■ 本は読まずに、繰り返し聞け
(昨日に引続き)
昨日は利潤動機の話から、虚栄心の話を続けました。虚栄心の話で思い出したことを書き留めておきます。
私は移動時間を読書の時間に当てています。Kindleという電子書籍を使って読んでいます。Iphoneにはテキストと読み上げ機能がついているので、画面を二本指でスワイプすると本も読んでくれます。これを利用すれば、通勤時間の片道15分、往復30分、そして職場とお客さんのところへの移動時間などを合わせ週に5時間程度、読書の時間を捻出できます。5時間あれば1冊程度の本は読めるので、月に数冊の本を特別な時間を作らずに読むことができます。
自称読書好きのある男に、この機能を説明したところ「私はコレクションするのが好きだから、そもそも電子書籍を利用したくない」と回答されました。たしかに電子書籍は本棚に並べることはできません。物理的な制約を受けないのが、電子書籍の強みです。彼にいわせれば本は読むというより、並べることに価値を感じるのでしょう。これではインテリアであってもインテリジェンスとはいえません。
また読書好きがよく「月に何冊読む」という具合に定量的に表しますが、(実際、私もそう書きましたが)、重要なことは何を知ったかであり、何冊読んだかはほとんど意味を持ちません。あくまで参考的な数値にしかならないのです。
特に強調したいのが、良い本は何度も読むべきだし、つまらない本は途中でやめるべきだという点です。私はピータードラッカーが好きで、何度も読んでいますが、いったい彼の考えをどこまで理解しているのか疑問です。だからこそ、何度も読みたいとも思えるともいえますが。わかっているのは彼の主張はとても啓発的で、重要な指摘をしているということくらいです。読んだその瞬間は感動と共に記憶しても、それを人に話して説明するほどに理解することは難しく、それを自分のものにして具体的な行動に移すことは更に困難を極めます。
彼の名前は世間によく知られ、本もよく売れてよく読まれていますが、理解されているかは疑問です。彼の本を読んだと言う人に何人かお会いしていますが、話が弾んだことなどありません。せいぜい「読んだ」という程度のもの同士で語れることなどないのです。これは何もドラッカーに限った話ではなく、良い本はたくさんありますが、読むことに重点を置いても何も得るものはないということです。せいぜい本を読むという知的な行為をやっていることに自己陶酔するか、先ほどのインテリアのように本棚に並べて満足するか、くらいでしょう。
私も30代半ばを迎え、自分の生活を満たすだけでは満足できないと感じています。知識を得るだけでも満足できません。いつかはその知識が活かせるように自身も本を書き、読み手を感動させ、価値観を転向さることをもって社会に貢献したいと思っています。
● 本は目で読まず、耳でも読める(Kindleとiphoneを活用)
● 本は読むことではなく知ることに重点を置く
● 良い本は繰り返し読む
● 読んで、理解して、自分のものにするまでには大きな溝がある
