(昨日の続き)
■ そもそも労使は対立しないといけないのか?(キューバ危機にみる対立構造)
労使とは労働者と経営者(使用者)のことです。法律では36協定に限らず、労使間の対立を促す(というか対立を想定した?)表現がいくつかあります。たとえば、給料から社員旅行の積立金を控除する場合は労働者側との合意が必要ですし、変形労働時間制を導入する場合もだいたい労働者側の合意が必要です。それに就業規則を作る場合も労働者代表の意見を聞くことが条件とされています。本来、経営者は労働者側と交渉しながら、労働環境の整備を行っていかないといけないのです。
・・・ところで労使の対立ときいて、東西冷戦を連想する人もいるんじゃないでしょうか?強欲な資本家が労働者を搾取するというのが、共産主義者の世界観です。実際、東側陣営の人たちは労働者を中心とした共産主義を標榜し、西側陣営は資本主義陣営とも言われ、資本主義を掲げて対立していました。
1962年に起きたキューバ危機はそんな東西冷戦を象徴するような事件です。キューバ革命によりカストロが首相に就任。米国の喉もとに共産主義国家が誕生します。しかも東側盟主のソ連が、キューバへの核ミサイル持込みを計画しており、それを知った米国が海上封鎖を行い、持込みの阻止をはかります。緊迫する駆け引きの結果、いくつかの条件のもとソ連船が引き上げることで、この事件は平和裏に解決します。
この話は東西の対立、また資本主義国と共産主義国の対立として語られますが、話をよく知れば、シビリアンコントロールの話であることに気付きます。それというのも、西側も東側も暴走しそうな軍部を押さえるのに必死だったからです。当時の米国大統領ケネディは空軍参謀長官カーティスの先制攻撃の進言を退けていますし、ソ連の指導者フルシチョフもまた軍部から突き上げを食らっていたといわれています。つまり、キューバ危機を世界の『東』『西』の対立で理解することもできますが、世界の『軍部』と『政府』の対立があったともいえるのです。一歩間違えれば、核保有国同士の初の戦争が起こるかもしれなかったことを考えると、人類は好戦的な感情を理性で制御できるのか?といった人類規模の問題でもあった事件なのです。
さて話を労使の関係に戻します。職場をこの視点で見る場合、労働法のフィルターを通してみれば、『労』『使』の対立が伺えますが、それだけが職場のすべてでないことに気付きます。会社の貢献活動を阻害する要因は労使双方に存在します。社員にサービス残業を強いて労働者から搾取しようとする経営者もいれば、仕事もないのに残業するフリをして経営者から逆搾取をもくろむ労働者もいます。いまではブラック企業ならぬブラック社員という言葉も使われるので『ブラック』と『ホワイト』で分類しても良いかもしれません。