スカッシュコーチGのブログ -24ページ目

スカッシュコーチGのブログ

スカッシュコーチの悲哀を綴ったサクセスストーリー
になるはずが、いつのまにやら禅の道に迷い込み・・・

完璧を目指してがんばるということは、すばらしいことです。でも、いつも完璧でいなければならない、という考えを持ったりすると、私たちは、毎日が辛くなってしまいます。

まるで自分で自分を重い鎖で縛りつけているようなものですね。たとえば、完璧主義者と呼ばれる人たちは、知らず知らずのうちに次のような傾向を持つようです。

・物事を決めるときに、完全な答えを見つけ出そうと、とことん悩んでしまう。

・ついつい他の人の「できない」ところに目がいってしまい、すべて自分がちゃんとやらなければと、余分な仕事を背負い込んでしまう。

・完璧であるということが人間の価値だと信じ、そうでない自分に罪悪感を持ち、もっとがんばらねばと自分を追い込んでしまう。

・完璧でない人や物事の存在が許せない。

$スカッシュコーチGのブログ

どうでしょう、こんな束縛の中で生きていくのは、さぞかし窮屈なものでしょうね。完璧に生きようとすれば、自分らしさというものは、どこかへ吹き飛んでいってしまうのではないでしょうか。

この世界には、100%完全に正しい、ということや、完全に間違っている、ということは存在しないのです。どれだけ努力して完璧を目指しても、どこかにさらに成長するスペースがあるはずです。

「完璧」とは、私たちが創りあげた幻影に過ぎないのです。同じように、私たちの人生には、「~してはいけない」「~しなくてはならない」ということもないのです。

この世界は、もっと自由で大きなものなのです。「完璧」という縛りを解放してみれば、それが見えてくるかも知れませんね。

私たちが、この世界にいるは、物事をうまくやるためではなくて、楽しむためなのでしょうからね。もっと自分を自由気ままに、開放してあげましょう。



「気が弱くて、いつもチャンスを逃して損ばかりしている」「私は貧乏くじばかりを引いている」
ときに私たちは、自分が不運で、ダメな人間だと考えてしまうことがあります。

でもそれは、ただ自分の良さを見失っているだけのことなのです。

そんなとき私たちは、つい他人と比べて、「~でなくてはならない」という視点で自分を見ているのです。

すると、「私は~ができない」「自分には~がない」ということばかりが見えてきます。その結果、せっかくの自分らしさを否定してしまっているのです。

だけど、自分が勝手に欠点だと決めつけていることでも、本当は自分らしくて素晴らしい個性なのかも知れません。
  
自分が「気が弱い」と思っている人は、見方を変えると、とても慎重で用心深い性格だと言えます。

$スカッシュコーチGのブログ

他人のことをうらやましく思っている人だってそうです。他人の金運が気にかかるという自分のクセに気づき、もっと自分の良いところに目を向けてみれば、きっと他人のことなど、どうでもよくなるでしょう。

「尊敬を失うかも知れないなどと心配せずに、ヘマをすることだってできる。人間が変わったり、成長する自由もある。また、いざというときに見捨てられるかも知れない、などと心配せずに、ためらったり、失敗する自由もある。」

いつまでもシコリが残ったらどうしようなどと心配せずに、思い切り腹を立てることだってできるのです。

自分自身のことだってそうです。自分の欠点だと思えるところ、また長所だと自慢できる面、それらをすべて含めて受けいれてみれば、私たちはもっと心が楽になり、生き生きと、生きていけるようになるのではないでしょうか。

私たちは本当は、大きくて、広くて、自由で、優しい愛に満ちた世界に生きているのです。ただ、それを自分で小さくて、窮屈な場所だと思い込んでいるだけなのです。

自分自身を受けいれ、認めることができれば、私たちは、「こうでなくてはならない世界」から、「それでいい世界」に変えることができるようになるのです。

誰かに自分の欠点を指摘され、仕事でミスをして、自分の至らなさを思い知らされ、失敗続きで、自分に足りないところばかりが目についてしまう。
 
そんな時は、ガックリして落ち込んでしまいそうになりますね。でも、少し考え方を変えてみれば、そんな出来事に出会った時こそが、本当はとても素晴らしいチャンスなんだということがわかります。

イソップの寓話に、シカとライオンという話があります。

あるとき泉で水を飲んでいたシカは、水面に映る自分の姿を目にします。シカは、自分の大きくて立派な角を見て、とても誇らしく思います。それに比べて4本の脚ときたら、華奢でひょろ長いだけで、とても情けないと、嘆いてしまうのです。

そこに突然、一頭のライオンが現れました。シカは慌てて飛び上がり、草原を全速力で走り抜け、何とかうまく逃げのびることができ、ホッとしました。

シカは、追ってきたライオンに見つからないように、森のなかの茂みに潜んで身を隠そうとしますが、今度は大きな角が木の枝に引っかかって、身動きが取れなくなってしまいました。

そこにやってきたライオンは、難なくシカを捕まえて、食べてしまったのです。

最期にシカは、こう嘆きます。「ああ、何と言うことだ。みすぼらしくて役立たずだと思っていた脚が、私を助けてくれたのに、誇りにしていた角のせいで、命を落とすことになろうとは・・・」

誰でも、自分の欠点よりは長所を、嫌なところよりは優れているところを、人に見せたいと思います。

また、自分自身も、自分の欠けているところは見たくないと目をそらし、目立つところ、人から認められるようなところばかりが、大事だと思ってしまいがちです。

自分の欠点を誰かに知られてはいけない。弱い自分でいてはダメだ。と外側ばかりを着飾ろうとするのです。

もちろん、「自分は仕事ができる」「私には力がある」と自負することは、とても素晴らしいことです。

$スカッシュコーチGのブログ

ところがそんな時には、まわりの人から自分の欠けているところを指摘されても、なかなかそれを素直に受けいれ難いものなのです。それどころか、それを隠すために、見えないようにするためにもっと固い鎧を身につけようとするのです。

そして、それが自分を縛りつけて不自由にしているというのに・・・

ところが、自分の未熟なところ、欠点から目を逸らさずに立ち向かってみると、今の自分の課題が見えてきます。

それを、努力してカバーしていこうとする時こそが、私たちが本当の「強さ」を身につける時なのです。

さらに、そんなふうに前に進むことこそが、人生における真の「豊かさ」になると言えるのかも知れません。

思いきって裸の自分をさらけ出してみれば、心も自由になるでしょうし、他人の助言や助けも、柔軟に受けいれることもできるでしょう。

自分が欠点だと思っていたことが、意外に本当の自分らしさであったり、いざというときに自分を助けてくれるということも、よくあるようです。

私たちが本当に輝き出すのは、自分の弱さを認めることができた時なのです。

「人前に出るとあがってしまって、言いたいことも言えない」「積極的に行動できない」「やりたいことがあっても、思いきってチャレンジすることができず、いつも悔やんでばかり」と訴える人たちがいます。さぞかし、過去に辛い思いをした経験があったのだろうと思います。

自分が主張したことを、寄ってたかって、みんなに否定されたとか、積極的に前に出たときに、取り返しのつかない失敗をしてしまったとか、あるいは、思いきって自分の目標に向かって飛び込んでいって、夢やぶれて心が傷ついてしまったとか・・・

ところが、そんなことをクヨクヨ悩んでいる人に限って、大きな失敗をしたり、挫折したことなど一度もないということが多いようです。

なぜなら、そんな人たちは、失敗したり、傷ついたり、恥をかいたりするようなことを、ずっと避け続けてきたのでしょうから。

例外もあるでしょうが、行動を起こす前に結果が気になって、新しいことに飛び込んでいったり、思いきってチャレンジできなかったのです。

だから、辛い思いこそしなかったでしょうが、いつまでたっても、失敗したり、傷ついたり、恥をかいたりすることに、恐れを感じてしまうのですね。

もちろん、誰でも失敗は恐いし、人前で恥をかくのもイヤなものです。うまくできるかどうかわからない、新しいことにチャレンジすることは、とても不安です。

$スカッシュコーチGのブログ

でも、新しいことは一度はやってみないと、いつまでたっても自分にとっては未知なるものです。そして、知らないことは、いつでも恐ろしく考えてしまうものなのです。

失敗したとしても、嫌な思いをしても、思いきってチャレンジして何かを経験してみれば、その度に恐ろしさは減っていきます。

さらに、自分が心から望むことに対しては、次はもっとうまくできるようにがんばろうという勇気も湧いてくるのです。

それに、失敗や苦しい経験からしか生まれてこないものもあるのです。それは「自信」というものです。

チャレンジしようとしない人には、絶対わからないものです。「自信」とは、絶対に失敗しないとか、必ずうまくいくと思えたときに持てるものではありません。

本当の「自信」とは、たとえ失敗しても、それでも自分は大丈夫なんだと思えるときに確信できるものなのです。

何かに立ち向かうときこそ、私たちが、もっと大きくなれるチャンスなのです。

「明」という字は、「日」と「月」が組み合わされてできています。「日」つまり太陽のように自ら光を放っている存在と、「月」のように、太陽の光を受けて、輝いている存在。

その両方があって、はじめて本当に、「明るい」ということになるのかも知れませんね。

$スカッシュコーチGのブログ

職場や家庭などでも、「日」のように元気に光を発している人と、「月」のようにその光を受けてエネルギーの流れを運ぶことができる人がいるときに、すべてがうまく回り、「明るい」場所になるのです。

私たちの人生は、何もかもうまくいって順調な時と、ちょっとつまづいたり、失敗して落ち込む時の繰り返しです。

でも、そんなふうに「日」のように燃えて輝いている時と、「月」のように静かに自分を見つめ直す時があるからこそ、本当の明るさが手に入るのではないでしょうか。


自分の人生は、全ては自分が何かを決めるということから始まります。朝、目覚めて、布団から出るかどうか。仕事へ行くか、行かないか。どんな服を着るか・・・

何をするか、あるいはしないのかを決めるのは、自分です。もちろん、何かを決めるということは、決めたことに対しての責任を取ることでもあります。

たとえば、朝、目が覚めたときに、気分が乗らなければ、「仕事に行かない」と決めることもできます。でも、そう決めると、誰かに迷惑かけたり、仕事を失ってしまうことになるかも知れません。

それでも構わないし、仕事へ行かないことが、自分の欲しいものを手に入れることにつながると思えるのなら、そう決めればスッキリして、気分が良くなるはずです。

でも、多くの場合は、給料や信用を無くしてしまうことを避けるために、あるいは喜びや自己成長など、人生で自分が欲しいと思うものを手に入れるために、少々気分が乗らなくても、仕事へ行くということを決めているのです。

$スカッシュコーチGのブログ

これは、ほとんど無意識の決定かも知れませんが、私たちはいつも、何をすれば、いちばん楽しく生きていくことができるのかを決め、自分の人生を創りあげているのです。

私たちは、自由な世界に生きているのです。ところが、時として私たちは、「~ねばならない」と、悩みを抱えてしまいます。仕事へ行きたくないのに、行かなければ「ならない」。行いは、清く正しくいなくては「ならない」。いつも頑張っていなくては「ならない」。そんな時には、思い出してください。

「~ねばならない」と苦しむのは、何かを「決めていないから」なのです。何かを決めないでいると、それに付随する責任からは逃げることが出来るかも知れませんが、いつまでも自分の進む方向が見えてこず、まわりに振り回されてしまうことになってしまいます。

迷いがあったり、結果に対する不安もあるでしょうが、自分で決めてみれば、気分はずっとよくなるはずですし、どんな困難でも自分で乗り越えて行こうという力も湧いてくるでしょう。

本当は、この世界には、「~ねばならない」ことなど存在しないのです。全ては、自分が「したい」か「したくない」かのどちらかしかないのです。


不安とは、「何かを失うのではないか」「恐れていることが起こるのではないか」といったことを、あれこれ考えすぎている状態なのです。つまり、「自分が持っているもの」や「現在の自分の状態」にしがみついて、起こりもしないうちから、過敏になって悩んでしまうのです。

恐ろしいことに、人が不安な衝動を感じると、血液中に有害物質が増えていくそうです。つまり、何かにしがみついている状態というのは、心が不安になるばかりか、体調にも影響を与えることになります。

人が本当に健康であるためには、身体のケアももちろん必要ですが、心のケアは、もっと大切なのです。身体に健康法があるように、心にも健康法があるのです。その3つのポイントは。。。

一つ目は、「自分を許す」ということです。

過ぎてしまったこと、やってしまったことは、クヨクヨ思い悩んでも仕方がないのです。自分で自分に「しゃあないなあ」などと声をかけて許してあげることで、心の重荷が降りたように、気が軽くなるのです。

二つ目は、「自分を讃える」ということです。

誰かが自分を褒めてくれた時には、否定したりせずに有難く受け取って、忘れないようにメモしておきましょう。それを落ち込んだ時、自信を失った時などに読み返してみると、自信を取り戻すことができ、元気が出てくるのです。

$スカッシュコーチGのブログ

三つ目は、「自分を笑ってみる」ということです。

物事にあまり真剣になり過ぎると、息が詰まってしまいます。そんなとき、ちょっと自分の姿を客観的に眺めてみると、バカバカしくて滑稽に思えてきたりします。自分を笑い飛ばしてみると、意外なほど肩から力が抜けて心身も軽くなってくるのです。

ときに私たちは、頑張り過ぎたり、目の前のことに一生懸命になり過ぎてしまうことがあります。また、自分の力では、どうしようもないことに出会うこともあるでしょう。

そんな時、「しゃあないなあ」と自分を許し、今まで頑張ってきた自分の良いところを思いだし、大きく息を吐いて自分を笑ってみたらどうでしょう。知らぬ間にしがみついていたこと、掴んでいたものを手放して、自分を自由にしてあげるのです。そして、握りしめたものを手放して開いた手には、青い鳥が遊びに来るかも知れませんよ。






自分を不幸だと思っている人たちに共通している点は、他人の欠点のアラ探しをしすぎる傾向があるという点です。

人によっては、アラ探しが外部でなく、自分自身に向いて、絶えず自分を否定したり、自己批判を繰り返している人もいます。

他人にせよ自分にせよ、嫌なところが目につくということは、それを受け入れることが出来ないからです。

もちろん、どうしても許し難いと思えることもあるでしょうが、それを否定するのではなく、どうすれば良い方向へ持っていくことができるだろうかと考えることはできるはずです。

$スカッシュコーチGのブログ

「もの」は、誰かにあげてしまうと、自分の手元にはなくなってしまいます。でも、「批判」や「否定」は、言葉に出そうが、自分の心の中で感じているだけだとしても、相手にも伝わるでしょうし、自分の中にもいつまでも嫌な気分として残ります。

しかし「称賛」は、人にあげてみれば、その人もうれしくなってきますし、それを感じた自分も、幸せを感じるはずですね。

他人を称賛すればするほど、自分の中の幸福感は増していきます。

他人を受け入れれば受け入れるほど、結局は、自分自身を受け入れていることになるのです。

それは、今までの自分よりも、少しでも前に進もうという気持ちがあるからですよね。

ほら、早速、自分自身の良いところを見つけられたでしょ?


物事が自分の思い通りにならなかった時、私たちは多くの場合、それを「どうやって」自分の望む方向へ変えていこうかというよりも、「なぜ」できないのかという言い訳を思い浮かべてしまいます。

「才能がないから、うまくいかなかった」「忙しくて時間がなかった」「もし、あれさえ持っていれば、うまくいった」そうやって自分を正当化して、自分を守ろうとしてしまいます。

正当な理由があれば、それ以上頑張ることもないですし、自分を変えていく必要もないのです。

私たちにとって、確かに未知の世界へ進んでいくことほど、恐怖を感じることはありません。

たとえそれが、より良くなるための過程だとしても・・・

$スカッシュコーチGのブログ

どうせ知恵を使うなら「なぜ」そうなったのか、ではなく「どうやったら」自分の思う方向へ進むのか、ということに意識を向けてみてはどうでしょう。

「できない理由」を考えるより「どうすればできるのか」ということを考えてみる方がずっと建設的です。

アダムとイブが知恵の木の実を食べて、失ってしまったことは沢山あるでしょう。でも、それよりも、知恵の実を食べたことによって、手に入れたことに意識を向けてみましょう。

私たちは、自分で考え、自分の力で、自分の望む世界を創り出していくことができるのです。

知恵や意識の力を持っているからできると思えば、どんなことだってできるのではないでしょうか。

       そう言えば、最近あまり言い訳をしないGでした。。。



水を入れた大きな水槽を、小さな穴がたくさん空いた透明のガラスでふたつに仕切ります。その水槽の片方には、サメを入れ、もう片方にはサメのエサになるような魚を何匹か入れてみます。

お腹を空かせたサメは、魚のにおいを嗅ぎつけて、突進しようとしますが、ガラスの仕切にぶつかって跳ね返されてしまいます。サメは、何度も小魚を捕まえようと挑戦しますが、やがて力尽きて、水槽の底に横たわってしまします。

$スカッシュコーチGのブログ

その後で、仕切のガラスを外してみても、もうサメは、魚に向かっていったりはしなくなるということです。

なぜなら、サメは、「いくら全力を尽くしても、魚を捕まえることができない」とあきらめてしまって、チャレンジしようともしなくなるからです。

これはサメによる実験ですが、私たちだって、知らぬ間に自分のまわりに見えないガラスの壁を張りめぐらせているのかも知れませんよ。

やりたいことがあっても、「自分には、とても無理だ」「才能も、お金もないし」などと、挑戦する前からあきらめてしまったりしているのです。

「できない」理由を探してみれば、きっと、いくらでも見つかるでしょう。でも、ひょっとしたら、それこそが、もはや存在しないガラスの仕切なのかも知れません。

見えないガラスの壁は、過去に失敗したり、自分の限界を感じたときの体験から、自分で創りあげたものなのです。

$スカッシュコーチGのブログ

でも、昨日は難しかったことが、今日には簡単になっているかも知れません。子供の頃には、不可能と思えたことでも、大人になってみると易しいことだったと気付くこともあるでしょう。

存在しない壁で、自分の世界を小さく限定させておく必要はありません。「できる」「できない」を決めているのは、本当は自分自身なのですね。

「何をやりたいのか」、「やりたくないのか」、そして、人生の一瞬一瞬をどう生きるのかを選ぶのも、いつだって自分自身なんですよ。