つまり、それは「過去」に自分が知っている安全圏に「執着」することであり、その範囲に自分を限定することでもあるのです。
だとすれば、勉強法や考え方さえも、過去に縛られてしまうことになり、今の自分の能力以上に成長することは難しいでしょう。
結局は、今の自分の能力で合格できる試験ならともかく、それ以上の能力を要求されるものなら、合格できる望みは薄くなってしまいますね。

これは試験の例ですが、他のことでも同じことになるでしょう。
「不安」や「恐れ」は、結局は、自分を信頼できないということから始まっているようです。
「結果」に執着してしまうのは、その「結果」を手に入れなければ、自分には何の値打ちもないのだという思い込みがあるからなのです。
思いきって、そんな「結果」への執着を手放して、自分の枠の外の大きな世界へ飛び出してみれば、もっといろいろなものが見えてくるでしょう。
そこは、無限の可能性の場なのです。
そんな自由な世界で、自分が望むことを楽しんだり、時には冒険してみるということが、自分自身を信頼するということにつながっていくのではないでしょうか。

そして、そんな準備ができた瞬間に、本当に望んでいたことを手に入れることが出来るのです。それが「幸運」とか「チャンス」というものなのかも知れません。
夜空を見上げて、この中に自分が見つけた星があると思うことは楽しいことです。
私たちは、たとえ天体望遠鏡がなくても、いつでも自分の中に、美しく輝く自分だけの星を見つけることができるのです。
赤い彗星シャア・アズナブルG
だとすれば、勉強法や考え方さえも、過去に縛られてしまうことになり、今の自分の能力以上に成長することは難しいでしょう。
結局は、今の自分の能力で合格できる試験ならともかく、それ以上の能力を要求されるものなら、合格できる望みは薄くなってしまいますね。

これは試験の例ですが、他のことでも同じことになるでしょう。
「不安」や「恐れ」は、結局は、自分を信頼できないということから始まっているようです。
「結果」に執着してしまうのは、その「結果」を手に入れなければ、自分には何の値打ちもないのだという思い込みがあるからなのです。
思いきって、そんな「結果」への執着を手放して、自分の枠の外の大きな世界へ飛び出してみれば、もっといろいろなものが見えてくるでしょう。
そこは、無限の可能性の場なのです。
そんな自由な世界で、自分が望むことを楽しんだり、時には冒険してみるということが、自分自身を信頼するということにつながっていくのではないでしょうか。

そして、そんな準備ができた瞬間に、本当に望んでいたことを手に入れることが出来るのです。それが「幸運」とか「チャンス」というものなのかも知れません。
夜空を見上げて、この中に自分が見つけた星があると思うことは楽しいことです。
私たちは、たとえ天体望遠鏡がなくても、いつでも自分の中に、美しく輝く自分だけの星を見つけることができるのです。
赤い彗星シャア・アズナブルG
「もしも自分の名前を冠した星があったら、どんなに素晴らしいだろう」そんな思いを胸に、世界中でたくさんの天体観測家たちが、今日も夜空に望遠鏡を向けていることでしょう。
彼らにとって、たった一つでも彗星や新星を発見するということは、大変に名誉なことなのです。
といっても、そう簡単に未知の星がみつかるわけはありません。ところが、日本には、生涯に12個の彗星と11個の新星を発見するという世界一の偉業を成し遂げた人がいるのです。

その人は、かつて、「どうすれば新星を発見できるのですか?秘訣を教えてください」と後輩たちから質問された時に「新星を発見したいと思うのなら『見つけなくてもいい』と思うことだよ」と答えたそうです。
きっと、その人が言いたかったのは、新星を発見したいという「願望」を手放すのではなく「結果」に執着するということを手放せということだったのではないでしょうか。
「必ず、それを手に入れなければならない」そんな「結果」への執着から自由になった時に、初めて本当に望んでいるものが手に入るのだということを教えてくれたのだと思います。
何故なら「執着」とは、本質的に不安や恐れから生じるもので、それを持ち続ける限り、私たちは過去の幻想に縛りつけられているようなものだと言えることです。

たとえば、自分の能力を上回るような資格試験を受ける人が「絶対に、合格しなければならない」と強く「結果」に執着したとしたら、その人の中で、どんなことが起こるでしょうか。
「絶対に」あるいは「確実に」何かをしようと思うことは、言い換えれば、安全に失敗しない道を歩こうということですよね。
そのためには、過去の「うまくいった=失敗しなかった」ことだけを選ぶという選択肢しかないのではないでしょうか。
to be continue・・・・・
彼らにとって、たった一つでも彗星や新星を発見するということは、大変に名誉なことなのです。
といっても、そう簡単に未知の星がみつかるわけはありません。ところが、日本には、生涯に12個の彗星と11個の新星を発見するという世界一の偉業を成し遂げた人がいるのです。

その人は、かつて、「どうすれば新星を発見できるのですか?秘訣を教えてください」と後輩たちから質問された時に「新星を発見したいと思うのなら『見つけなくてもいい』と思うことだよ」と答えたそうです。
きっと、その人が言いたかったのは、新星を発見したいという「願望」を手放すのではなく「結果」に執着するということを手放せということだったのではないでしょうか。
「必ず、それを手に入れなければならない」そんな「結果」への執着から自由になった時に、初めて本当に望んでいるものが手に入るのだということを教えてくれたのだと思います。
何故なら「執着」とは、本質的に不安や恐れから生じるもので、それを持ち続ける限り、私たちは過去の幻想に縛りつけられているようなものだと言えることです。

たとえば、自分の能力を上回るような資格試験を受ける人が「絶対に、合格しなければならない」と強く「結果」に執着したとしたら、その人の中で、どんなことが起こるでしょうか。
「絶対に」あるいは「確実に」何かをしようと思うことは、言い換えれば、安全に失敗しない道を歩こうということですよね。
そのためには、過去の「うまくいった=失敗しなかった」ことだけを選ぶという選択肢しかないのではないでしょうか。
to be continue・・・・・
真っ暗な道を歩いています。とても不安です。
よく見ると少し先の方に灯りがあるようです。その灯りを頼りに、何とか道を進み近づいていくと、赤々と火のついたロウソクを持っている人に出会いました。
その人は、自分のロウソクで明るくなった道を迷うことなく歩いていきます。その堂々とした姿に、思わず後からついて行きたくなってしまいました。
その灯りの中にいると、自分も迷うことなく歩いて行けそうな気がしたのです。しばらく一緒に歩いていると、どうもロウソクを持った人が行くところは、自分が本当に行きたいところではないような気がしてきました。

そう思っているうちに、その人はどこかへ行ってしまい、気がつくと真っ暗闇です。また不安になって、他の灯りを探してみました。
どこか、行きたいところがあったはずなのに、どうしても思いだせないのです。何だか悲しくなって、涙も出てきてしまいました。
「どうしたのですか?」それを見た人が声をかけてくれました。その人も、とても明るく燃えているロウソクを持っていました。
事情を話すと、その人はあきれたように言います。 「あなただって、ちゃんとロウソクを持っているじゃないですか。」そうです。今まで気がつかなかったのですが、ちゃんと自分の手のなかに大きなロウソクがあったのです。

「ほら、私が灯をつけてあげますよ。他の人の灯りについていく必要はないのです。それよりも、その灯りで自分の道を歩いていきなさい。」
確かに、自分のロウソクがあれば、心から安心して前に進んでいくことができます。今度は、迷うことなく自分の行きたいところへ向かって進み、本当に欲しいものがみつかりそうな気がしてきました。
「辛い」という字の上に、ひとつ小さな横棒の灯りをつけてみてください。ほら「幸せ」という字になるでしょ?
♪幸せ~ってなんだっけ♪なんだっけ♪G
よく見ると少し先の方に灯りがあるようです。その灯りを頼りに、何とか道を進み近づいていくと、赤々と火のついたロウソクを持っている人に出会いました。
その人は、自分のロウソクで明るくなった道を迷うことなく歩いていきます。その堂々とした姿に、思わず後からついて行きたくなってしまいました。
その灯りの中にいると、自分も迷うことなく歩いて行けそうな気がしたのです。しばらく一緒に歩いていると、どうもロウソクを持った人が行くところは、自分が本当に行きたいところではないような気がしてきました。

そう思っているうちに、その人はどこかへ行ってしまい、気がつくと真っ暗闇です。また不安になって、他の灯りを探してみました。
どこか、行きたいところがあったはずなのに、どうしても思いだせないのです。何だか悲しくなって、涙も出てきてしまいました。
「どうしたのですか?」それを見た人が声をかけてくれました。その人も、とても明るく燃えているロウソクを持っていました。
事情を話すと、その人はあきれたように言います。 「あなただって、ちゃんとロウソクを持っているじゃないですか。」そうです。今まで気がつかなかったのですが、ちゃんと自分の手のなかに大きなロウソクがあったのです。

「ほら、私が灯をつけてあげますよ。他の人の灯りについていく必要はないのです。それよりも、その灯りで自分の道を歩いていきなさい。」
確かに、自分のロウソクがあれば、心から安心して前に進んでいくことができます。今度は、迷うことなく自分の行きたいところへ向かって進み、本当に欲しいものがみつかりそうな気がしてきました。
「辛い」という字の上に、ひとつ小さな横棒の灯りをつけてみてください。ほら「幸せ」という字になるでしょ?
♪幸せ~ってなんだっけ♪なんだっけ♪G
新聞の人生相談ネタです。相談者はOLさんです。
「会社で、数人の仲のよい友達がいます。いつもよくみんなでおしゃべりしたりして、楽しいのですが、先日、私以外の人達でボーリングに行ったという話を聞いたのですが、私には誘いもありませんでした。私はみんなと同じ仲間だと思っていたので、ショックを受けています。
私はみんなと一緒にいるだけで楽しいのですが、自分から話題の中心になったりはできないタイプなのです。私は仲間外れにされているのでしょうか・・・」という内容でした。

それに対して回答者は、
「人は、群れたがる一面があります。群れにいると安心でき、群れから外れると不安になる。もともと人も動物から進化したのですから、そういった特性を持っているのかも知れませんね。
いまのあなたは、その仲間と一緒にいることが楽しいということですが「安心する」というのが本音ではないですか。
群れにはリーダーがいて、序列があるのが典型的ですが、最近の群れというのは、どうもリーダー不在といった風にも見えます。
個人である以上、まずは自分を大事にしましょう。周りに同調したり、流されたりしない自分をもつ訓練をしましょう。

別の言い方をすると、自分の軸というものを作ることです。自分の中心にどっかりと置いた軸、その軸はたやすく築くことができるものではありませんが、「一本芯が通っている」というのも軸と同じことです。
自分の軸を持っている人は、案外共通した点があるので、見分けやすく、また相手のほうから歩み寄ってくることもあります。
ですから自分を磨いて、軸を作れば、その周りに自然と人が寄ってきます。そうなれるよう、ご自身の研鑽を積んでみることをお勧めします。」というアドバイスでした。
群れをくまない、はぐれ狼Gでした(笑)
「会社で、数人の仲のよい友達がいます。いつもよくみんなでおしゃべりしたりして、楽しいのですが、先日、私以外の人達でボーリングに行ったという話を聞いたのですが、私には誘いもありませんでした。私はみんなと同じ仲間だと思っていたので、ショックを受けています。
私はみんなと一緒にいるだけで楽しいのですが、自分から話題の中心になったりはできないタイプなのです。私は仲間外れにされているのでしょうか・・・」という内容でした。

それに対して回答者は、
「人は、群れたがる一面があります。群れにいると安心でき、群れから外れると不安になる。もともと人も動物から進化したのですから、そういった特性を持っているのかも知れませんね。
いまのあなたは、その仲間と一緒にいることが楽しいということですが「安心する」というのが本音ではないですか。
群れにはリーダーがいて、序列があるのが典型的ですが、最近の群れというのは、どうもリーダー不在といった風にも見えます。
個人である以上、まずは自分を大事にしましょう。周りに同調したり、流されたりしない自分をもつ訓練をしましょう。

別の言い方をすると、自分の軸というものを作ることです。自分の中心にどっかりと置いた軸、その軸はたやすく築くことができるものではありませんが、「一本芯が通っている」というのも軸と同じことです。
自分の軸を持っている人は、案外共通した点があるので、見分けやすく、また相手のほうから歩み寄ってくることもあります。
ですから自分を磨いて、軸を作れば、その周りに自然と人が寄ってきます。そうなれるよう、ご自身の研鑽を積んでみることをお勧めします。」というアドバイスでした。
群れをくまない、はぐれ狼Gでした(笑)
仏教に「三毒」という言葉があります。「妬み、怒り、愚痴」の三つです。
怒りや愚痴は、どういう状態かすぐわかりますね。ポイントは妬(ねた)みです。最近G風にわかりかけてきたところですが、怒りや愚痴の出発点には妬みがあるのではないでしょうか。

妬む、例えば「あの人はなんであんなに自由にできるの!?」とか「私が出来ないことをあの人は、なんでできるんだろう!?」さらには「私ならこうするのに、あの人はそうしない、なんで!?」これもよくよく考えると妬みからなんですね。
妬みとは、自分と他者を比べてその差がプラスでもマイナスでも、芽生えてくるものなんです。「そんなことはない」と言い切る人に限って、その妬みにはまっていることに気づいていないというか「私がなんであの人を妬まなきゃならないの!」とか言い返してきますね。
さらに妬みとわかっていて、悔しいとかの感情をいだくこと自体に、自分に嫌悪感を抱く人もいますが、これもまた、他人と比較してのことです。
ここで、肝心なのは「他人や自分と比較する時の基準は誰が作ったのか」です。

そうなんです、自分で作った基準で物事の良し悪し、好き嫌いを判断しているのです。もちろんそこには世間さまの基準もベースにあるのですが、それさえも、人々が自分勝手に作り上げたものです。その最たるものがマスコミ報道ですよね。
「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」世の中のものすべては空である。空であるからこそ、そこに人間の煩悩(欲)が混じりやすく、感情となって、人を苦しめるのです。
一足飛びにこの境地には、とても辿りつけるものではありませんが、ここは「ねたまない、おこらない、ぐちらない」を復唱しながら、「他はこれ吾にあらず」と念じることをお勧めします。
照見五蘊皆空 度一切苦厄G
怒りや愚痴は、どういう状態かすぐわかりますね。ポイントは妬(ねた)みです。最近G風にわかりかけてきたところですが、怒りや愚痴の出発点には妬みがあるのではないでしょうか。

妬む、例えば「あの人はなんであんなに自由にできるの!?」とか「私が出来ないことをあの人は、なんでできるんだろう!?」さらには「私ならこうするのに、あの人はそうしない、なんで!?」これもよくよく考えると妬みからなんですね。
妬みとは、自分と他者を比べてその差がプラスでもマイナスでも、芽生えてくるものなんです。「そんなことはない」と言い切る人に限って、その妬みにはまっていることに気づいていないというか「私がなんであの人を妬まなきゃならないの!」とか言い返してきますね。
さらに妬みとわかっていて、悔しいとかの感情をいだくこと自体に、自分に嫌悪感を抱く人もいますが、これもまた、他人と比較してのことです。
ここで、肝心なのは「他人や自分と比較する時の基準は誰が作ったのか」です。

そうなんです、自分で作った基準で物事の良し悪し、好き嫌いを判断しているのです。もちろんそこには世間さまの基準もベースにあるのですが、それさえも、人々が自分勝手に作り上げたものです。その最たるものがマスコミ報道ですよね。
「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」世の中のものすべては空である。空であるからこそ、そこに人間の煩悩(欲)が混じりやすく、感情となって、人を苦しめるのです。
一足飛びにこの境地には、とても辿りつけるものではありませんが、ここは「ねたまない、おこらない、ぐちらない」を復唱しながら、「他はこれ吾にあらず」と念じることをお勧めします。
照見五蘊皆空 度一切苦厄G
大脳は、いろいろな情報を受け取り考える場所ですが、その下に視床と呼ばれる部分があります。視床には、外部から受けた刺激を大脳へ伝える機能があるのですが、感情が生まれてくる場所でもあるのです。
このバランスがうまく取れているのなら、私たちの心は、やはり自由で楽でいることができるのです。でも、そうでないと、やっぱり自分を苦しめてしまいます。
たとえば、誰かにちょっと忠告めいたことを言われたとします。その刺激が、視床を通してスムーズに大脳に伝わるとしたら、私たちは、そこからいろいろなものを得ることができます。

もちろん、いろんな感情は生まれてくるでしょう。「困惑」あるいは「失望」「悲しみ」かも知れませんし「怒り」を感じることもあるでしょう。
そこにバランスがあるのだとしたら、その忠告を大脳中枢でも受け取ることができるのです。感情は、それをいろいろな角度から眺めることを助けてくれます。
そして、もしその忠告によって、自分でも気づかなかった発見があるとすれば、それを生かしていけばいいのですし、それが見当はずれでも、自分のやったことの意味をもう一度確認できるかも知れません。
ところが、そんなバランスがうまく取れていないとしたらどうでしょうか。その忠告という刺激を視床だけで受け取って、大脳にまで届かないといったような時です。

つまり、視床で生じたネガティブな感情にふりまわされて、それにそのまま反応してしまう。「怒り」に振り回されて相手を罵倒してしまったり「悲しみ」をコントロールできなくて落ち込んでしまったり…
そんな感情は、私たちの心を締めつけ痛みを与えることになります。感情もやはり、私たちが、多角的にものを見るために大事なものなのですが、振り回されてしまうと自分を痛めつけることになります。
それが、心の「こむらがえり」です。
もっと楽に生きていくためには、筋肉も感情もコントロールしたりされたりするということではなく、ただバランスを大事にするということなのかも知れませんね。
確かにこむらがえりは痛い!G
このバランスがうまく取れているのなら、私たちの心は、やはり自由で楽でいることができるのです。でも、そうでないと、やっぱり自分を苦しめてしまいます。
たとえば、誰かにちょっと忠告めいたことを言われたとします。その刺激が、視床を通してスムーズに大脳に伝わるとしたら、私たちは、そこからいろいろなものを得ることができます。

もちろん、いろんな感情は生まれてくるでしょう。「困惑」あるいは「失望」「悲しみ」かも知れませんし「怒り」を感じることもあるでしょう。
そこにバランスがあるのだとしたら、その忠告を大脳中枢でも受け取ることができるのです。感情は、それをいろいろな角度から眺めることを助けてくれます。
そして、もしその忠告によって、自分でも気づかなかった発見があるとすれば、それを生かしていけばいいのですし、それが見当はずれでも、自分のやったことの意味をもう一度確認できるかも知れません。
ところが、そんなバランスがうまく取れていないとしたらどうでしょうか。その忠告という刺激を視床だけで受け取って、大脳にまで届かないといったような時です。

つまり、視床で生じたネガティブな感情にふりまわされて、それにそのまま反応してしまう。「怒り」に振り回されて相手を罵倒してしまったり「悲しみ」をコントロールできなくて落ち込んでしまったり…
そんな感情は、私たちの心を締めつけ痛みを与えることになります。感情もやはり、私たちが、多角的にものを見るために大事なものなのですが、振り回されてしまうと自分を痛めつけることになります。
それが、心の「こむらがえり」です。
もっと楽に生きていくためには、筋肉も感情もコントロールしたりされたりするということではなく、ただバランスを大事にするということなのかも知れませんね。
確かにこむらがえりは痛い!G
舟で川を渡ろうとしているときに、自分の舟に他の舟がぶつかってこようとしたとします。もし、その舟に誰も乗っていなければ、どんなに短気な人でも怒ることはしないでしょう。
しかし、その舟に誰か人が乗っていたとしたらどうでしょう。すぐに「舟をどかせ」「あっちへ行け」などと、大声を出すに違いありません。
一度叫んで相手が言うことを聞かないとなると、二度、三度と怒鳴り、ついには相手に罵声を浴びせることになってしまうでしょう。

初めの場合は怒らないのに、今度は怒りが生じるのは、初めのときは舟に人が乗っていなかった(虚)のに、今度は人が乗っていた(実)からではないでしょうか。
これは、自分の乗っている舟を「虚」、つまり誰も人が乗っていない舟のようにすれば、他人との無用のトラブルは避けることができると教えてくれています。
自分のエゴをできるだけなくしていけば、楽に生きていくことができるということを説いています。

エゴをなくして「虚」でいるとは、多くの人に受け入れられようと努力するとか、他人の役に立つことをするように心がけるということとは、少し違うようです。
そんなふうに頑張ってしまうから「誰も自分のことをわかってくれない」「こんなにみんなのためを思っているのに」と、本来必要のない「心の乱れ」に、悩まされてしまうこともあります。
そんなときは、きっと誰もいない舟なのに、誰かが乗っているように思い込んでいるだけ、なのではないでしょうか。
その舟に、自分の感情を刺激する人が乗っていると思っているのは、自分の心なのです。結局は、相手の舟に「自分の影」を見ているだけかも知れないのです。

いるはずのない相手に、自分の心が乱され、うっとうしく感じているとしたら、こんなにバカげたことはありませんね。
そんな感情の波に心が揺れてしまっていると、見えるものも見えなくなってしまいますね。
その舟に乗っている人が「自分の影」ではないか、もう一度よく見てみましょう。そして、それが何であれ、受け入れてみてはどうですか。
いちばん大切なこと、それはきっと自分の舟が、自分の行きたいところへ向かって進んでいくことを、楽しむということなのではないですか。
沖縄の舟「サバニ」は情緒があります。G
しかし、その舟に誰か人が乗っていたとしたらどうでしょう。すぐに「舟をどかせ」「あっちへ行け」などと、大声を出すに違いありません。
一度叫んで相手が言うことを聞かないとなると、二度、三度と怒鳴り、ついには相手に罵声を浴びせることになってしまうでしょう。

初めの場合は怒らないのに、今度は怒りが生じるのは、初めのときは舟に人が乗っていなかった(虚)のに、今度は人が乗っていた(実)からではないでしょうか。
これは、自分の乗っている舟を「虚」、つまり誰も人が乗っていない舟のようにすれば、他人との無用のトラブルは避けることができると教えてくれています。
自分のエゴをできるだけなくしていけば、楽に生きていくことができるということを説いています。

エゴをなくして「虚」でいるとは、多くの人に受け入れられようと努力するとか、他人の役に立つことをするように心がけるということとは、少し違うようです。
そんなふうに頑張ってしまうから「誰も自分のことをわかってくれない」「こんなにみんなのためを思っているのに」と、本来必要のない「心の乱れ」に、悩まされてしまうこともあります。
そんなときは、きっと誰もいない舟なのに、誰かが乗っているように思い込んでいるだけ、なのではないでしょうか。
その舟に、自分の感情を刺激する人が乗っていると思っているのは、自分の心なのです。結局は、相手の舟に「自分の影」を見ているだけかも知れないのです。

いるはずのない相手に、自分の心が乱され、うっとうしく感じているとしたら、こんなにバカげたことはありませんね。
そんな感情の波に心が揺れてしまっていると、見えるものも見えなくなってしまいますね。
その舟に乗っている人が「自分の影」ではないか、もう一度よく見てみましょう。そして、それが何であれ、受け入れてみてはどうですか。
いちばん大切なこと、それはきっと自分の舟が、自分の行きたいところへ向かって進んでいくことを、楽しむということなのではないですか。
沖縄の舟「サバニ」は情緒があります。G
一本の棒が立っています。その棒は、ゴムひもで、あちこちから引っ張られています。
あるとき棒が傾きはじめました。棒を支えている何本かのゴムひもの力が弱くなってきたようで、均衡していたバランスが崩れてしまったのです。
私たちの心もこの棒のように、いろいろな感情というゴムひもによって支えられています。このゴムひもの力のバランスが取れていれば、心は安定していられます。

でも、どこかが弱くなってしまうと、心はその反対側に傾くことになってしまうのです。
そんな時、私たちは何かの問題を感じます。そして、その問題は弱くなったゴムひも側ではなく、その反対側に現れることが多いのです。
私たちは、その現れた問題を何とかしようと、一生懸命に頑張ります。だけど、この努力は、うまく行くことはないでしょう。なぜなら本当の問題は、そこには無いからです。

たとえば、知識やお金、地位や名誉などを持つことで自分に自信を持とうとする人がいます。心を安定させるためには、もっとたくさんのものを手に入れて身を守らねばと一生懸命になります。
でも、いくら多くのものを持っても、その人の心は、いつまでたっても安定することはないでしょう。
なぜなら、その人の本当の問題は、自信を持たなくてはならないということではなくて、不安を感じているものから逃げようとしている、ということかも知れないからです。
また、自分はいつも完璧でなければならないと思っている人もいます。いつもベストでなければ、自分の値打ちはない、常に頑張っていることが大事なんだと思い込んでいます。

そんな人は、自分も他人も、ある基準を満たすまではどんなことも、楽しんではいけないと考えているのですが、その基準はとても手の届かないような高い所にあることが多いのです。
心を安定させるためには、もっと頑張って、もっと自分を変えなくては、とさらに努力し続けます。他の人やまわりの環境も、こうあるべきだと自分でコントロールしようとします。
もちろん、そんなことをいくら続けても、心の棒の傾きは元に戻るどころか、もっともっと傾いて、ますます心が苦しくなってくるでしょう。
本当の問題は、そこには無いのです。そんな人達に、本当に必要なこと。それは「今のそんな自分も、自分なんだ」と受け止めて、許してあげることなのです。
強がりな自分も弱い自分も、それも私。G
あるとき棒が傾きはじめました。棒を支えている何本かのゴムひもの力が弱くなってきたようで、均衡していたバランスが崩れてしまったのです。
私たちの心もこの棒のように、いろいろな感情というゴムひもによって支えられています。このゴムひもの力のバランスが取れていれば、心は安定していられます。

でも、どこかが弱くなってしまうと、心はその反対側に傾くことになってしまうのです。
そんな時、私たちは何かの問題を感じます。そして、その問題は弱くなったゴムひも側ではなく、その反対側に現れることが多いのです。
私たちは、その現れた問題を何とかしようと、一生懸命に頑張ります。だけど、この努力は、うまく行くことはないでしょう。なぜなら本当の問題は、そこには無いからです。

たとえば、知識やお金、地位や名誉などを持つことで自分に自信を持とうとする人がいます。心を安定させるためには、もっとたくさんのものを手に入れて身を守らねばと一生懸命になります。
でも、いくら多くのものを持っても、その人の心は、いつまでたっても安定することはないでしょう。
なぜなら、その人の本当の問題は、自信を持たなくてはならないということではなくて、不安を感じているものから逃げようとしている、ということかも知れないからです。
また、自分はいつも完璧でなければならないと思っている人もいます。いつもベストでなければ、自分の値打ちはない、常に頑張っていることが大事なんだと思い込んでいます。

そんな人は、自分も他人も、ある基準を満たすまではどんなことも、楽しんではいけないと考えているのですが、その基準はとても手の届かないような高い所にあることが多いのです。
心を安定させるためには、もっと頑張って、もっと自分を変えなくては、とさらに努力し続けます。他の人やまわりの環境も、こうあるべきだと自分でコントロールしようとします。
もちろん、そんなことをいくら続けても、心の棒の傾きは元に戻るどころか、もっともっと傾いて、ますます心が苦しくなってくるでしょう。
本当の問題は、そこには無いのです。そんな人達に、本当に必要なこと。それは「今のそんな自分も、自分なんだ」と受け止めて、許してあげることなのです。
強がりな自分も弱い自分も、それも私。G


