あまり失敗や挫折の体験が無い人・・・つまり転んだことの無い人は、どちらかと言えば味の無い人が多いように思います。
ところが・・・転んだだけの人も、私はあまり好きにはなれません。
自己嫌悪や強烈な反省ならまだしも、自己嫌悪を取り越して自己卑下のような状態が慢性化している可能性も考えられます。
そして三番目の、転んだこともありそこから起き上がった人・・・味のある人とは概ねそんな人だろうと思います。
味になる 転んで起きる そのことが・・
もちろん、誰しも転ぶことが目的ではない筈です。
確かにそうだとは思いますが、転ぶことが怖くて、あまり自己主張も冒険やチャレンジもしない人・・・味が無いように思うのは私だけでしょうか?
人がどう思うか評価するかがメインテーマになっている人生にどれほどの価値があるのか?あるいは充実感があるのか?
転んでは起き、転んでは起き・・・これを何度も繰り返して来た私には、何か勿体ない生き方にも思えてなりません。
転ぶのも起きるのも、結局は自分の責任であり自分の自由意志がすべてを決めているように思います。
そんな私も・・・実はひとつだけ悔しい想いがあります。
それは、何度も転んで何度も起きて来た私ですが・・・どう数えても今現在、転んだ数よりも起き上がった数の方が、たったひとつだけ少ないという事実です!
さぁ、これは大問題です!(笑)
私が簡単には死なない理由も、このあたりにあるのかな?と、自分でも思うくらいです。
人の味も、人の器も実は生まれながらにして決まっている訳ではなく、転んで起きる転んで起きる・・・そしてまた、転んで起きる。
そんな繰り返しの中で、何かが磨かれたり成長するように思えてなりません。
やりたいことをやって成功したらそれも良し、そのことで転んだらそれも良し。
夢やチャレンジの無いチマチマとした常識人にだけはなりたくはない・・・そんな想いからの一句でした。
味になる
転んで起きる
そのことが。
~アモンの哲句より~