私には、男の子がいません。
そして、女の子も・・・どうしたものか、こちらもやはりいません。
早い話が・・・子供も孫も更には隠し子に至るまで、私には自分のDNAを受け継ぐ存在はないということです。
そんな私が、子供に関して何か個人的なリアルなことを語れる筈はありません。
ところが・・・今日のこの句は、どうしても子供に関することに触れない訳にもいかない、そんな句を選んでしまいました!
私は子供が産まれた時の感動も、育てる中での苦労も・・・当然ですが何も知らないことになります。
もちろん、子供とは云々などという一般論や理屈を語るのは愚の骨頂だろうと思います。
では、今日はこのまま何も書かずに早寝でも・・・それではなんだかシリキレトンボのようで寝付きが悪そうなので、さらりと本題に入ります。
子供たち ただそれだけで 宝物・・・
子供たちのいない世界を、あなたは想像したことがありますか?
私は時々、かなり真剣に想像する方ですが、一言で言えばゾッとします‼
自分の子がいるとかいないの話ではなく、この世界に誰の子であれ子供たちがいるからこそ、我々は何処かで安心しているように思います。
つまり子供たちがいることによって大人たちは、未来にもこの世界は続く筈だと・・・そんな基本的な安心感を得てはいないでしょうか?
では、子供たちはただ単純に未来なのか?
私は少し違うようにも思います・・・子供は大人が通過してきた、様々な体験を現在進行形で体験しています。
ある意味では、子供は大人から見れば過去という面も否定は出来ません。
さぁ、子供は未来であり過去でもある・・・ところが、私に言わせたらもうひとつあると言えば驚くでしょうか?
子供は今ここにいることに関しては、ほとんど誰もが天才です。
大人のように、カレンダーやスケジュール表の中に、思考が駆け巡ることはない筈です。
泣くのも笑うのも・・・当然リアルタイムであって、誰が見ているとかはあまり重要ではないように思います。
未来、過去、そして今・・・これは大人たちにとっては時間という概念に繋がるとは思いますが、子供たちはどうやらそんな世界に生きてはいないように思えてなりません。
自分の子供がいなくても・・・私のようにこの世界に子供たちがいるだけで、ただそれだけで宝物と感じるのに、実は一円のお金も掛かりません。
哲学のアモンとは言うものの、私が如何に思考を離れたところから世界や様々なことを、感受性から受け取っているのか・・・今日のこの句で、少しでも分かって頂けたら幸いです。
私は子供たちから、たくさんのものを頂いて来ました。
残りの人生で、少しでもお返しが出来たらと・・・そう思っているところです。
それでは、また近いうちに!
子供たち
ただそれだけで
宝物。
~アモンの哲句より~