労使対立・ブラックとホワイトの対立 | 経営者向け60秒ブログ

経営者向け60秒ブログ

北九州市内で社会保険労務士の仕事をしています。このブログは中小企業の経営者を応援するために書いています。そのほか、自分自身の勉強のためと、社会保険労務士の業界振興のためにも書いています。

(昨日に引続き)

 

■ 労使対立・ブラックとホワイトの対立

 

 引き続き『ブラック』と『ホワイト』の区別で労使関係を考えてみます。ブラックとホワイトと表現すれば、まるで人種問題のようでもあります。特に過去の奴隷貿易から多民族国家となっている米国では現在でも解決されない問題として今でも存在します。世界の歴史では米国に限らずこういった階級制度は欠かせないもので、世界史のあらゆる場面で登場します。

 

 「・・・たとえばハンムラビ法典は上層自由人、一般自由人 、奴隷という序列を定めている。上層自由人は、人生の楽しみを独り占めしていた。一般自由人はそのおこぼれにあずかった。奴隷は不平を漏らそうものなら、叩かれた。アメリカ人が一七七六年に打ち立てた想像上の秩序は、万人の平等を謳っていながら、やはりヒエラルキーを定めていた。この秩序は、そこから恩恵を受ける男性と、影響力を奪われたままにされた女性との間に、ヒエラルキーを生み出した。また、自由を謳歌する白人と、下等な人間と見なされて人間として対等の権利にあずかれなかった黒人やアメリカ先住民との間に、ヒエラルキーを生み出した。独立宣言に署名した人の多くが奴隷所有者だった。彼らは独立宣言に署名した後、すぐに奴隷を解放したりしなかったし、自分は偽善者だと考えたりもしなかった。彼らにしてみれば、人間の権利は黒人とは無縁だったのだ。・・・だが 、想像上のヒエラルキーはみな虚構を起源とすることを否定し、自然で必然のものであると主張するのが、歴史の鉄則だ。たとえば 、自由人と奴隷のヒエラルキーは自然で正しいと見ている多くの人が、奴隷制は人類の発明ではないと主張してきた。ハンムラビはそれが神によって定められたと見なした。アリストテレスは、奴隷は「奴隷の性質」を持っているのに対して、自由人は「自由な性質」を持っていると主張した。(サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福)」

 

 古代ギリシャの偉大な哲学者であるアリストテレスでも、ゆがんだ差別意識を持っていたことに驚きます。それにあらゆる社会で身分的な差別が存在して、その当事者はそれを差別だとは思っていないことを考えると、自分自身にそういった偏見がないと断言することはできません。むしろ自身も偏見があると言う前提で考える思考のほうが健全と言えるでしょう。

 私たち社会保険労務士は労働法をよく勉強しているので、労働者・使用者という区分で会社組織を考えがちです。法律上存在する労使の区分はヒエラルキーではないにしろ、労働者と使用者を仮に上下に分けて考えて、労働者を上だという人はいないと思います。経営者をトップ、一般社員末端に、管理職はその中間に位置する組織図を誰もがイメージするでしょう。統計的に確認する必要はないでしょう。労働者は使用者の支配下にあると世間的に理解されています。しかしそれも社会的に築かれた空想にすぎず、本来の契約的性質に見ても労働者と使用者の間に上下関係は存在しないといえます。

 

労働契約法第三条(労働契約の原則)

1 労働契約は、労働者及び使用者が対等の立場における合意に基づいて締結し、又は変更すべきものとする。

 

 労働契約は簡単に言えば、労働力(時間で測る)と賃金(お金ではかる)を交換する契約です。その労働を測定する労働時間の定義は「労働者が使用者の指揮命令の下に置かれている時間」と説明されます。指揮命令下という表現からも、不自由さと奴隷的存在をイメージさせ、上下関係やヒエラルキーを連想させるのだと思います。さてこの労働者と使用者の上下関係は単なる空想といえるのでしょうか?それとも裏づけのある力関係と言えるのでしょうか?