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スカッシュコーチGのブログ

スカッシュコーチの悲哀を綴ったサクセスストーリー
になるはずが、いつのまにやら禅の道に迷い込み・・・

京都の先斗町(ぽんとちょう)と言えば、舞妓さんが歩く情緒ある花街のイメージですが、そこにかなりお安く、飲めて食べれるお店を見つけました。

先日の京都でのスカッシュの試合の帰りに、ぜひ行ってみたいお店としてマークしていたのですが、いってよかったです(グー)

扱うお品書きは、串かつ、焼鳥、京風おでん、京地鶏と純和風で、お店は明治時代から創業のお茶屋さんを改装して作られていて、外観からも風情が味わえます。

このお店はなんと言っても、安い!これにつきます。

串かつ、焼鳥は1本120円、地鶏の生肝が380円、地酒400円・・・これで、先斗町の真ん中にあるお店なんですから驚き!です。

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店内はこぎれいでさっぱりして、清潔ですし、奥には座敷もあり、さらに裏は鴨川に面しているので、5月からは京都名物の「床」が張り出すのだそうです。

「床」は席料千円ですが、飲食がこのお値段はお安いですよ。今年の夏は、この八幡屋さんの「床」で、串かつに生ビール!で決まりですね。

でも、ほんとに暑いんですよ。京都の夏は・・・
ですから「床」は5月と9月はお昼からオープンできますが、盛夏は夕方からしか開けられないとのこと。

そうなんです、日射病の恐れがあるので、市の条例で時間制限があるのだそうですよ。お店の人に聞いて初めて知りました。そりゃそうだわなあ~(あっちっち)

鴨川の川風にあたりながら、生ビールと串かつ、さらには名物ハモのおとしに、地鶏の水炊き・・・たまりませんなあ~♪

      試合より楽しみにしていた先斗町?Gでした。。
土曜に開花したソメイヨシノが、昨日の春の嵐をものともせずに

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次々と咲き始めました。o(^-^)o

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梅の花のつぎは、桜とばかりにメジロも飛びまわっていました。。
これは、水月公園の江戸彼岸桜。すでに満開です。(ノ゚ο゚)ノ

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この桜吹雪のあとに、染井吉野が咲きほこり始め、公園の池の周りは、淡いピンクの桜の花で埋め尽くされます。。(*゚ー゚)ゞ

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やっぱり花見酒でしょう。。ヘ(゚∀゚*)ノ

           はやる気持ちをおさえるGでした。。。(*^o^*)
大阪府池田市水月公園の染井吉野が開花いたしましたぁ(^O^)/~

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三寒四温を乗り越えて、杉花粉に耐え、春爛漫に向かって、自然は着々と芽吹きの身支度をはじめてますね。

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きょうの最高気温は20度を超える陽気になるそうです。(;´▽`A``


これから、1ヶ月は桜の季節。桜吹雪はもうすぐです。。。


                     浮かれGでした~(o^-')b
「ねたまない、怒らない、愚痴らない」ということで人生は豊かになるのでしょうか?

勝間和代さんの本に「人のことを怒らない、愚痴らない、ねたまないという生活を実践すると、運が巡ってくる」とありました。

嫌なことは人に愚痴りますし、自分より優れた人を見ると、ねたみをもっていました。そんな毒のある生活がやめられたら素晴らしいなと思います。

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でも、他人から嫌なことをされても怒らず、嫌なことを人にも愚痴らずで、はたして自分の精神状態を保てるものなのでしょうか。

それどころか、ストレスを溜め込んでしまうのではないでしょうか。怒るときは怒り、嫌なことは愚痴るのもメンタルヘルスには必要なことと思うのですが。

そんな疑問に対して・・・

人間にとって、感情の起伏が激しいという状態は、幸福を感じとることのできない状態にあると思います。

人間が生きていく上においては、様々な事が起こりますが、その出来事を「どう受け止めるか」によって幸不幸が決まるといっても過言ではないでしょう。

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幸福とは自分の内なる感情であるということを知る。
自分の外部に幸福を求めない。

世の中には、様々な価値観や多様性があることを認めることが、幸福の原点であると考えます。

これは、あなた自身が体験してみないと、なかなか理解することは難しいことなのかも知れませんね。

          楽に生きる術は、自分のうちにあり。G
試合で実力を発揮できないという言葉を、聞くことがあります。試合で、常に100%の実力を発揮するのは容易ではありませんが、工夫次第でその割合を向上させることは出来るのです。

試合当日に、それまでの練習どおりのプレーが出来ないのは、主に2つ理由があります。「緊張」や「パニック」などの精神面と「ショットの精度」などの技術面です。

試合で実力が発揮できない理由を、精神面に求めるプレーヤーが多いのですが、ほとんどの場合、技術面の方がはるかに重要なのです。

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練習の時の体の動きには、無意識に体が覚えている「リズム」や「フィーリング」が作用しています。別の言い方をすれば、無意識の「リズム」や「フィーリング」の助けを借りて、思い通りに動けているということです。

しかし、試合では、これらが常に練習時と同じように作用するとは限らないのです。練習で出来ることが、試合で出来ないのは、主にそれが原因です。

これを解決するためには、自分の技術について、論理的な根拠を持っているかどうかです。

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ショットであれば、意図した通りに打てるのは何故か、あるいは、どこに気を付ければ打てるのかを知っておくことです。

インパクトの位置、フォロースルーの方向など、幾つかのチェックポイントを見つけ、練習の時から、意識して打つようにします。

試合では、練習と同じように動けるまで、チェックポイントを確認してプレーするようにします。そうすれば、数本ラリーを続けるうちに、まもなく体に「リズム」や「フィーリング」が蘇ってくるはずなのです。

       とあるコーチの技術書より

京都は左京区に一乗寺という場所があります。一乗寺?で気づく人は、かなりの宮本武蔵ファンですね(笑)一乗寺下がり松の決闘といえば、宮本武蔵が吉岡一門数十名を相手に戦った場所として有名です。

その下がり松近くにある八大神社に行ってきました。そこには約400年前の当時にあった下がり松の木が祭られ、また宮本武蔵が二刀をかまえたブロンズ像があります。

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武蔵と八大神社の由縁を記した文があります。

武蔵が一乗寺下がり松に立って、多数の敵にまみえる日の、まだ朝も暗いうちに、武蔵は、死を期したこの危地へ向かう途中で、八大神社の前で足を止め「勝たせたまえ。今日こそは武蔵が一生の大事」と祈ろうとした。

その時、武蔵の心底からむくむくと沸いた彼の本質が、その神仏に祈ろうとする気持ちを一蹴し、祈ることをやめ、そのまま決戦の場へ向ったという。

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武蔵が自分の書としていた独行道の中に「我れ神仏を尊べど、神仏をたのまず」と書いているその信念は、その折に、ふと心に閃いた武蔵の悟りだったにちがいない。

この「われ神仏を尊べど神仏をたのまず」は、「われ事において後悔せず」とならんで有名な言葉です。

実は、私はこの一乗寺にスカッシュの試合で何度も行っていたのですが、今回初めて、この神社の存在を知り武蔵ファンとしては、訪れなければならない聖地?と思い、お参りしたわけです。

参拝の記念に、武蔵の晩年の肖像画が描かれた絵馬を買い、今は我が家の壁に祀って?あります。

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その絵馬に書かれた「静動一如」という言葉があります。

兵法の道においては、戦いの時にも心は平常の際と変わってはならない。むやみと緊張せず、また弛む事もなく心を静かにゆるがせ、一瞬もそのゆるぎが止まらぬよう、よくよく気をつける事である。

体が静かな時にも心は静止せず、体が激しく動く時にも心は平静を保つべし。という意味があります。

この意味はかなり深いです。よくよく読み返してみてください。試合にのぞむ時の兵法の極意と言えるでしょう。

        一乗寺のスカッシュの決闘で討ち果たされたGでした(泣)
病気やケガでも、「癒す」ということがありますが、それは完全に元に戻るということまでは、期待していないときに使われるような気がします。

治らない病気やケガでも、それを持ちながらも、よりよく生きていこうということを表しているようです。

つまり、自分にとって今の姿が「本来のあるべき姿」であるのだということを受け入れましょう。

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そうすれば、とても心安らぐし、そこからすべてを始めることができるということなのです。

でも、ついつい人と自分を比べて、自分は「本来あるべき姿」ではないと嘆きます。そして、ああなろう、こうなろう、あれが必要だ、これが足りないと、自分を責めます。

他の人との比較では、いつまでたっても本当の自分を知ることはできません。

本当の自分が見えなくては、自分が何がしたいのか、どこへ行きたいのかもわからないし、いつも不安を感じてしまうでしょう。

また、自分と他人を比べて、その人は「本来あるべき姿」ではない、とイライラする人もいます。

あの人は、こうすべきだ、もっとこうしなければならない、と何でも他人のせいにしてしまいます。そんな人も、本当は自分の「あるがままの姿」見ているわけではないのです。

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自分の中で信じ込んだ「本来あるべき姿」を追いかけて、それに外れている他の人を許すことはできないし、自分では気がついていなくても、何より自分が自分をいちばん許してはいないのです。

そんな人たちは、いつも心が安らぐことはないでしょう。

まず、自分の胸に手を当てて、自分を感じて、今の自分を認めて受け入れるということから始めてみてください。

それが、すべての人をあるがままに受け入れることにつながっていくのです。そうすると、何より自分が癒されて、とても心が安らぐことに気づくことでしょう。
 

他はこれ吾にあらず、これも受入の言葉です。G

機械が故障したら「直し」ます。
人が病気にかかれば「治し」ます。

この「直す、治す」とは「本来あるべき状態」でなくなってしまったものを、元に戻すという意味があります。

しかし「喉が渇いた」や「心の悩み」を抱えているときはどうでしょう。あまり、喉の渇きを「直す」とか心の悩みを「治す」とは言わないですね。

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そんなときには「喉の渇きを癒す」「心の悩みを癒す」というように「癒す」という言葉が使われることが多いのではないでしょうか。

これは、「喉の渇き」や「心」には、皆に「あるべき姿」として共通したものがない、ということを表しています。

喉の渇きを元に戻すのに、どれだけ水を飲めばいいのかは、その時と場合。そしてその人によって全く違ってくるでしょうし、たとえ一時は渇きがなくなったとしても、ずっとその状態が続くのではなく、またいつか渇いてくるものです。

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心だって、どんな状態になればいいのかは、人それぞれですし、同じ人でも状況によって違ってくることでしょう。

これでは「あるべき姿」と万人に共通するものをみつけることはできません。たとえあったとしても、ずっとその状態にいることは難しいですね。

「癒」という字に「病」や「疾」などと同じように「やまいだれ」がついているのは、他から見れば「あるべき姿」でないように思えるかも知れないけれど、それでもその人が心安らげればいい、ということを教えてくれているような気がします。

                     to be continue・・・
もしも、たった一人で洞窟の真っ暗闇の中に迷い込んでしまったとしたら、たいていの人はすぐにパニック状態に陥り、やがて自分を見失ってしまうでしょう。

そんな時、もし誰か他の人がひとりでも一緒にいてくれたならば、そんなことにはならずに済みそうです。

誰かが、そばにいてくれるだけで、とても安心できて、何とか頑張ろうという気持ちが湧き上がってきます。

落ち込んでいたり、悩んでいる時というのは、真っ暗な洞窟に迷い込んだようなものです。

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また今という時代は、今までの価値観が崩壊し、先のこともよく見えない、まさに闇のようなものですね。

そんな時に私たちが、ちゃんと自分自身でいられるのも、やはり家族や仲間がそばにいてくれるからなのではないでしょうか。

たとえ目に見えないつながりでも、誰かと関わっているという安心感が大切なことなのでしょう。

そして、私たちが誰かとの関わりで安心を感じているということは、その誰かさんもこちらとの関係で安心を感じているのではないでしょうか。

あなたの周りに、暗闇の中でさまよっている人はいませんか?

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もし、悩みや困りごとがあって、苦しんでいる人がいるのなら、何とか心の支えになってあげるようにしてみましょう。

たとえ、何もできなくても、ただそばにいてあげるだけでいいのです。

本人が気がついていなくても、その人を見守ってあげているかどうかということが大切なのです。

その安心感は、いずれは自分のところにも還ってきます。それが、結局は自分を助けることにもなるのですから。

        つかず離れず、これ絶妙な間合いです。G