「世界でひとりだけの仏陀」続編 | 慧アモンの和可知愛フォーラム

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 今回のこのシリーズは、基本的には十牛図を題材にしながら展開してはいますが、今日は旧約聖書の失楽園の登場です。

これがアモン流の特徴であることも、既に折り込み済みではないでしょうか?

タイトルが示す通り、誰もが世界でひとりだけの仏陀として生まれて来ている筈なのに、何故ほとんどの人はそのことを忘れてしまい・・・歩がそのまま金であることに気づかないのか?

不思議に思う人も多いように思います。

実は、これが失楽園という本来の意味でもあります。

つまり、分別がつくと同時にエデンを追われるということが、民族や宗教に関わりなく人間ならば誰にでも起きているということです。

もちろん私は、これを原罪とか煩悩と捉えている訳ではありません。

そこがエデンであれ何であれ、一度失われない限り我々はその価値や有り難さに気づかないから・・・これが真相だと言えば分かり易いでしょうか?

お金の苦労が全く無い人が、お金の有り難さには気づかないようなものです。

私に言わせたら、悟りでさえ何か特別な奇蹟という訳ではなく、本来の当たり前のことに気づき直すことに過ぎません。

但し・・・その体験の直後では、天地がひっくり返ったような感動や神秘の連続に、誰もが冷静さを失うことは言うまでもありません。

俗に言う超能力や霊感まで備わったりするものです。

さぁ、そんな状態を禅の世界では「手の舞い足の踏むところを知らず」と表現します。

平たく言えば・・・酔っぱらいのようなものです!(笑)

この状態は普通の人から見れば、正に奇蹟の人で神がかり的にも見えます。

様々な宗教が誕生する理由も、実はこのあたりにあると言っても過言ではない筈です。

魔境という特殊なマインドトリップの、最も危険性の高い時期でもあります。

悪魔も鬼も、地獄も祟りも・・・このような時期に多くの人が実際に見たり体験したりはしますが、私に言わせたら所詮は特殊なマインドトリップです。

では、普通のマインドトリップと特殊なマインドトリップの違いは?

そして更に、その対処法などにも言及しなければなりません。

やはり・・・また続編という流れでしょうか?

それでは、また近いうちに!