経営者向け60秒ブログ

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北九州市内で社会保険労務士の仕事をしています。このブログは中小企業の経営者を応援するために書いています。そのほか、自分自身の勉強のためと、社会保険労務士の業界振興のためにも書いています。

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■ 本は読まずに、繰り返し聞け

(昨日に引続き)

 

昨日は利潤動機の話から、虚栄心の話を続けました。虚栄心の話で思い出したことを書き留めておきます。

私は移動時間を読書の時間に当てています。Kindleという電子書籍を使って読んでいます。Iphoneにはテキストと読み上げ機能がついているので、画面を二本指でスワイプすると本も読んでくれます。これを利用すれば、通勤時間の片道15分、往復30分、そして職場とお客さんのところへの移動時間などを合わせ週に5時間程度、読書の時間を捻出できます。5時間あれば1冊程度の本は読めるので、月に数冊の本を特別な時間を作らずに読むことができます。

自称読書好きのある男に、この機能を説明したところ「私はコレクションするのが好きだから、そもそも電子書籍を利用したくない」と回答されました。たしかに電子書籍は本棚に並べることはできません。物理的な制約を受けないのが、電子書籍の強みです。彼にいわせれば本は読むというより、並べることに価値を感じるのでしょう。これではインテリアであってもインテリジェンスとはいえません。

また読書好きがよく「月に何冊読む」という具合に定量的に表しますが、(実際、私もそう書きましたが)、重要なことは何を知ったかであり、何冊読んだかはほとんど意味を持ちません。あくまで参考的な数値にしかならないのです。

特に強調したいのが、良い本は何度も読むべきだし、つまらない本は途中でやめるべきだという点です。私はピータードラッカーが好きで、何度も読んでいますが、いったい彼の考えをどこまで理解しているのか疑問です。だからこそ、何度も読みたいとも思えるともいえますが。わかっているのは彼の主張はとても啓発的で、重要な指摘をしているということくらいです。読んだその瞬間は感動と共に記憶しても、それを人に話して説明するほどに理解することは難しく、それを自分のものにして具体的な行動に移すことは更に困難を極めます。

彼の名前は世間によく知られ、本もよく売れてよく読まれていますが、理解されているかは疑問です。彼の本を読んだと言う人に何人かお会いしていますが、話が弾んだことなどありません。せいぜい「読んだ」という程度のもの同士で語れることなどないのです。これは何もドラッカーに限った話ではなく、良い本はたくさんありますが、読むことに重点を置いても何も得るものはないということです。せいぜい本を読むという知的な行為をやっていることに自己陶酔するか、先ほどのインテリアのように本棚に並べて満足するか、くらいでしょう。

私も30代半ばを迎え、自分の生活を満たすだけでは満足できないと感じています。知識を得るだけでも満足できません。いつかはその知識が活かせるように自身も本を書き、読み手を感動させ、価値観を転向さることをもって社会に貢献したいと思っています。

 

● 本は目で読まず、耳でも読める(Kindleとiphoneを活用)

● 本は読むことではなく知ることに重点を置く

● 良い本は繰り返し読む

● 読んで、理解して、自分のものにするまでには大きな溝がある

■ ブランド男は優れているのか!?

 (昨日に引続き)

 

 昨日は利潤動機が誤解を与えていることについて話をしましたが、そもそも利潤動機という神話はどのような裏づけを持っているのか考えてみます。企業ではなく、個人を想定して話を考えて見ます。例えばランボルギーニに乗って、ロレックスの腕時計をはめ、ダンヒルのスーツを着ているブランド男がいたとします。

人はそのブランド男がそれを買うだけの充分な収入があることを想像します。そしてそれだけの収入を得られるということはそれだけ価値のある重要な仕事をしているだろうと想像します。その重要な仕事はきっと社会に貢献していることだろうと想像します。そして、よりよく社会に貢献するその人間的な価値に対しての賞賛の気持ちが、その人の高評価につながるのでしょう。その表象的にあらわれたブランド物に投影された人格への賞賛と羨望が、いつしかそのブランドそのものへの賞賛と羨望に代わっていったのでしょう。

 しかしこの風が吹けば桶屋が儲かるようなロジックはかなり不安定で、いくつもの違ったストーリーが想像できます。例えば、この男は金持ちの息子ボンボンで本人の収入は全くない場合がありえます。この場合、彼に対する人間性は再評価され、性格が悪ければ、むしろブランド物が悪印象にすら感じらることになるでしょう。次に、彼が自身の稼ぎでブランド物を買っているけど、マフィアのような仕事をしている場合もまた人間的な再評価を受けることになります。社会貢献ではなく人の不幸の上に立つ豊かさなどは、稼ぐというより収奪といった方が適切かもしれません。結果として人間性をマイナス評価されることになります。

 結局、そのブランド物からはその人格を遠目に推測しているだけで、一致しないことは暗に理解されています。そして、実力以上にブランド物を見につけたりして、周囲によくみられたいという気持ちが自身の内にあることも、誰しも共通するところでしょう。

 

『・・・しかしながら、集団生活を営むようになると、私たちは、生活にとって必要な水準以上の富、そして社会的地位を求めるようになる。私たちが富と地位への「野心」(a m b i t i o n)をもつのは、富や地位の便利さ、快適さのためだけではなく、それらを手にすることによって得られる他人からの同感や称賛、あるいは尊敬や感嘆のためである。スミスは、このような野心の動機を「虚栄」(v a n i t y)と呼ぶ。虚栄とは、自分の本当の値うち、すなわち胸中の公平な観察者が自分に与える評価よりも高い評価を世間に求めることである。私たちは、自分が富や地位に値する人物になるよりも前に、それらを獲得することを欲するのである。富と地位に値することよりも、それらに与えられる世間からの称賛を優先させるといってもよい。私たちは、このような虚栄にもとづいて、より大きな富とより高い地位、そして他人よりも大きな富と高い地位を手に入れようという野心をもつのである。個人のこのような行動は、かぎられた富と地位の獲得をめぐって、個人間で競争を生じさせるであろう。競争は、人間が孤立して生活するならばもたなかった野心──虚栄心──を集団生活の中でもつことによって引き起こされる。社会秩序の基礎と同様、野心と競争の起源は、他人の目を意識するという人間の本性にあるといえる。(アダム・スミス『道徳感情論』と『国富論』の世界(中公新書))』

 

 この実力以上によく見せたくなる心情を虚栄心といい、人間の弱さの部分だとスミスはいいますが、一方でそれを排除すべきと言わなかったことはスミスの大きな特徴だといえます。彼はこの弱さこそが、経済の原動力だと話を続けるのです。私も自身の内にあるこの虚栄心を排除し抑圧しようとまでは思いませんが、それが虚栄心という弱さであることくらいは知っておくべきだと思うのです。

『弱さ』と表現すると道徳的で抽象的な感じがしますが、言い換えれば、理解の『誤謬』のようなもので、ついブランド男を人間的に優れた男と勘違いしてしまい、また自身がそのブランド男となり周囲を勘違いさせようとする内なる心理のことをいっているのです。

 

● ブランド男は優れている男、、、かもしれない

● ブランド男になりたいのは自身の弱さである。これを虚栄心という

● スミスはこれを指摘したが、この虚栄心を悪者にはしていない

■ 企業の目的は「利益追求」ではない

(昨日に引続き)

 

 黒字であることは、組織運営の条件であり、組織の目的ではないというお話をしました。組織を運営する上で、赤字を続けていればいずれ立ち行かなくなるから、最低でも収支トントンである必要があります。しかし、それは条件であって、黒字化することは目的ではなく、黒字の幅を大きくする、言い換えれば利益を増大させることもまた組織の目的ではないということは特別強調する必要がありそうです。

 

 商売の原則は「安く買って高く売り、その差額を増やすこと」と理解されています。完全に間違っているとは言わないとしても、それは物事の一側面でしかなく、ちょうど円錐のシルエットを見て、コレは丸だと主張するようなものだと思います。

 

 『企業とは何かと聞けば、ほとんどの人が営利組織と答える。経済学者もそう答える。だがこの答えは、まちがっているだけでなく的はずれである。経済学は利益を云々するが、目的としての利益とは、「安く買って高く売る」との昔からの言葉を難しく言いなおしたにすぎない。それは企業のいかなる活動も説明しない。活動のあり方についても説明しない。利潤動機には意味がない。利潤動機なるものには、利益そのものの意義さえまちがって神話化する危険がある。利益は、個々の企業にとっても、社会にとっても必要である。しかしそれは企業や企業活動にとって、目的ではなく条件である。企業活動や企業の意思決定にとって、原因や理由や根拠ではなく、その妥当性の判定基準となるものである。(中略)しかも、利益のために事業をしているということから、彼がいかなる事業をいかに行っているかは知りえない。利潤動機なるものは、的はずれであるだけでなく害を与えている。この観念のゆえに、利益の本質に対する誤解と、利益に対する根深い敵意が生じている。この誤解と敵意こそ、現代社会におけるもっとも危険な病原菌である。そのうえこの観念のゆえに、企業の本質、機能、目的に対する誤解に基づく公共政策の最悪の過ちがもたらされている。利益と社会貢献は矛盾するとの通念さえ生まれている。しかし企業は、高い利益をあげて、初めて社会貢献を果たすことができる 。(マネジメント[エッセンシャル版]ドラッカー)』

 

 企業の目的は安く買って高く売りその差額を増やすことだと、世間は考えますが、ドラッカーは企業の目的を達成するためには経費がかかるため、それに見合う収入が必要である、という形で企業と収入の関係を理解しています。ドラッカーは利益についてはこう述べています。

 

 『利益とは、原因ではなく結果である。マーケティング、イノベーション、生産性向上の結果手にするものである。したがって利益は、それ自体致命的に重要な経済的機能を果たす必要不可欠のものである。①利益は成果の判定基準である。②利益は不確定性というリスクに対する保険である。③利益はよりよい労働環境を生むための原資である。④利益は、医療、国防、教育、オペラなど社会的なサービスと満足をもたらす原資である。(同上)』

 

 利益に対する見方を改めない限り、事業の本質的な議論には及ばないのだと思います。儲かるのなら何の商売でもいいのか?といえば、そんなはずないわけで、自分や組織が社会的にどんな意味があり、どんな意味を持たせていくのかを真剣に考える経営者がこれから必要とされます。

利益追求ではなく事業の本質を考えるという点で、ドラッカーが多用するフレーズがあります「われわれの事業は何であり、何であるべきか」です。これは苦境に陥ったときのみならず、常に問い続けないといけない命題と彼は言います。

 

『あらゆる組織において、共通のものの見方、方向づけ、活動を実現するには、「われわれの事業は何であり、何であるべきか」を定義することが不可欠である 。(チェンジ・リーダーの条件はじめて読むドラッカー)』

 

● 企業の目的は利益追求ではない

● 利益を出すことは最低限の条件であり、企業の指標であり、リスクへの原資であり、次の取り組みの原資である

● 利潤動機は誤解を与えている

● 企業の意味を定義することは、重要な仕事である