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スカッシュコーチGのブログ

スカッシュコーチの悲哀を綴ったサクセスストーリー
になるはずが、いつのまにやら禅の道に迷い込み・・・


現代人は、いろいろな意味で「無理をしながら生きている」ようです。

ひとつは「体力的な無理」 毎日残業続きで、体が悲鳴を上げています。

「時間的な無理」もあります。スケジュールに追われて、朝食もランチも、ゆっくり食べる暇もない人も多いでしょう。睡眠時間も相当、削っている人もいます。

「精神的な無理」もあるでしょう。 上司や取引先から再三プレッシャーをかけられ、四苦八苦しているのです。 この三つの無理がたたって、肉体的にも精神的にもクタクタに疲れきっているからこそ、日々のケアが必要です。

「坐してみる雲の起こる時」という禅語があります。この言葉は、中国の唐の時代の詩人、王維の詩の一節ですが、禅の世界でもよく用いられます。

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「山の中を歩いていくと、空の彼方から雲が湧き出てきた。そこへ座って、しばらく雲を眺めていた」 そんな情景を表わしています。特別難しい意味はありませんが、ただ読むだけで、心がほのぼのと安らいでくるようです。

仕事の合間に、ちょっと窓から空に浮かぶ雲を、しばらくの間、無心になって眺めてみる。ただそれだけのことで、ぐちゃぐちゃに縮こまっていた気持ちが、開放され、整理され、清浄になっていくのが感じられます。 これはメンタルヘルスの面からも、いいことでしょう。

風邪を引いてから、慌てて手洗いやうがいをしても遅過ぎるように、心や体が疲れきってから気分転換するようでは、遅過ぎます。 ストレスや疲労で心が悲鳴をあげる前に、こまめに気分転換をしておくようにすれば、「心の風邪」を予防できます。


窓の外へ目を向けて、心の風邪予防をしましょう

「いいこと」がいっぱい起こる!禅の言葉より



普勧坐禅儀

先日行った、永平寺の宝物館にあった国宝「普勧坐禅儀」の巻物。

道元禅師が書した、坐禅を普及するための勧めです。

原文そのままでは、意味をひも説くには、かなり難しいのですが、WEBで解釈をしたものがあったので、読んでみました。

内容は、坐禅をどのように行うかを説いたもので、座り方、気の持ち方、等々、いたってシンプルに書いてあるものでした。

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その中でも、坐禅中の心構えを記した文に、はたと、気付かされ、得心した部分がありました。

坐禅中は、「見たまま、聞いたまま、思ったまま」  まさにこれです。 「~のまま」というところに、こだわらない、執着しないという教えが説かれていると思いました。

特に「思ったまま」 これは、いろんな考えごとが浮かんできたとしても、そのままにして、そのことについて、ああだこうだと思いを巡らせないということですね。

坐禅に入ると、とにかく雑念を捨てなければならないと、頭の中で、「考えてはいけない、頭を空っぽにしないといけない」と思うあまり、そのこと自体にこだわりすぎて、かえって心の平静が保てなくなるのです。

ですから、考えが浮かんでも、それは「思ったまま」でいいんです。何か物音が聞こえても「聞いたまま」でいいんです。それにとらわれない、良い悪いを分別しないことが大切なんですね。

これは、坐禅の時のみならず、日常生活でも同じように「~のまま」という習慣づけをしてみてください。 心が落ち着いて、周りに振り回されないようになってきますよ。 お勧めです。



iPhoneからの投稿

やっと、行ってきました! 道元禅師が開いた、曹洞宗発祥の地、永平寺です。
なかなか単独で行くには、ちと距離があるし、山の中だし・・・と、踏ん切りがつかなかったのですが、先日、バスツアーのチラシを見ていて、偶然発見したのです。 これも因と縁による果なのかも知れないと、即行、申込みました。(速)

天気は、曇り時々小雨、「日々是好日」を地でいくような日和になりました。 北陸自動車道の福井北でおりて、東に。 永平寺の門前は、食事処、お土産や、大型バス駐車場と、観光地化してました・・・拝観受付を通り、伽藍の中へ・・・

まず目をひくのが、急勾配の階段です。回廊は縦横に通っていますが、縦は全て急勾配の階段になっています。 実は、この階段の上り下りで、翌日から、両足の大腿四頭筋がぴくぴくしていまして。(笑) スカッシュで鍛えていても、違う部位の筋肉がぴりぴりしてました。(泣)

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まず、永平寺創建時からの山門、ここは禅僧の入門時の最初の関門だとか。中央に掲げられた吉祥山の由来の額が圧巻です。 ・・・続いて急な階段を登り、仏殿へ。 総欅造りに石畳敷き、須弥壇には釈迦牟尼仏。 その頭上に祈祷の額がかかっています、思わず石畳にひざまづいて、三拝(合掌して立った姿勢から、ひざまづいて低頭して、を三回繰り返す)をしてしまいました・・・やっぱり、こういう場所に入ると、自然と拝し奉る気持ちになるんですよね。 三拝の最中も無心に呼吸だけに集中してました。(静)・・・

さらに、急階段を登り、法堂(はっとう)へ。 380畳敷きの法要儀式を行う場所です。 変わっているのは、須弥壇の前に、白い2頭の阿吽の獅子がいることです。 ここの荘厳な空気に圧倒され、またまた、三拝をしてしまいました・・・そして、承陽(じょうよう)殿。 ここは。道元禅師の御霊骨などが奉祀された御真廟となっています。 たくさんの人が行列を作って、次々と合掌低頭していました。(合掌)

映画「禅」の中で、福井の深い山林を切り開き、真冬の豪雪に耐え・・・といった場面があったのを思い出しました。 法堂から見る眼下の伽藍と深緑の山々は、当時を偲ぶにあまりある光景でした。

きっと、この詩は、ここで詠まれたのではないかと・・・「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 涼しかりけり」 この四季の光景が目に浮かぶ、曹洞宗発祥の地でありました。

南無釈迦牟尼仏 合掌




生き方が、守りに入ると、運勢はどんどん下がっていくものです。 長年、苦労して積み上げてきた財産や地位、人間関係などを失いたくないと思う気持ちは、わからなくはありません。

しかし、失うことを恐れて新しいことにチャレンジするのを避け、今あるものを守っていこうとすると、実は、かえって今あるものを失いかねないのです。

お金は、銀行に預けておけば多少は利子がつきます。しかし、「人の運勢」は、違います。預けておくと、利子がつかないどころか、ほかの誰かに使われて、どんどん減っていくのです。銀行に預けた「自分の運勢」を、さらに大きく増やすには、常に新しいことにチャレンジしていくことが必要なのです。

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「独り来たり 独り去りて 一も随う者無し」という禅語があります。

「人間は一人きりで生まれてきます。お金や地位や権力を伴って生まれてくることはありません。また死ぬときも、一人で死んでいきます。あの世まで、お金や地位や権力を持っていくことはできない」という意味です。

「裸一貫」が、人間の本来の姿なのです。

そう考えれば、今もっているものを失うことを恐れる必要などないと思いませんか。新しいことにチャレンジする勇気が湧いてくるのを、感じませんか。

たとえ財産や地位を失っても、本来の自分に戻るだけ。 攻め続けることこそ、人生に成功する秘訣です。


「失うものはなにもない」と考えると、勇気が湧いてくる

「いいこと」がいっぱい起こる!禅の言葉より



すばらしい成績を残したスポーツ選手に、「どんな気持ちで、競技に臨みましたか」と尋ねると、「無心でした」という答えがよく返ってきます。

「絶対に勝たなければならない」とか、「ライバル選手の調子は、どうだろうか」といった雑念を心から追い払い、無心になれたからこそ、プレッシャーに押しつぶされずに、実力を発揮できたというわけです。

雑念が消え、無心になれたときが、一番強いのです。

禅でも、「無の境地になれたとき、初めて悟りが得られる」と教えます。 この場合の「無」とは、「なにもない」という意味ではありません。 それは、生命力にあふれた、活気ある。奥深い心の境地のことです。

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「悟りを得られたら、どんなに誇らしいだろう。どれほど尊敬されるだろう。 どれだけありがたがられるだろう」 そんな邪念を一切取り払って、自分の中に秘められた根源的な生命力と一体になることが「悟り」とういうものなのでしょう。

仕事で一世一代のチャンスが巡ってきた、昇進が期待できそうそうだ、ライバルの勝負に勝算が見えてきた。 そんなときこそ、期待や不安やプレッシャーといった雑念をすべて取り払って、無心になることです。

無心になることは、ここぞというとき、いったん立ち止まって、深呼吸すること。 「今」に集中すること、そして「今」に感謝することで、心をこめる。

これで、余計なことに煩わされずに、ただ目的に向かって一直線に突き進むことができます。


「無心」になれたときが一番強い

「いいこと」がいっぱい起こる!禅の言葉より

  

中国の唐の時代に禅僧、洞山は、あるとき弟子にこう尋ねられました。

「夏は厳しい暑さに見舞われます。夏の暑さを避けるためには、どうすればいいでしょうか。また冬は、厳しい寒さに襲われます。寒さから逃れるためには、どうすればいいでしょうか。」

そこで洞山が答えたのが、次の言葉です。

「寒時は阿じゃりを寒殺し 熱時は阿じゃりを熱殺す」

阿じゃりとは、「禅の修行僧」を指します。 つまり、ここでは「あなた自身」という意味です。 また「殺」には「成りきる」という意味があります。

「暑いときは、あなた自身が暑い存在になりきればいいのです。寒いときは、寒い存在になりきればいいのです。」というのが言葉の意味です。
 
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この場合、「成りきる」とは、たとえば暑いときに、「クーラーの効いた部屋に入ったら涼しいだろうな」などという雑念をなくして、無の境地になることを言っています。

つまり、「暑いときに、涼しい場所のことを思い浮かべるから、暑さに対して文句をいいたくなる。 人生すべてがそうなのだ。 どこかに、もっと楽な生き方はないだろうかと思うから、今の人生を辛く感じて、文句もいいたくなるのだ。 下手な想像はせずに、現状を受け入れなさい」と教えているのです。

現状を受け入れれば、心が惑わされることもありません。 結果的に、正しい打開策が見出せることになるのです。


暑さ寒さを「受け入れる」ところから、未来が開ける

「いいこと」がいっぱい起こる!禅の言葉より



禅では「頭の良すぎる人は、悟りを得られない」とよく言われます。

「其の智に及ぶべきも 其の愚には及ぶべからず」という禅語があります。

「利口になるのは簡単ですが、馬鹿になるのは難しいものです。あなたは馬鹿になれますか」という意味です。

頭の良すぎる人というのは往々にして、「悟りを得るには、どうすればいいのか」ということについて、頭で理解しようとします。しかし、禅でいう「悟り」とは、そもそも頭で理解できるものではないのです。

悟りとはなにか、どうすれば悟りを得られるかなど、一切考えずに、そして理解しようとも思わずに、ただひたすら修行に励むことによってのみ、そこに到達できるものなのです。ですから、禅では、むしろ「あれこれ頭で考える利口者になるより、なにも考えない馬鹿になれ」と教えています。

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仕事や恋に置き換えてみれば、わかるかも知れません。完璧な企画やスキのないプランをあれこれ考えても、結局はやってみなければわからないのです。

人の心を揺さぶる言葉や、引きつける恋のテクニックをいくら使っても、策を弄さず、たた「好きだ」と素直に伝えることのインパクトには、かなわなかったりするものです。

頭の良さは貴重な財産です。でも、時には馬鹿になって、向こう見ずに飛び込んだほうが、いい結果が得られることもあると、知っておいてほしいと思います。



本気で馬鹿になってみる

「いいこと」がいっぱい起こる!禅の言葉より



「笑う門には福来る」といいます。 「多少辛いことがあっても、いつも前向きな気持ちで、朗らかに笑っていられる人のもとには、幸福な出来事が起こる」という意味です。

この諺と似たような意味をもつ禅語に、「禍は慎家の門に入らず」があります。 慎み深く暮らしている家には、災いは訪れない」という意味です。

この「慎み深く暮らす」という言葉は、いくつかの解釈ができます。

ひとつは、「あまり欲張らず、最低限のもので満足して暮らす」という解釈。 欲張って無理なことをして、かえって余裕がなくなるのは、よくあることです。

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もうひとつは、「油断しない」という解釈です。不幸が起こらないように、いつも注意深く、自分や家族の生活を見張り、ちょっとでも不幸の気配がしたら、事前にその芽を摘んでおくのです。

どちらの解釈であっても、困難を避けるのに役立ちそうですが、あまりに最低限のもので切り詰めることも、四六時中気を張って、「なにか悪いことが起きないか」と注意しているのも、心が疲れてしまうでしょう。 それがストレスになり、人間関係がギスギスするようなことになれば、本末転倒です。

ですから、「慎み深く暮らす」という言葉には、「欲張らない。油断しない。でも、そこそこのゆとりを持つ」という意味も含まれているのです。

しっかりと慎み深く暮らしながらも、生活や心に余裕を持っておけば、楽しく笑っていられます。そうなれば、笑う門には、福来るです。


ほどほどが、ちょうどいい


「いいこと」がいっぱい起こる!禅の言葉より



「今、世間で流行しているのは、どんなものだろう。流行に乗り遅れたくない」「今日はどんなニュースがあるのか、電車の中で新聞をチェックしよう」「職場の同僚たちは、今、どんな仕事をしているのだろう。即場のみんなから仲間はずれにされたら、大変だ」

わたしたちは、ふつう、常に自分の「外にある世界」に、気をとられながら暮らしています。

「回光返照(えこうへんしょう)」という禅語があります。

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「外へと向かいがちな意識を、時々、自分の内側に向けてみなさい」という意味です。特に変化の激しいこの時代、外界の出来事ばかりに心を奪われていると、精神的にも肉体的にも振り回されて、疲れきってしまいます。

しかも、外界の出来事とはかかわりなく、「自分がやりたいと思っていること、やらなければならないこと」を見失って、空しい気持ちになっていくのです。

ですから他人がなにを考えているのか、世間でなにが起こっているのかといった外のことは締め出して、静かな気持ちで自分に向かい合う時間を作ることも、とても大切なことなのです。ほんの数分でいいのです。朝目覚めたときや、通勤途中、入浴中、寝る前などに、自分と向き合ってみてください。

「自分と向き合う」とは、自分に、いろいろ問い掛けて、心の声を聞く時間を作るということ。慌しかった心に、静けさと休息をあげるのです。不思議な安らぎに満たされ、自分が本当にやるべきことが見えるはずです。

一日一回 「自分はどうしたい?」と、自分に向き合ってみる

「いいこと」がいっぱい起こる!禅の言葉より





他人から「ああしなさい、こうしなさい」と命じられることを、ただこなしていくだけの人生に喜びを感じられる人はいないでしょう。

人には、「自分のことは自分で決めたい、自分がやりたいと思ったことを試したい」という気持ちがあります。

「家貧(かひん)未だに是(これ)貧ならず 路貧(ろひん)は人を愁殺(しゅうさつ)す」という禅語があります。

前段は、「家が貧乏なのは、決して恥ずかしいことではありません」という意味。後段の「路貧」とは、悟りを得るために、人から「こうしなさい」と言われてやっと行動を始めるという意味。

自らの人生に対して消極的で、自分の意思で「こうする」と決めようとせず、誰かから命じられない限り怠けてばかりいることで、そのような生き方は、自分の心を落ち込ませていくばかりであるというのが、言葉の意味です。

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つまり、「貧しさ」とは、お金がないことではなく、「意欲を失っている心の状態」をいう言葉だと、この禅語は教えているのです。

人生に対して、消極的になっていませんか。他人から「こうしなさい」と指示されるのを待っていてはいけません。目標を持ち、それに果敢にチャレンジしてはどうでしょう?

成功したら、さらに新しいことにチャレンジする勇気が湧いてきます。もし結果が思うようにならなかったとしても、「自分で決め、自分で行動した結果なのだ、悔いはない」と、さわやかな充実感が残るでしょう。


自分の人生は、自分で決める

「いいこと」がいっぱい起こる!禅の言葉より