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さて、続編ですが・・・このシリーズの最終便の予定です。
そもそも私が何故、十牛図を今回の題材に選んだのかと言えば、あの十牛図は何も仏教とか禅の世界だけのものではなく、すべての道に通じる典型的な要素を秘めたものだからです。
八番目の頂上を極めるためのプロセス・・・つまり道を極める目安なのに、そこで終わらないところに重要な意味があるように思うのは私だけでしょうか?
伝統芸能や落語や芸術の世界にも、八番目の頂上を極めた名人は数多くいますが・・・そんな正統派とはまた別に、破天荒な一般常識からはみ出したような人物も少なからずいるものです。
例えば・・・日展などの有名な作家に対して岡本太郎氏のような存在は私に言わせたら、まるで十牛図の最後の布袋さんのように思えてなりません。
玄人受けはするものの・・・一般的にはあまり好かれもしなければ、理解もされません。
音楽や映画の世界でも、あるいは料理人や職人の世界でも、必ず破天荒な型破りの人は少なからずいるのではないでしょうか?
そんな人を理解するのには、それなりの時間・・・いや、年月が必要なことは言うまでもありません。
十牛図の八番目の体験がない人には、十番目あの布袋さんのような笑いは不気味にすら映る可能性があります。
但し・・・私は、十番目のあの布袋さんのように昼から腹を出して酒を飲もうとは思いません。
禅の十牛図はあくまでも目安に過ぎません。
私には私なりのやり方があり、あなたにはあなたのやり方がある筈です。
そして更に、この人生では何回か・・・あの十牛図のサイクルを歩む可能性もあると言えば驚くでしょうか?
光明や悟りに関しては、多くの人が無自覚の固定観念を持っているように思います。
簡単に言えば、それで完璧な人間になる筈だとか、神の領域に達する・・・あるいは仏様のような存在だとか、何処かで刷り込まれて来ているのでないでしょうか?
あのゴータマ・シッダールタという仏陀も・・・神の独り子と言われたイエスも、実はそのような存在ではなく私やあなたと全く同じ人間です。
さぁ、こんな大胆な発言が唯の思い込みではないことを、今から証明しようと思います。
「悪魔よ去れ!」
二人とも、このような発言が光明を得て間もない頃にあることをご存知でしょうか?
私に言わせたら、これも魔境の一種であり・・・彼らはそのような内面の葛藤を乗り越えて来たことを意味しています。
普通のマインドトリップよりも、遥かに強烈なマインドトリップが光明の後で待っていることの証明のようなものです。
そして普通のマインドトリップとは、彼らのような存在は人間離れした、雲の上の存在だと決めつけてしまう固定観念と言えば分かり易いでしょうか?
私がイエスや仏陀を信じるでもなく、崇拝するでもなく・・・ただただ心からリスペクトするという意味が、少しは理解して頂けたでしょうか?
敢えて十牛図にもうひとつ付け加えて、何の図柄も言葉も残さなかった理由もここにあります。
十一番目は、誰もがその人なりの自由な図柄と言葉を選べば・・・それこそが世界でひとりだけの仏陀ということで、このシリーズは終わらせて頂きますが、早くも次のキーワードが降りて来ました。
ある意味では、今回の続きのようなものかも知れません。
「迷っても仏、悟っても人間」
それでは、次回も世界でひとりだけの仏陀であるあなたの、またの訪問を心からお待ちしています。
合掌。