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経営者向け60秒ブログ

北九州市内で社会保険労務士の仕事をしています。このブログは中小企業の経営者を応援するために書いています。そのほか、自分自身の勉強のためと、社会保険労務士の業界振興のためにも書いています。

■ 黒字、赤字は世間から誤解を受けている

 

 先日、社労士の支部総会に出席しました。ほかの団体でも同じ位置づけだと思いますが、総会はその団体で最も重要な会議体になります。ちょうど国における国会のようなものです。総会では運営にかかわる重要なことが議論されますが、その中に予決算の議事も含まれます。支部の予決算では費用を大目にみて赤字の予算を組み、最終の決算時点では黒字になるようにしているようです。最終黒字の方が、なんとなく見栄えもするから、ということでしょう。

 

 こういった収支に対する感覚は支部に限った話ではなく、世間に広く浸透していると思います。というより、それ以外の感覚を持つ者はかなり少ないと思います。つまり「収支が黒字である」ことが善であるという感覚は、広く世間に受け入れられており、そこに疑問の余地はないと思われているいうだろう、ということです。

 

 中世欧州の修道院では労働は神のための奉仕だと考えられており、苦しみを伴うことそのものに意義を見出し、利益を得て楽をすることは腐敗につながることとして忌避されていました。皮肉なことに私欲を捨てて懸命に働けば働くほどに修道院は大きな利益を得て、腐敗の原因を作り、それに辟易した信徒たちが新たな荒地を探して開墾することを繰り返していたようです。

 

『修道院は好んで荒れた土地、人々が耕すこともできないような荒蕪地に建設されることが多かった。たとえばシトー派の修道院の成立の状況をみてみよう。もともとはシトー派の人々はクリュニーの修道院に属していた。クリュニーの修道院は、世俗的な権力と結びついた教会のありかたに飽き足らない人々が、イエスのような暮らしをしたいと考えて設立したものだった。しかし信徒の寄付と遺産相続によって、この修道院は巨大な富を築くようになる。このクリュニーの修道院の世俗的なありかたに失望して、一一世紀末に二一人の修道士たちが、荒れ地の「木やイバラを切り倒して」(08)、シトー修道院を建設したのだった。彼らは「俗世間からの分離、物質的な利益および放縦からの解放」を目指した。しかしこの修道院もまた、「購入と贈物によって財産を増やし、苦心の開拓によって資本を蓄積」(09)するようになり、やがては世俗社会の一部になってしまう。修道院の歴史では、ほとんどつねにこの逆説が反復される。修道士たちは「辺境での土地の開墾」と「大規模な田園農業を実行」(10)することで、巨大な富を蓄積してしまい、世俗化する 。そしてこれに飽きたらない修道士たちが独立して、別の修道院を建設し、そこで禁欲的な労働に励む。しかしこれがまた富を蓄積させ、内部に腐敗をもたらすのである。(労働の思想史、中山元)』

 

 ・・・現代日本人では、しっかりと利益を上げることは組織の健全さの証拠というだけでなく、その利益は組織の価値かのようにして語られます。それが社労士会支部のような任意団体においても同様の価値観が持ち込まれているため、常態として黒字化し、繰越金が累積することにつながるのです。

 黒字化することが目的なのではなく、黒字(というか収支均衡)は組織が存続する上での条件です。黒字化が健全なのではなく、赤字が常態化することが不健全なのです。赤字決算が続けばいずれ資産が尽きて運営がままならなくなる、ことは事実ですが、その事実をもって黒字化を続けることが運営の目的だとういう説明にはならないということです。

 

● 現代日本人は黒字化することこそが正しいことだと思っている

● 中世欧州の修道院では利益が上がることが葛藤の材料となっていた

● 黒字であることは目的ではなく、条件である

● 赤字が常態化することが不健全

 ■営業利益5000万円はすごいことなのか?

 

 営業利益5000万円・・・なんとなくすごい気がする。ふだん目にしない大きな数字だから。

 

 しかし、これがすごいかすごくないかはこれだけではなんともいえません。気になるのは組織の大きさです。組織の規模によってまるで印象が異なります。社員10人の会社であれば、1人が1年かけて500万円を稼いだことになりますが、5000人の会社であれば、1人が1年に1万円しか稼いでいないことになるので、むしろ虚しい数字に見えてきます。

 

 とはいえ、一般的に大企業の方が給料は高めですし、社員の数だけでもなんとも判断できません。

 そこで気になるのが、社員の給料です。上記のたとえで言うなら、5000人の企業の社員が高級取りのか、薄給なのかで企業の印象は異なります。高級取りであれば、営業利益が上がらなくても仕方ないともいえますが、薄給でなお且つ企業に十分な利益が上がっていないとなれば、その会社の将来は暗いといえます。

 

 これを数値にする方法が労働生産性です。営業利益+人件費+αで付加価値額を求めて、それを人数(または時間)で割ることで求められます。人数で割ると、パートタイマーはどうするのか?とかパートでもほぼフルタイムのような社員はどうするのか、とかいうメンドウなので、ザックリ全員の労働時間で割るとわかりやすいと思います。

 社長さんの中には売上げと経常利益だけ見て、決算を終わらせる方もいると思いますが、それだけで組織の中身を知ることはできません。特に人口減少が加速するこれからの時代、少人数でもしっかりと利益の上がる組織作りをすることが重要ですし、数値で理解するうえで労働生産性欠かせない指標となるでしょう。

 

 ちなみに昨日は組織の大きさは組織の強さを表さない、と言う話をしましたが、この労働生産性という指標は組織の強さを知るひとつの手がかりになると思います。労働生産性があがっていくことはピータードラッカーに言わせれば『より完全に近づく』ことでもあります。

 

営業利益5000万円はすごいことなのか?

 ●社員数で大きく異なる

 ●社員の給料が多いか少ないかも影響する

 ●労働生産性がその指標になる

 ●これからの時代は労働生産性が重要なキーワードになる

(昨日に引続き)

 

『外の世界への奉仕という組織にとっての唯一の存在理由からして、人は少ないほど、組織は小さいほど、組織の中の活動は少ないほど、組織はより完全に近づく。組織は、存在することが目的ではない。種の永続が成功ではない。その点が動物とは違う。組織は社会の機関である。外の環境に対する貢献が目的である。』(ドラッカー、プロフェッショナルの条件 はじめて読むドラッカー(自己実現編))

 

 このドラッカーの比喩は秀逸だと思います。私たちは組織について考えるとき、大きくなることが強さの象徴であるように錯覚しがちです。孫子は『寡は衆に敵せず』と、戦で勝負する上で数の多さは重要であることを説いています。戦においては目的は明確で、相手を無力化することで、近代以前においては数がものを言ったこともうなずけます。しかし、現代の経済社会において、組織の構成員たる人が多いことは、コストが大きいこと以外は、直接何も意味しません。せいぜいそれだけ売上げがあるだろうことと、それだけ貢献しているだろうという推測ができるだけです。

 しかし現代の経済社会においても、組織の大きさは強さであり、正しいことであると考えている人は多いように感じます。これはそういった心理に対する警告だと言えるでしょう。ドラッカーはあくまで組織の存在意義を、組織そのものではなく、『貢献』に焦点を当てているので、表現もこのようになっています。

 

 人は少ないほど組織は小さいほど完全に近づく、という言葉に続けて、存在することは目的ではなく、また種の永続が成功ではないとも言っています。個人においては生体を維持して、種を残して永続を願うことは正しくても、組織においては存在すること自体も永続をはかることも正しいとはいえないのです。つまり私たちの生物的な直感と組織の論理は異なるといえます。

 

 組織の存在意義は社会に対する貢献にある一方で私たち動物である人間は別の動機に突き動かされます。組織を大きくしたいとか、組織を永続させたいとかいうのは、動物的で本能的な動機との誤認によるものです。そういった誤認が生じることを自覚することがまず重要になると思います。

 

組織拡大の前に知っておくべきこと

●社員数の多さは組織の強さを示さない

●私たちは社員の多さを強さだと錯覚しがちである

●錯覚の根本には動物的な直感がある

●組織の存在意義は社会貢献にある