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スカッシュコーチGのブログ

スカッシュコーチの悲哀を綴ったサクセスストーリー
になるはずが、いつのまにやら禅の道に迷い込み・・・



過去のつらい経験や、取り返しのつかない失敗、ひどく傷つけられた記憶などは、思いがけないときに蘇って、いつまでも人の心を悩ませるものです。

たったひとつのうっかりミスで、上司からの信頼を失ってしまったとき。信じていた恋人に裏切られて、泣いたとき。大学受験の日に寝坊して、遅刻して動揺し、実力を発揮できなかったとき。

そういう、嫌な記憶ほど、いつまでも心から去ってはくれません。

嫌な記憶が蘇って、落ち込みそうなときは、「風過ぎて竹に声を留めず」という禅語が心を癒してくれるでしょう。

竹林に風が吹けば、葉がこすれあってサヤサヤと音を立てます。 しかし、風が過ぎ去ってしまえば、竹林はもう音を立てることはありません。

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「人もまた、過ぎ去った出来事のために、いつまでも心を揺れ動かし、思い悩んだり、悲しんだりすることなく、風が過ぎ去ったあとの竹林のようにあったほうがいい」 そう教える言葉です。

過去の出来事について悩んだところで、そのときに戻ってやり直せるわけではありません。 時間は巻き戻せないのです。 過去から学ぶことは大切ですが、過去を嘆くのは時間のムダです。

でも、過去をやり直すことはできなくても、未来に向かって人生をやり直すことはできます。 これからの人生をどう生きていくか、前向きな気持ちで考えていれば、嫌な記憶が蘇っても、それに引きずられることが、次第に減っていきます。 それが、自分のために、もっとも賢い生き方になるでしょう。


過ぎ去ったことは、きれいに忘れ去る


「いいこと」がいっぱい起こる!禅の言葉より



企画のいいアイデアが思いつかないときや、仕事のトラブルの打開策が見つからないときなど、人は行き詰ると、不思議と内へ内へと籠もりがちになるものです。 そんなときは、デスクにすがりついて、うんうんと悩んでいてもダメです。

むしろ、デスクから離れ、そこらを散歩してみるほうがいいのです。 頭と心を、問題から切り離して、のんびりと花や雲に目を向けるのがいいのです。

「霊雲桃花悟道(れいうんとうかごどう)」という禅語があります。

「霊雲」とは中国の唐の時代の禅僧です。 霊雲は「桃花」、つまり「桃の花を眺めているときに悟りを得たのです」 ということがこの禅語の意味です。

「悟りというものは、坐禅を組んでいるときに得られるものではありません。 日常生活の中のちょっとした出来事をきっかけに得られるもの」 と教えているのです。

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ブッダは、明け方の雲を見ているときに、悟りを得たといわれています。

江戸時代の高名な僧であった白隠禅師も、明け方の鐘の音を聞きながら、初めての悟りを得たそうです。

「いいアイデア」もまた、同じではないでしょうか。

美しい花、美しい風景、美しい音に心を奪われているときに、パッと浮かんでくるものなのです。


たまには、お花畑にでも、散歩に行ってみませんか?

「いいこと」がいっぱい起こる!禅の言葉より


人生という字をどう読むか? 人として生まれる、人として生きる、人を生かす、人を生む、それが人生。これは、楽天の野村監督の言葉です。

これをコーチ流に解釈してみました・・・

「人として生まれる」
母の胎内に宿って、生まれ出でるまで、人はその時と場所を選べません。

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「人として生きる」
幼子が歩きはじめ、親の愛情を一身に受け、物心つき、育てられ、育っていく。その過程には、人それぞれの道のりがあります。

「人を生かす」
やがて、人はひとりで生きているのではない、ことに気づきます。生かされているのです。

「人を生む」
子孫を生み、育てる。輪廻の営みは絶えることなく、繰り返されます。

人の一生をみると、このような見方もあります。そして今、私は「人を生かす、生む」 役回りになったと思っています。

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誤解のなきよう言っておきます、赤ちゃんを生むということではありませんよ。(笑)

たいへん単純な例えでいえば、コーチとして、生徒の資質を観察し、伸ばすところ伸びるところを「生かす」、そして自ら考え、思考錯誤を繰り返しながらも、自分のものにたどりつける「人を生む」といったところでしょうか。

人を生むということは、親としてはもちろんのことですが、他人さまの人生にまで影響を与えうる人となるには、それこそ、歩んできたその人の人生が影響を与えるものではないかと思います。どう生きてきたかです・・・

                  人生五十余年、まだ道半ばのコーチです。。。



禅には、「食事の仕方」について、数多くの言葉が残されています。 たとえば、「細嚼(さいしゃく)すれば飢え難し」という言葉もそのひとつです。

これは、「よく噛んで食べてください。よく噛むことで、食物の栄養分をすべて吸収することができます。ですから、たとえ贅沢ではない食事であっても、飢えることはありません」という意味です。

この教えは、「人生」にも、応用できるように思うのです。誰でも、自分の人生のどこかしらに、不満があるものです。

自分よりも恵まれた人や、才能のある人、重要な仕事を任されている人や、上司の信頼が厚い人、ステキな恋人がいる人を見て、「あの人のように生きたい」とうらやみます。

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でも、人は「自分」から離れることはできません。 「自分」として生きていくしかないのです。

それなら、自分の人生をもっと「よく噛んで」みましょう。 たとえ、自分はダメ人間であっても、嫌いなことばかりやらされていても、誰からも注目されなくても、お金がなくても、自分の人生を徹底的によく噛んで味わうのです。

「よく噛む」とは、自己嫌悪に陥らず、どのような運命であれ前向きにとらえ、一生懸命に生きるということ。人生に、一日として同じ日はありません。日々をしっかり味わえば、あなたがうらやんでいた他人の人生と、なんら変わりない喜びが得られるのです。心が飢えることは、なくなるのです。


しっかり落ち込む、叱られる、喜ぶ。 今、この瞬間も味わいつくそう。


「いいこと」がいっぱい起こる!禅の言葉より

家族に恵まれ、働きがいのある仕事もあり、それなりの収入もある。 友人もいて、毎日不自由なく暮らしている。 これといって大きな不満や不安があるわけでもない・・・なのに、なぜか心が満たされない。

欲しいものは、なんでも手に入る便利な世の中になりましたが、奇妙なことに、「どこかむなしい」という感情から逃れられずに、日々過ごしている人が少なからずいます。

そんな人は、自分にとって一番大切なものを、見失っているのかもしれません。

「明珠(めいじゅ)掌(たなごころ)に在り」という禅語があります。 「明珠」とは「宝石」、「掌にあり」は「自分の手のひらの中にある」という意味。 この禅語は「人は見失いがちだが、一番大切なものは、身近なところにある」と教えています。

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あなたのすぐ隣にあるものを、再確認してみることです。

毎日のように顔を合わせる家族、友人、職場の同僚。 収入を与えてくれる仕事。 住む家があり、毎日食事ができて、ベッドで眠ることもできる。 テレビを見たり、たまに趣味を楽しんだり、ときには旅行に出かけたりもする。

それは、あまりにも、慣れ親しんだ日常だからこそ、人はつい「家族がいてくれることの幸せ」「やるべき仕事があることの幸せ」を見逃してしまうのです。

いつも隣にある幸せに気づくことができたら、むなしさなど吹き飛んでしまいます。心に充実感と安心感が満ち溢れてくるのを感じるはずです。


今あるものに目を向ける。なくさないように・・・

「いいこと」がいっぱい起こる!禅の言葉より

どんなに意思の強い人でも、他人の影響を受けて、自分の生き方が惑わされることがあります。

たとえば、「この会社で出世する」という明確な目的があって、がむしゃらに仕事に打ち込んでいても、週末を楽しそうに過ごしている人たちを見たり、仕事に明け暮れた日々を、ふと思い返したりしたときに、「これで本当によかったのだろうか」と不安になる。

三十歳までは、結婚せずに仕事に打ち込もうと決めていたのに、友人が次々と結婚するのを見れば、「このままでいいのだろうか」と迷うこともあるでしょう。

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自分の決心が、周りの人たちに影響されて揺らぎそうになったら、「山は是(これ)山 水は是(これ)水」という禅語が、その心の支えになります。

直訳すれば、「山は山、水は水」という意味ですが、ここには、「自分は自分、他人は他人なのですから、人に惑わされることなく、自分の生きたいように生きなさい」という教えがあるのです。

親が「うちはうち、よそはよそ」と幼い子を叱るのも、実は正しい教えなのです。その精神を、大人になっても応用することを忘れずに。

いい影響は、歓迎してどんどん受け入れればいいでしょう。 しかし、そうでない場合や、「どう生きるか」といったことに関しては、「自分は自分」が正解なのです。 どこに住んでも、どんな仕事をしても、結婚してもしなくても、自分が選んだ道が、大正解なのです。


「自分は自分」であることを、忘れない。


「いいこと」がいっぱい起こる!禅の言葉より


春は、美しい花が咲き出すので、わたしにとって一番よい季節です。

夏は、涼しい風が吹けば気持ちがいいので、わたしにとって一番よい季節です。

秋は、月が美しく見えるので、わたしにとって一番よい季節です。

冬は、雪が美しく降り積もるので、わたしにとって一番よい季節です。

これが、「すなわち是人間の好時節」という禅語の意味です。

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「いったい、どの季節が、あなたにとって、一番よい季節なのですか?」と尋ねてみたくなりますが、その問いこそ意味が無いと、この禅語は教えています。

それぞれの季節に、それぞれの美しさがあります。ですから、春夏秋冬、どの季節にあるときも、「この季節こそ一番よい季節である」と思って生きていくのが、一番いいということです。

これは、「今、このときこそ、自分にとって一番幸せなときである」と思って生きていくことの大切さを、教えている言葉でもあるのです。

もちろん、人生には、浮き沈みがあります。しかし、上り坂のときばかりでなく、下り坂の最悪の状態に落ち込んだときであっても、「今このときが、自分にとって、一番幸せなときである」と思って生きていくほうがいい、という教えです。

そのくらい楽観的なほうが、一喜一憂せずに、安らかな気持ちで、前向きに生きていけると思うのです。


最悪のときこそ、「今は一番いい時だ」と考える。


「いいこと」がいっぱい起こる!禅の言葉より

人と会うと緊張する。 会社へ行くと疲れてしまう。 そんな人は、ひょっとしたら相手や会社のワクに、無理やり自分のワクを合わせようとしているのかも知れませんね。

人それぞれ、考え方やものの見方は違っています。 すべての人が、その人なりの『ワク』を持っているのです。

会社や学校などの組織にも、それぞれ独特の雰囲気や掟のようなものがありますね。 それが、その組織のワクなのです。

そして、私たち自身も、自分固有のワクを持っています。 今まで培ってきた、自分なりの考え方や嗜好、価値観のことです。

ワクの形や大きさはさまざまですし、ワクのある位置もみんな違っているようです。 人と会ったとき、会社へ行ったとき、そのワクに、何とかして自分のワクを合わせようとするのは、とても辛いことです。

だって、その間、ずっと自分のワクを変えていなければなりませんからね。 だから緊張したり、疲れてしまったりするのです。

かといって、自分のワクのままでいると、相手や組織のワクからはみ出してしまいます。 自分自身のワクを押し付けてばかりでは、コミュニケーションも円滑にはいかないでしょう。 もちろん、相手や組織のワクを自分のワクに合わせようとしても、それは無理というものです。

それならいっそのこと、完全に相手や組織のワクに合うように、自分のワクを変えてしまった方が楽だ。 そう思う人もいますが、実際には、それは難しいことですし、たとえ、自分らしさを捨てて、無理に自分のワクを変えたとしても、かえって窮屈になってしまうのです。

ではどうしたらいいのでしょう。

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いつまでも、人と会えば、相手に合わせようと身構え、会社では、納得できないことでも、黙って受け容れていなければならないのでしょうか?

ちょっと思い出してみてください。 あなたのまわりにも、どこへいっても自分らしくいて、誰と会っても自然体でいることができるけれど、すべてがスムーズにいっている、という人はいるでしょう?

その人は、自分のワクを変えたり、押し付けようとはしません。 それでいて、相手や組織のワクを無理に自分に合わせようとすることもないのです。

どうやったら、そんなふうにうまくいくのでしょうか。 きっと、そんな人たちは、自分のワクとは違ったワクに出会ったときに、自分のワクを大きくして、受け容れているのですね。

自分のワクをしっかりと持っていながら、相手のワクも尊重します。 相手のワクも包み込むことができるように、自分のワクの形や位置にこだわることなく、拡げていこうとするのです。

これならば、どんなワクに出会っても、苦しむことはありませんね。 それどころが、いろいろなワクに出会うたびに、自分自身も、さらに大きくなっていくのです。

自分は自分らしく、相手は相手らしくいることができるのです。 もっと柔軟になって、自分のワクを広げていくことが、楽に生きられる秘訣なのですね。

では、さっそく、今日から始めてみましょう。

え? とてもじゃないが、自分にはそんなことできないって?…そう、まずは、その考え方のワクを、少し拡げることから始めてみてください。

「癒しのことば」より



なぜ私たちは、不安やネガティブな気分を感じるのでしょうか。

誰しも、何かをはじめるときには、「こうなればいいな」と思うものですし、「こんな人になりたい」という自分の理想的なイメージを持っています。

そして、その理想に向かって、自分を向上させていこうと努力します。そのことはとても健全なことですね。

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ところが、あまりにもその理想の姿にこだわると、「こうでなければならない」「私は、いつもこうあるべきだ」と、とても高い基準を作ってしまったことになるのではないでしょうか。

その理想通りでない自分、思ったようにいかない現実。 基準に達しそうもないということを予想してしまうから、不安に思ったり、落ち込んだりしてしまうのかも知れません。

さらに不安やネガティブな感情を持ったとしたら、その不安や嫌な気持ちに焦点を合わせることは、かえってそれを大きくするだけなのです。それと対決したり、逃げようとしても、あまり意味がないことなのです。

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それよりは、自分を悩ませている基準は何なのかということを考えてみたほうが、いいかも知れませんね。

はたしてその基準は、誰が作ったのでしょうか?
本当にあなたにとって意味があるのでしょうか?
その基準を、少し変えてみてはいかがでしょうか?
たったそれだけで、心が安らいでくるかも知れません。

たとえば、こんな基準はどうでしょうか。
「これからの人生のできごとは、楽しいことでも、つらいことでも、すべてが自分の成長にとっての学びなのだ。そして私は、今のこのままで素晴らしいんだ。」と・・・

                       癒しのことばより
自信を持てない人に限って、人からは良く見られたいという気持ちが強いようです。これは自分で自分を認めることができないので、何とか他の人から認めてもらいたいという願望の表れですね。

そのこと自体は、けっして悪いことではありません。
誰からも認めてもらえるように自分を磨き、努力を重ねていくという気持ちは、私たちにとってとてもプラスに働きます。

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ただ多くの人は、自分を大きくしてアピールしようとするよりも、何かを身にまとうことによって人に認められようとします。

競争相手や仲間、または世間一般の人をけなすことによって、相対的に自分の点数を上げようとする人もいます。目立つ仕事ばかりをやりたがったり、他人を小馬鹿にしたりするのは、そんな人たちの常套手段です。

そんな背伸びや、ムリをしなくても、あなたがあなたのままでいて、あなたらしく生きていれば、まわりの人は、ちゃんとあなたを認めてくれるのではないですか。

もっとあるがままの自分を認めてみましょう。誰が認めるよりも、自分が自分のすばらしさをいちばんよく知っているはずです。

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自分らしく生きていく方が楽ですし、自分が本当にやりたいことも見つかるでしょう。そして、そこから自信も湧いてくるのではないでしょうか。

いくら格好良く見えても、他の人のサイズに合わせて作られた服を窮屈そうに着ているのと、少々デザインに難があっても、自分にピッタリの服を楽に着こなしているのとでは、他人が見たときにどちらがいいと思うでしょうか。

                     「癒しのことば」より