激動の時代のキーワード「修行の場と遊びの場」 | 慧アモンの和可知愛フォーラム

慧アモンの和可知愛フォーラム

哲学、アート、次世代の価値観

  

修行の場と言えば、あなたはどんな場所を思い浮かべますか?

高野山や比叡山・・・あるいは何かの道場あたりでしょうか?

そして、遊びの場と言えば、ディズニーリゾートやお台場や六本木あたり・・・あるいは何処かのゲームセンターという人も多いのかも知れません。

さぁ、そんな修行の場と遊びの場・・・実は私にとっては、その二つの境界線などは存在しません。

つまり、この現実の何処に居ようとも、それは修行の場であり・・・その反対の遊びの場でもあると言えば分かりやすいでしょうか?

確かに、この裟婆の世界を修行の場と捉えるストイック人も少なからずいるものです。

そしてもう一方では、快楽の追求こそが最大の幸せという、俗に言うエピキュリアンも多いように思います。

もちろん私も、最初から今のようなハイブリッド人間ではなく・・・ある時期に限ってはかなりストイックな生活を送ったこともあります。

誰とも会話することもなく、読書以外には一日中ヨガのアーサナや瞑想に明け暮れた日々も、何ヵ月かあったほどのストイックな面も・・・。

道行く人たちからは、まるで山に籠っている修行僧か仙人を見るような目で、じろじろみられたことも!(笑)

確かに一日に何時間も瞑想をすれば、当然オーラから何から・・・普通の人間とは少し?違ってきます。

更に、私の場合は風貌が風貌です・・・かなり贅沢な生活をしていても(遡ること二十年?)一切の無駄を削ぎ落としたような、そんなストイックな人に周りからは見える・・・らしいのです。

そんな私の体験から、ある一定期間はストイックな生活も不可欠だとは思います。

但し・・・ものごとには限度やバランスというものがあるのも事実です。

私に言わせたら、ふたつの全く方向性の違う修行があるように思います。

ひとつ目は当然、彼岸に向かう・・・つまり登るための修行のことです。

一般的には、これだけが修行と思っている人が多いのではないでしょうか?

さぁ、そんな登るための修行だけを続けたとしとら・・・実は、本当に彼岸に行ってしまいます!

簡単に言えば、この世には居られなくなるということ・・・つまり死んでしまうということです(笑)

そこで・・・彼岸に行くのはまだ少し早いかな?と思う人のために、もうひとつの下りるための修行があるということです。

それはどんな修行かと言えば・・・また改めて続編という流れのようです。


それでは、また近いうちに!