「うらうらに 照れる春日に 雲雀あがり 心かなしも ひとりしおもへば」という歌があります。
青い空、白い雲、緑の野原に雲雀が天高く、飛び上がっていくさまに、春ののどかな風景が浮かびます。
しかし、こころが弾むような春日和なのに、なぜ「心かなし」なのだろうか?「こころうれし」ではないのかと。。
この時代の「かなし」は現代の「悲しい」とは意味が違い、天地万物のさまざまな存在が、身にしみてくるような「いとし」という言葉に似たものなんだそうです。

「目前の春がすぐに夏になり、秋冬へと変わるように、春の風景がのどかであればあるほど、人生もあっという間に過ぎていく、いま在ることが愛おしく思え。」ということのようです。
「日々是好日」という言葉があります。
晴れの日と雨の日、楽しい日と辛い日。人生はいろいろあります。この好日とは、雨の日に晴れた日のことを思い、毎日が好い日と思えということではありません。
本来の好日というのは、よい日、悪い日と比べるのではなく、たとえ今が辛い時でも、その時に苦しみながらも、好ましい日には得られない価値と意味を見つけだし、生きる喜びをえられるよう日々悔いなく過ごすことなのです。
妙心寺法話より編集









