「修行の場と遊びの場」続編パートⅡ | 慧アモンの和可知愛フォーラム

慧アモンの和可知愛フォーラム

哲学、アート、次世代の価値観

  
  

このシリーズの完結編・・・総括編、そんな予定ではいますが、果たしてそんな流れになるかどうか?

以前にも書いたように、私はイメージトレーニングは散歩の時などに限らず、寝ても覚めても自然に行っていることは確かですが、起承転結を予め決めて書いたりはしません。

さぁ、そんな訳で前回の下りる修行どころか、落ちてしまったという理由から・・・。

簡単に言えば気の過剰交流、俗にいう受けるという状態が尋常ではなかったことが、その主な理由のように思います。

二十年近くも超ハイテンションで、超人とか天国の住人と言われながら、個人セッションや瞑想の指導をしていた訳ですが、最後のあたりでは身も心もボロボロだったことだけは、鮮明に覚えています。

もちろん、その当時としては出来る限りの対処法は試みてはいました。

丹田の気を練る、赤やゴールドの物を身に付ける、パワーストーンを使う、浄化のための呼吸法・・・それこそいいと思うことは何でもやってみました。

但し・・・私の体型や体質の特徴から、アナハタ、アジナ、サハスラーラという上のチャクラから信じ難いほどの気のエネルギーを放出することで知られていた関係で、いつの間にか心身のバランスを大きく崩すことに・・・。

そして、典型的な拒食症やパニック障害・・・あの世紀末の頃には、もうほとんどゾンビでした!(笑)

今でこそ食べものや浄化の方法や気を練る方法も含めて、そのような心配は全くないという情報もスキルもありますが、あの時代に死んでなかったことの方が奇跡だったとさえ思います。

あの地獄のような日々も、それ以前の天国のような日々も・・・今となっては、そんなこともあったなぁ・・・と、今はそんな普通の?日々を送らせて頂いているところです。

今の私は、天国の住人でも地獄の住人でもなく、そのちょうど中間の・・・そう!中国人です!(笑)

生きてさえいれば、それが何処であれ修行の場という私の言わんとするところ・・・少しは分かって頂けたでしょうか?

では、もうひとつの遊びの場とは?

もちろんこれも、私には特別の場所がある訳ではありません。

様々な理由で、今後の私はもう一度かなりストイックな生活・・・つまり登るための修行を始めようと思ってはいますが、それでも遊びの精神も忘れたくはありません。


何故なら、深刻の一歩手前で戻って来なければ、元も子もなくなってしまうからです。

ストイックも行き過ぎると、バランスを崩してしまう可能性も否めません・・・そして遊びも快楽も度を越せば、身を滅ぼすことになりかねません。

だからこそ・・・何処に居ようとも修行の場であり遊びの場という哲学に至ったと言えば分かりやすいでしょうか?

もちろん私の言うところの遊びは、お遊びやオチャラケや暇潰しではありません。

この人生という舞台で、文字通り命懸けで遊ばない限り・・・私は生きた心地がしないという、そんな業の深い人間なのかも知れません。

数奇な運命や業の深さでさえ学びの材料であり、真剣な遊びになり得るというところで・・・このシリーズを終わらせて頂きます。


それでは、学びも遊びも大切に!