さて、続編ですが・・・私はもちろん禁欲主義者でも、その反対の快楽主義者でもありません。
快楽の追求もストイックも限度を越えたら当然ですが、この世離れや昨今のニュースのように、身を滅ぼすことさえあり得るのではないしょうか?
さぁ、そんな訳で前回の最後のあたりで登場した登る修行と下りる修行の話です。
普通に考えられる修行とはどういうものかと言えば、身を清め行いを正し伝統的なメソッドに従う・・・これが如何なる宗教であっても、共通するところだろうと思います。
不殺生や非暴力はもちろんのこと、肉食を避けて酒や煙草を止め・・・更に性的な行為も行わずというのが、定番と言えば定番かも知れません。
簡単に言えば、これはカルマの法則の観点から理に敵っているということで、もちろん私にも異論のないところです。
但し・・・これをある一定の段階を過ぎても続けた場合、私自身の体験からもこの世離れのような状態になりかねません。
涅槃、彼岸・・・天界、そんな世界に吸い寄せられることをご存知でしょうか?
三十代の頃の私は、実際にそんな状態に何度かなったこともあります。
一般的な意味では、宗教的な修行などはしていない私がそんな体験の持ち主だと言っても、普通は信じられないとは思いますが・・・
私が如何に深い瞑想を、長時間に渡り行っていたのか?
その道の専門家でなければ分かって貰えないような、そんな特殊なサンプルだろうと思います。
それでも私が、あの世に逝かなかったということは・・・実は、不殺生と非暴力以外の戒律のようなものの逆も試したと言えば驚くでしょうか?
つまり私は、肉も酒や煙草も・・・そして異性との真剣な恋愛も、すべてカルマの法則の反動が来ない程度に下りるための加減をしたということです。
私が形式よりも、その本質を大切にする理由もこのような体験から来ているのかも知れません。
この下りるための行法に言及している人物と言えば、バグワン改め・・・後のオショウ・ラジニーシひとりだけのように思います。
実は、あの仏陀も長い間・・・そのような下りる修行をしています。
もちろんその中身は、人それぞれでしょうから・・・私にも具体的には分かりませんが・・・。
晩年の仏陀は、弟子たちの間で様々な超能力や奇跡の話題になり、仏陀自身の超能力を訊ねられた際こう語っています。
「私は今こうして、普通に生きています・・・実は、これこそが最大にして最後の奇跡だということを覚えておきなさい」
自分ひとりだけが涅槃に赴く前に、なるべく長い間この裟婆で生きる・・・これこそが真の意味での慈悲ではないでしょうか?
ところで私は、下りる修行を何年か続けているうちに、下りるよりも速いスピードで・・・簡単に言えば落ちてしまった人間です(笑)
さぁ、そんな落ちた理由やその後の這い上がるプロセスや、今現在の哲学に至るまでの話は・・・どうやら続編の続編という流れのようです。
それでは、また近いうちに!