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スカッシュコーチGのブログ

スカッシュコーチの悲哀を綴ったサクセスストーリー
になるはずが、いつのまにやら禅の道に迷い込み・・・

感情とは、私たちがこの世界を知り、自分の世界を広げてくれる、ひとつの道具のようなものなのではないでしょうか。

その気持ちを、味あわないと見えてこないこともあるのです。その道具をうまく使って、この世界を眺めてみれば、「今、ここ」にいる自分にとって、何が「良い」ことで、どれが「良くない」かがわかってくるのですが、私たちはついその道具にこだわってしまうようです。

本当に何が「良い」か「良くない」のかを知るための道具なのですが、それを使う前から、このことは「良い」とか、こんな状態は「良くない」とかを決めてしまって、勝手に「こうあらねばならない」「そんなことではいけない」と自分を苦しめてしまうのです。

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「いつも楽しくなければならない」というこだわりが、変化を恐れて自分を小さな世界へ閉じこめてしまいます。

「悲しいことがあってはならない」そんな引っかかりが、不安や心配を作りだし、結局はその現実を呼び寄せる ことにもなるのです。

できれば、そんなこだわりを手放してみましょう。

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嬉しいことがあれば心から楽しみ、辛いことがあれば思いっきり悲しんでみて、そこから見えてくるものを大切にしましょう。

悲しいことでも、苦しいことでも、楽しいことでも、どんなことがあっても、そこから生まれる気持ちを、とことん味わうことが、私たちをもっと大きくしてくれるのです。

そんな自由な心で、この世界を見てみれば、本当はすべてが「良い」ことなんだ、ということに気づくでしょう。

        全ての感情を味わえば見えてくるものがある。G
私たちは、身の回りにうれしいことばかりが起こり、いつも楽しい気分でいられたらいいなと望んでいます。ずっとそうなら「良い」ですね。

ところが現実は、なかなかそうは行かなくて、時には嫌なことに出会い、苦しんだり悲しみを感じたりすることもあるでしょう。これはあまり「良くない」ことだと思えます。

でも、その「良い」とか「良くない」とかは、誰が決めているのでしょう。はたして本当に、いつもいつも楽しさを感じるということが「良い」ことで、悲しみや苦しみを感じることは「良くない」ことなのでしょうか。

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例えば、こんなことを考えてみてください。

ここに、ひとつの箱があるとします。その箱の面のひとつひとつには、「楽しい」や「悲しみ」「怒り」などいろいろな感情が書いてあると思ってください。

その箱を見るのに、どの面でも自由に選んでも良いとします。

もしも、私たちが「楽しい」と書いてある面だけを選んで見ることにしたとすると、どんなことになるでしょうか。

いつもたった一つの方向だけから見ていれば、その箱は、きっとただの面にしか思えないでしょう。

ところが、時には「悲しみ」や「苦しみ」などの他の面からも見ることを選んだとしたら、きっとその箱の全部を知ることができるのではないでしょうか。

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これは箱の中から、外を眺めていると考えてみても同じです。

いろいろな面に窓があるのに、ただひとつの窓から外を見ることしかしないとしたら、ほんの限られた世界しか知ることはできません。

もちろん、それが「楽しい」という窓であってもです。本当に世界を知ろうと思えば、すべての窓から外を眺める必要がありますよね。

私たちが味わう、さまざまな感情とは、その為にあるのかも知れません。

                      to be continue・・・・・
たとえば、大きな過ちをしてしまったり、取り返しのつかない失敗をしてしまった人がいたとします。そんな人は、心に致命的な傷を負っているはずです。

そんな人が、二度と立ち上がれないように落ち込んでしまうか、何とかそこから立ち直ることができるかは、やはり「つながり」が大事になってくるでしょう。

まったくの一人ぼっちにされて、孤立してしまっては、息を吹き返すことは難しいかも知れません。

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でも、本人は気がつかなくても、誰かがやさしく見守っていてあげることができれば、きっと元気が戻ってくるでしょう。

もちろん、その中から本人が自分で乗り越えていかなければならないことはありますが、そんな人と人との「つながり」こそが、心のカンフル剤になるのではないでしょうか。

そして、もっと大事なのは、まず「自分が自分の側にいてあげる」ということです。

うまくいかなかったり、ミスをしてしまって、落ち込むこともあるでしょう。そんなときには自信をなくして、自分が嫌になってしまうかも知れません。だけど、自分を責めることはありません。

そんなことをすれば、もっと傷を深くするだけでしょう。誰にでも、失敗や過ちをおかしてしまうことはありますが、それはわざとではないですよね。

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ミスをしても、自分を許してあげれば、そのミスから学んだことを、次に生かしていけるだけの余裕も生まれてくるのです。

重要なのは、自分自身を本当に許すことができるのは、「自分だけ」なのだということなのです。

どんなときにも「大丈夫だよ」と自分にやさしく声を掛けてあげましょう。

それこそが、自分だけでなく他の人だって、助けてあげることができる、大きな「つながり」を持つことになるのですから。

          もう一人の自分を育てる、これ大事ですよ。G
何かから逃げていては、いつまでたっても本当の心の平安を手に入れることはできないようです。

これは、どうすればいいのかを誰かに決めてもらっても同じことです。もし、その結果が自分の思い通りにならなければ、やっぱり「後悔」を感じてしまうのです。

いずれにせよ、悩んだり後悔したりすると、人は、何て自分は不幸なんだろうと考えるものですが、その不幸の最初のタネを蒔いたのは「自分」だということに、なかなか気づかないようです。

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その「不幸のタネ」とは、「今を楽しむということを、自分が選ばなかった」ということでしょう。

逆に、私たちに幸せを与えてくれる「幸福のタネ」とは、「自分で選んで、どんなことでも今を楽しむ」ということになるようです。

これは、快楽主義者の考え方のようにも見えますが、本当の快楽主義者とは、目先の楽しいことばかりを追うのではなく、人生を楽しんでいる人のことをいうのではないでしょうか。

快楽も、単なる一時的な欲望では、長く続けたいとは思わないでしょう。そんなことも含めてバランスを取っている人のことです。

そして、それはそんなに難しいことではないのです。

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目の前のケーキを食べるなら、今食べるのがいいのか、明日まで取っておくのがいいのかを考え、自分でそれを決めること。

そして、決めたら、「ああしていれば」「こうしていれば」と余計なことは考えずに、ただ自分の決めたことを楽しむということです。

どんな選択だって、自分が決めたことなら、それを楽しむということが大切なのです。

                自分で決めたことには責任をとるのがGです・・・

もし私たちが、自分の人生に満足して一生を終えることができるのなら、それは「永遠に生きる」ということと同じことなのではないでしょうか。

なぜなら、そんなふうに毎日が充実していれば、とても密度の濃い人生を送ることになり、もはや人生の長さなどは気にならなくなるでしょうから。

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かつてブッダが弟子たちにこんなことを問うたことがあります。「人生の長さは、どのくらいあると思うかな?」当時は、50年も生きれば長生きだとされていたような時代ですから、誰かが、「50年」とまず答えました。

ブッダは、微笑んで言いました。「違うな」すると弟子たちは、口々に答えます。「40年」「30年」そのたびに、ブッダは、首を振り続けます。

「それではいったい、どのくらいなのです?」としびれをきらした弟子の一人が、たまらずそう聞き返しました。

ブッダは、こう答えました。「人の命は、一呼吸する間しかないのだよ」

過去や未来に、心をとらわれることなく、ただ「今」自分のまわりのすばらしい景色を感じ、自分が楽しいと思うことをやってみる。

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その時その時を楽しみ、「今」を生きていれば、そんな充実した瞬間の積み重ねが、充実した人生を創りあげていくのです。

素の自分でいられて「今」を楽しむということが一番大切なのですね。

それが、自分という、他のどんなものとも比べることができない、すばらしい花を咲かせ実を結ぶのです。
たとえば、小さな頃に犬に噛まれたという経験をしたとします。
 
そのときの痛みや怖さは、いつまでも心のなかに残っているかも知れません。大人になった今でも、犬が怖くて近づけないという人もいるでしょう。

それが小さな犬で、恐れる程のことは無いとしても、心のどこかに、噛まれたときの恐怖が、また蘇ってくるのです。

恐怖は、そこから逃げだそうとすると、ますます私たちを追いかけてくるものです。

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恐怖というものは、私たちにとって役に立つものです。それは肉体的あるいは心理的に危険を察知し、私たちに警報を与えてくれるために、本来あるのです。

ところが、ときに私たちは、自分の心のなかにある危険に反応してしまうことがあるのです。もう恐れる必要がないことでも、条件付けられた恐怖を持ち続けることさえあるのです。

そんな恐怖は、私たちが小さくてまだ弱かった頃に、自分自身を守るために掴んでいたことが多いのですが、ずっと持っていたために、今度はそれを手放すということが、恐怖の対象になってしまっているのです。

ここでの問題は、その恐怖心は危険を避けようとするあまり、私たちが、何かを成し遂げようとする積極的な意識にも、邪魔をするということなのです。

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何であれ自分に変化を起こす状況を避けようとしてしまうのです。このように、どんなときでも恐怖心に支配されてしまうことは、自分の世界を限定することになってしまいます。

私たちが何度も感じる恐怖や不安のほとんどは、それを避けようとして自分が創りあげているのです。本当は「自分自身がそれを克服することを望んでいる」からなのですが。

それは「もう自分は、それを乗り越えるだけの力がある。もっと自分を信頼しろ。」という、自分の内からのメッセージなのだと考えてみてください。
新聞記事の中にこんなのがありました。

「紙と鉛筆を用意してください。その紙を二つに折ってください。紙の上半分に、今あなたが感じている不安や心配ごとを書き並べます。次に、紙の下半分にその感じていることを、5W1Hで具体的に書いてみてください。」

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5W1Hとは「いつ、どこで、だれが、なぜ、なにを、どのように」ですが、書き出してみるとわかります。

上半分の不安や心配ごとは、漠然とした感覚のことなので、下半分に具体的にかけることが少ないか書けないということが普通ですね。

これでわかるのは、いわゆる不安とか心配ごとというものは、非常に漠然としたものでしかないということです。

でも、不安が拭いきれない、心配ごとがつのるばかりという人は、ある側面からみると、不安を抱くことや心配をすることで、自分の存在を確認しているというようなこともあるかも知れません。

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確かに、なんにも不安や心配することが無いという時は、それはそれでまた「これでいいんだろうか、大丈夫だろうか」といらぬ不安にかられたりする人もいます。

人が抱く「漠然とした不安や心配」は、その人の心が創りだしているだけなんです。
ですから具体的に書き出そうとしても、具体的な事例が出てこないのですね。

「私はいったい、どうすればいいのでしょうか?」悩みを抱えている人の中には、誰かに相談するときに、そんな質問をする人がいますね。でも考えてみれば、これはおかしなことですよね。

たとえば、道を歩いていて「自分は、いったい何処へ行けばいいのでしょうか?」と、誰かにきいているようなものです。そんなことを、誰か自分以外の人が知っているはずはありません。

どんな人でも、この世界に生まれてきた限りは、必ず自分が行きたいところ、やりたいことがあるはずです。それがはっきりしていれば、どんなに道に迷っても、思わぬ出来事に行く手を阻まれても、歩いていくことができます。

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自分がこうしたいという考えがあって、その考えがそこに向かって進んでいくという行動をおこし、行動が実現を生むという法則です。

さらに言うと、自分の行きたい場所を明確にさえすれば、あとは自分が何をすればいいのかが明確になり、迷うことはないのです。

だとしたら「自分は、どうしたらいいのかわからない」 という人は、自分の行きたいところを見失っているのではないでしょうか。

あるいは、行きたいところがわからない、のではなくて、恐れや不安で、それが見えなくなってしまっているのかも知れません。

もちろん、今の自分から判断して、未来のことを考えてみると、自分にはとても、その目標を実現できるだけの能力はないと思うかも知れません。

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それは「限界」という幻で、自分を縛り上げているようなものです。もっと自分の、無限の可能性を信じて、自分の行きたいところへ向かって行きましょう。

自分の「考え」が、自分の世界を作りあげている。
この世界の本質は、本来たいへんシンプルなものなのです。 

自分の行きたい場所があるなら、一歩ずつそこに向かって歩いていけばいいのです。
必ず、いつかそこへたどり着くのですから・・・

     先が見えない時は足元を見るGです。。。


エネルギーの流れに乗ると、ラッキーなことが起こったり、助けてくれる人が現れたりして、不思議と物事がうまくいくようになるものです。

でも、ときには、思い通りに行かないようなことも起こるでしょう。そんなときには「本当にこれで大丈夫なのかな」「自分にできるのだろうか」という気持ちが生まれてきます。それもひとつのエネルギーですね。

ただ、これは前に向かっていくエネルギーを停滞させてしまうエネルギーのようです。

その流れにひっかかってしまうと、どうも自分のやっていることに自信が持てなくなったり、不安を感じたりすることになります。また自分の前に、急に障害物が見えてきたりするのです。

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ひとつ障害物が見えはじめると、もうひとつ、またひとつと、どんどん増えてくるように感じられてきます。

その障害物が気になったり、大きな失敗をして立ち上がれなくなってしまうような気がして、今までのように前に進んでいくことができなくなってしまうのです。

また、何とかひとつの障害物を乗り越えたとしても、次にはさらに大きな障害物が現れて、私たちの道を邪魔するように感じられるのです。

ここで気づいてほしいのは、そんな障害物を創りだしているのは、自分自身なのではないかということです。

前に向かっていくエネルギーを創りだしたのも自分ですし、それをもっと大きなエネルギーの流れに乗せたのも自分です。

そして、その流れに逆らうエネルギーを創りだし、自分の前に障害となるものを創りあげたのも自分なのです。

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自分を信じて、自分を受け入れ、自分が望むところへ向かうとき、私たちは大きなエネルギーを創りだすことができます。

また、自分に不信感を持ち、あれこれ不安を感じることは、そのエネルギーを滞らせ、自分を動けないように縛りつけてしまうのです。

障害物は、それに身構えてしまうからこそ、障害物になるのです。どんなに条件が悪くても、それよりも前向きのエネルギーに焦点を合わせてみれば、それは障害ではなくなってしまうのです。

前に向かっていくエネルギー。それを停滞させる障害物。どちらも創りだすのは自分なのですから、どちらが欲しいか、それを決めているのも自分なんですね。
花の盛りに、春の雨。

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一気に咲いた白梅紅梅が一部散って、地面に紅白の花びら模様が出来ました。

まだあと二週間は楽しめそうですね。。