。
簡単に言えば、そんなことだろうと思います。
私はもちろん、貧乏の方が幸せだと言っている訳ではありません。
少なくとも私は・・・これ以上の貧乏は御免こうむりたいというのが本音です!(笑)
但し・・・何がなんでもお金を儲けたいとか、偉くなりたいとか有名になりたいという、そんな執着で生きている訳でもありません。
まぁ、本当にやりたいことをコツコツと続けて、そしてやがてはそれをプレゼンなり発表をして、少しでも認められたり収入になれば、偉くならなくてもそんなに有名でなくても・・・それは間違いなく私自身の幸せに繋がるということです。
私のような規格外の生き方であろうとなかろうと・・・人それぞれの幸せの形はきっと何万通りでもある筈です。
人になるべく迷惑はかけず、出来るものなら人から喜ばれ・・・未来に希望を持ち、食うに困らなければ、どんな仕事だろうが社会的地位だろうが幸せは案外そんなに遠くのものではないように思います。
それを決して忘れず・・・私は私なりのもっと高いステージを目指すつもりです。
矛盾?
いや、私には執着はないものの・・・このままではなくて、どうしてもやらねばならない大きな志しがあります。
個人的な幸せだけでは満足しないカルマ(業)かも知れません(笑)
それでは、今日はそろそろこの辺で!
偉くなる
それと幸せ
それは別。
~アモンの哲句より~