新世紀のキーワード「悪口は 七つ八つの 子供でも」 | 慧アモンの和可知愛フォーラム

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居酒屋あたりでのサラリーマンの会話の大半は、悪口や陰口のように思うのは私だけでしょうか?

仕事を終えてせっかくの自由時間が、そんなことに使われている理由が私には分かりません。

基本的に私は、大勢でガヤガヤ飲むような場はあまり好きでないので、差しめし差しのみで有意義な時間を過ごそうと思うタイプです。

長いものに巻かれることの、そのすべてが悪いとは言いませんが・・・長いものに巻かれてばかりの人に陰口や悪口が多いのではないでしょうか?

時には長いものに巻かれた振りぐらいは、私にだって無い訳ではありません。

但し、私の場合はあくまでも振りであって長いものだろうが、大きなものだろうが・・・譲れないものは譲れないという、熱い想いを秘めての意識的な行動です。

そのせいかどうかは分かりませんが、悪口や陰口は言うのも聞くのもあまり好きではありません。

何故なら、本人のいない場での発言は誉め言葉でもない限り、とんでもない尾ひれがついてしまうからです。

私自身、そんな尾ひれの濡れ衣から・・・人生の歯車が狂った体験さえあります。

直接に本人から聞いたことでない限り、私は噂話くらいにしか受け止めていません。

悪口は 七つ八つの 子供でも・・・

この句のように、悪口なら七つ八つの子供でも本人のいない場でなら言えるのではないでしょうか?

むしろ・・・誉め言葉こそ、本人のいない場の方がより印象に残る可能性があるようにさえ思います。

七つ八つの子供でも出来ることよりも、七つ八つの子供では簡単に出来ないことに・・・そんな想いから一句でした。



悪口は


七つ八つの


子供でも。



~アモンの哲句より~