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スカッシュコーチGのブログ

スカッシュコーチの悲哀を綴ったサクセスストーリー
になるはずが、いつのまにやら禅の道に迷い込み・・・

本当は誰でも、知っています。自分が素晴らしくて、かけがえのない存在だということを。一番大切だし、勇気と優しさに満ち溢れていると。そして、幸福になるために、この世に生まれてきたのだということを。

でも、生きているといろいろなことがあって、そのことに、少し自信をなくしてしまっているのですね。だから、誰か他の人から言ってほしいのです。特に苦しいときや、落ち込んでいるときには、自分を受け容れてくれる言葉が聞きたいのです。

そのために、誰かを許せないと思ったり、憎しみを感じたときを思い出してみてください。踏みつけにされた、罵られた、いじめられた、約束を守ってくれなかった、私のことを何もわかってくれなかった、こんなに助けてあげたのに・・・いつも、信じていたのに・・・

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様々な理由があったのでしょう。相手がしたこと、しなかったことは、深くあなたを傷つけたのですね。だけど、気づいてほしいのは、その裏側に『私は、こうしたい』という、あなたの思いがあったということです。

良い関係を築きたかったとか、仕事で自分を表現したかったとか、誰にも優しくありたかったとか、そんな理由があったはずです。心の中で、本当の自分が叫んでいたはずです。その言葉を、ちゃんと受け取れずにいかたら、誰かに自分の思いを任せてしまっていたのですね。

だから、誰かに裏切られたような気がしたのでしょう。人間関係に限らず、すべての問題は、そんな自分の内側からのメッセージなのです。そう、あなたは、誰かの犠牲になって生きることはないのです。誰かの役に立とうと思うことも、誰かの思いを優先させることもなかったのです。

だって、誰かの欠けているところに焦点をあわせて、自分が助けて補佐してあげる。そんな部分に意識を集中して拡大しても、あまり意味はないのです。それに、あなたが見ている欠けている部分は、ほんとうは、自分自身のことなのですよ。

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「~しなければならない」「~してあげたい」それだって、誰かから認められたい、自分の存在する意味を確かめたいと思うときに考えることなのです。

もう、そんなこと手放したっていいんじゃないですか。今まで充分、苦しみ、迷い、傷ついてきましたよね。

あなたは、知っているはず。自分がとてもすばらしくて、かけがえのない存在だと。いちばん大切だし、勇気と優しさに満ち溢れていると。そして、幸福になるために、この世に生まれてきたのだということを。

それを忘れそうになったとき・・・メッセージがやってくるのですね。 その時こそが、自分が、自分に、優しくしてあげるときなのですよ。


「それは、そういうものなんだ」と、認めるだけでいいのです。

これは、良い悪い、好き嫌い、正しい間違っている、とはまた別次元のことなのです。

その人は、そんなことをする人なのだし、その出来事は、そんなことなのです。

そう受け容れれば、次に自分がなすべきことが見えてくるでしょう。それだけで、心がずいぶん楽になるのではないでしょうか。

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本当のことを言いますと、世の中にあるすべての宗教が説いている究極の教えが、「ものごとをあるがままに受け容れる」ということなのです。

宗教では、その後の幸せは、神や導師に委ねるのですが、そんなことをしなくても、自分の力で幸せになることができるのです。

ただ、見方を変えて、
・痛みは、私たちの友達で、気づきのメッセージ
・人生は、さまざまなことを見ることが目的で、今を楽しむためにある
・すべての問題を造っているのは自分。
・人生は何でもあり。「こうでなければならない」というものはない
ということを思い出してみてください。

そして、もうひとつ、さらに大事なこと。

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「ものごとをあるがままに受け容れる」ということは、自分自身に対しても、もちろん同じです。

他人が、その人はそんな人であるように、自分もそんな人なのです。

完璧でない自分、ダメな自分、失敗ばかりしてしまう自分、弱い自分、そんなことばかりを考えてしまう自分・・・

今は、それでいいのです。そんな自分だということを受け容れて、行動してみましょう。受け容れて、必要な気づきを学べば、新たなステージに進むことができるのです。

知っておくと『生きるのが楽になる』こと。 それは・・・

「ものごとをあるがままに受け入れれば、心が楽になる」のです。

たとえば、ある人の存在があなたの気分を苛立たせているとします、あるいは、何か気が滅入るような出来事があったとします。

でも、本当にあなたの心を苦しめているのは、その人やその出来事ではありません。その人はその人なりのやり方で生きているのだし、出来事は、ただ起こっただけ、なのです。

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では、何があなたを苛立たせ、気分を落ち込ませているのかというと、「人はこうでなければならない」「いつもこんな状態であるべきだ」という、あなたの思いなのです。

だから、相手を変えるよりも、出来事に出会わないように祈ったり、出来事を見ないようにするよりも、本当に心を楽にするためには、その「思い」をニュートラルにすることが大切なのです。

その「思い」が悪いのではありません。人は生きているうちに、生きやすくするために、さまざまな価値感を身に着けていくのです。

「思い」をなくすことなんてできないし、否定することもないのです。

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ただ、それが、今、自分を苦しめているとしたら、その「思い」が今は、もう必要でなくなったということを教えてくれているのだと理解してください。

つまり、古い殻を脱ぎ捨てて、新しいステージに登るときなのだということです。それに気づけばいいのです。

そして、自分を苦しめているものを、受け容れるようにしてみます。これは、けっして無理をする必要はありません。

「それは、そういうものなんだ」と、認めるだけでいいのです。
                                                   to be continued ・・・



子供が、遊びに出かけるときに、
「転ばないように気をつけなさいね」
「ケガをしないようにね」などと声をかけますね。

これは、いいことなのですが、ある意味、「転ぶ」ことや「ケガ」をすることを子供に意識させると、かえってその現実を引き寄せてしまうことがあります。

さらに、実際に転んでケガをするだけならいいのですが、度が過ぎていくと、「転んではいけない」「ケガをしてはいけない」という思い込みが強くなってしまう場合もあります。

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その思い込みを持ったまま成長した子供は、頭で意識はしていなくても、失敗したり、挫折することを、どこかで恐れてしまうようになるのです。

その結果、
「大きなことにチャレンジせず、無難な生活を送る若者」
「ちょっとした失敗で、すぐ挫折して、自分に絶望してしまう人」
が多くなっていくのです。

ちょっと大げさな気もしますが、これは真実なのです。

だから、あるお母さんは、子供が遊びに出るとき、「転んだら、ちゃんと起き上がるのよ」と声をかけるそうです。

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そうですね。

転んだって、ケガをしたって、失敗したって、それは何も問題ないのです。むしろ、そのまま倒れたまま、いつまでも立ち上がることができないことの方が問題なのです。

「転んだら、ちゃんと起き上がるのよ」

今日は、このメッセージを胸に、気楽に生きてみてはいかがでしょうか。



本当に欲しいものは何ですか?「ミュージシャンになりたい」「大きな家に住みたい」「明るい家庭を築きたい」それが心に浮かぶということは、いつかは手に入れることができるのです。

たとえば、体調が良い時に、「ちょっと顔色が悪いんじゃない」と言われたとしても、そんなことないよと聞き流すことができます。ところが、ちょっと疲れていたり、何となく身体がだるいなと感じている時ならばどうでしょうか。とても心配になってきますね。

心に響くのは、自分自身の中に、それを感じさせるものが存在するからなのです。縁のないものには、気づきさえしないでしょう。やりたいこと掴みたいものの夢の種は、いつだって自分自身の中にあるのです。

心配したり疑ったりする必要はありません。たとえ今は、とても遠いと思っていても、信じてその夢に向かって進んでいけば、いつかは必ず実現するのです。

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ただし、実現の度合いは、どれだけ強く思ったか、困難があっても、どれだけ前向きにがんばったかということと関係しますね。いつかできればいいやと思ったり、偶然に頼ったり、人任せにしていれば、それだけ叶う夢も小さくなるものです。

絶対に実現するんだ、自分の力で達成するんだ、という気持ちがあれば手にするものも、それに比例して大きくなるでしょう。

誰にでも夢はあります、手に入れたい目標を持っているはずです。時に、見失ったと思うことがあったとしても、それは必ず自分の内側から、光を放っているはずです。

どれだけその光を感じることができるか、希望を持ち続けることができるか、どれだけ望む人生を生きることができるか、ということに繋がっているのですね。

自分の人生を創っていくのは、自分自身なのです。 どんな自分になりたいかを決めるのも、自分自身なのです。



失敗、失恋、失業、思いがけない事故。理由は様々ですが、時に私たちは、人生に絶望し、何もかも失ってしまったように思える時があります。でも思い出してください。そんな時でも、自分のまわりには「空気」だけはあるのです。

それは、地球が、大自然が、長い時間をかけて生みだし、そして今も絶えず私たちに与えてくれているのです。だからこそ、私たちは生きていけるのです。常に生かされている、生命を与えられている、ということですね。

「光」はどうでしょうか。 ガンジーは、人に自信を与える名人だったそうです。彼に出会うと、どんなに人生に疲れている人でも、虐げられて人を呪うことしかできなくなってしまった人でも、元気を取り戻したといいます。

ガンジーは、目の前いる人の外見ではなく、内に秘めた、その人らしさ、良いところを見るようにしたのです。どんな人にでも、必ず、内側には「光」があります。落ち込んでいる時には、見えにくくなっているかも知れませんが、どんな時にも、私たちのなかには、「光」が存在しているのです。

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その「光」に気づくことさえできれば、外の世界も、けっして真っ暗ではなく、希望という「光」に満たされているということが見えてくるでしょう。そして、辛い時にこそ、順調にいっている時には見えなかった誰かの「愛」を感じることができるのです。

見ようとする目があれば、必ずどこかに、自分を励まし支えてくれている人がいます。また、そんな経験をしたからこそ、他人の痛みも深く受け止めることができるようになるのです。

「痛み」を分かち合える人は、「愛」も分かち合うことができるのです。与えたものは、必ず自分に戻ってきます。何を見るかによって、どんな世界を生きるのかが違ってきます。

落ち込んだり、辛く悲しいことがあれば、深く息を吸ってみてください。生かされている特別な存在である「自分、そして、愛する人たち、希望」に心を向けてみるのです。

「空気」「光」「愛」これだけあれば、まだまだ人生も捨てたものでもありません。それどころか、ここからすべてがはじまるのですね。私たちは、いつも前に向かって歩いていけますし、もっと大きくなっていくこともできます。そう、それにまだ、「夢」も「未来」も残っているのですね・・・

「忙しい」「時間が無い」 そんな言葉を、毎日、口にしている人も多いのではないですか。追越し車線を、スピードを上げて走れば、目的地に早く着くでしょうが、ひょっとしたら大切なことを見逃したかも知れませんよ。

季節の移り変わりや、道端に咲いた小さな花、流れる雲。 そんなの大切でもなんでもない、どうでもいいいこと、と思う人もいるでしょう。でも、その小さなことに気づく時に、はじめて見えてくることがあるのです。

たとえば、季節を感じる時の自分の心の動き、かわいい花を見つけた時の、ほんのちょっとした喜び。以前にそんな気持ちを感じたのは、どれくらい昔のことだったでしょう。私たちが見逃している、一番大切なものは「自分自身」なのかも知れません。

前に向かって進んでいくことは、とても素晴らしいことです。もっと速く、もっと強くと、自分を向上させるというのもいいことですね。

ところが、それが何かとの競争になってしまっているのなら、楽しみよりも苦しみの方が多くなってしまうでしょう。競争には、勝ち負けがつきものです。そして、勝よりも負ける人が圧倒的に多いのですし、負けてうれしい人はいないでしょう。

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さらに、競争では、勝つことが「良い」ことだとされるので、負けるたびに自分を責めたり、劣等感を持つようになりがちです。勝つためには、自分自身を感じる余裕もなく、いつも速く走り続ける必要があります。

負けないためには、誰かを見かければ競争相手だとみなして、何とか追い抜かなければならならないのです。もちろん、勝つことによって得られるものは大きいでしょう。

もし競争をするとしたら、勝ち負けに関係なく、自分を磨くことをゴールするように心がけてはいかがでしょうか。勝ち負けにこだわると、走ることは苦行になります。

自分が、何をすれば楽しいのか、本当は何が欲しいのか、今どんなことを感じているのか。そんなことと一緒に、自分のペースで走れれば、きっと楽しく進んでいけるでしょう。

社会の競争では1等にはなれないかも知れませんが、人生の豊かさというマラソンでは、満足のいく結果になるのではないでしょうか・・・

あなたは、今の自分に満足しているでしょうか。もし、今の自分が理想とは違っているのなら、どこが足りないのだと思いますか?

ちょっと考えてみてください。何があれば、もっとよかったのでしょう。環境や仕事、才能、容姿などがどうだったら、もっと自分に満足できるのでしょう。自分の性格や容姿のどこを変えれば、今より、もっとましな自分になれたのでしょう。

過去に自分がしてしまったことのなかで、しなければよかったと思うことを思い出してみてください。また、やればよかったのに、やらなかったことを探してみてください。何をやるべきで、何をやらなければよかったのでしょう。

そんなことを考えている自分を感じてみてください。きっと、気分が沈んで、元気がなくなってくるのではないでしょうか。姿勢も肩が落ちてきたり、呼吸も浅くなって息苦しく感じているかも知れません。

それは、「こうあるべきだ」「こうするべきだ」という世界に生きているときの自分です。

では今度は、今の自分を、すべて受け入れてみましょう。何が良いとか、何がダメだとか考えずに、ただ自分と自分のまわりの世界を受け入れるのです。

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何を受け入れるべきで、何を拒否するべきかなどは、そんなものは、初めから存在しなかったかのように忘れてください。何かを変えたいと思っても、変える必要はありません。でも、変えたいと思ったということも受け入れてください。

過去にしてしまったこと、しなかったことも、すべて受け入れてください。その過程で、考えたこと、考えてはいけないと思ったこと、感情、身体の感覚、そのすべてを受け入れてみてください。

どうでしょうか。今度は、心と身体がゆったりとしてきて、まわりの世界が柔らかく、優しく感じられるのではないでしょうか。

それは、リラックスして、すべてを受け入れているときの自分なのです。もちろん、私たちの人生の旅は、今より、もっと良い自分、すばらしい世界に向かっていくものです。改善していきたいところや、今の自分に欠けているもので、がんばって手に入れたいものもあるでしょう。

でも、この瞬間は、今、そのままの自分で充分です。だって、今の自分は、少し前に自分が望んだ理想の自分なのですから。

今、自分に起こっていることは、すべてが必要なことなのです。楽しく旅を続けるためには、ただ、すべてを受け入れてみましょう。失敗しても、苦しんでも、がんばってしまっても大丈夫です。そんな自分を受け入れてあげましょう。今の自分を受け入れて楽しんでみれば、毎日が、絶好の旅日和なのです。


これを読んでいるあなたは、自分の呼吸を意識していますか?

もちろん息はしているはずですが、そう言われるまで自覚することもなかったのではないでしょうか。さらに、床に当たっている足の裏の感覚も、まばたきも、舌の位置も、きっと感じている人は少ないでしょう。

私たちは、今この瞬間にも、とてもたくさんのことを知覚しているのですが、実際には、そのほとんどには意識が向かうことはないようです。だからこそ、私たちは、必要なことに集中することができるのです。

ところが、たとえば鼻が詰まって息が苦しい、ということになれば、イヤでも呼吸を意識します。身体のどこかに痛みを感じれば、やっぱりそこに注意が向いてしまいますね。その苦しさや痛みを持ったままでは、必要なことに集中することはできません。

といって苦しさや痛みを無理矢理押さえ込んで感じないようにしては、かえって、そこに向かう意識を大きくするだけのことです。でも、ちゃんと手当をしたりして、苦しさや痛みの原因を取り除けば、また自由に自分のやりたいことに立ち向かえますね。

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心が痛むとき。落ち込んでしまったとき。そんなときも、それを否定して感じないようにしたり、「こんなことではダメだ!」、と自分を責めれば、余計にその苦しみを拡大することになってしまいます。

私たちの意識と、その下にある無意識は、反対の方向に向いていることが多いのです。「もうダメだ!」と意識で思うときには、「もっとがんばりたい!」と心の底では望んでいるのです。

「死んでしまいたい」と思えるのは、「もっと生きたい」ということの裏返しなのです。否定的な意識の「ことば」が生まれたのは、一生懸命、自分の願う方向に向かって行こうとしたけど、つまづいたり、思うようにいかなくて、自信を無くしているからなのです。

意識の「ことば」を、無視したり押さえ込んだりしないで、身体の痛みや苦しさを手当するように、ちゃんと聞いてあげてください。そうすれば、無意識のなかの「ことば」が聞こえてきます。

自分は、本当は、何がしたいのでしょうか?何を望んでいるのでしょうか?それこそが、今の自分にとって本当に必要で、意識を向けて、進んでいくべきところなのです。

そして、そこに向かっていくエネルギーは、いつも自分のなかで、出番を待っているはずです。あとは、それに気づいて、その旅を楽しむだけですよ。

私たちは、「今、ここ」で、生きることを楽しんだり、自分の目標に向かって進んでいます。あるいは、辛い出来事に出会ったり、道を見失って途方に暮れるということもあるでしょう。

毎日、いいことばかりが起こってくれればいいのですが、そういうわけにはいかないようで、しばしば不運なことにも遭遇してしまいます。そんなときには、目の前の苦しいことから逃げ出したいと思ったり、生きる意味すらわからなくなってしまうこともあるでしょう。

でも、一見、不幸で否定的に見えることにも、何か大切なことを教えてくれる、メッセージが含まれているのかも知れません。そもそも私たちが、何か(それが楽しいことであっても、イヤなことであっても)を経験するためには、まず「自分自身」というものが存在している必要がありますよね。

では、「自分」が存在するためには、何が必要だったのでしょうか。もちろん、いろいろなことがありますが、単純に考えて、「自分」を生んでくれた母親、そして母親に愛を与えてくれた父親が必要だったんでしょう。

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つまり「両親」がいてくれたからこそ、私たちは、「今、ここ」に存在することができるのですね。その「両親」が存在するためにも、「両親」のそれぞれの「両親」である、祖父と祖母がいなくてはならなかったはずです。

さらに、「祖父・祖母」が存在するためにも、その前の「両親」が必要でしたし、それはずっとずっと遡っていきます。もっと考えると、はるかな昔にまで戻って、私たちの遠い先祖である最初の人類が誕生するためにも、その親がいたはずです。

もっともっと時代を戻って、人類になる前だった存在、そのまた前のアメーバのような生物だった頃、あるいは生物になる以前。その存在があったということは、それを生み出した存在があったはずです。

それを生み出したのは、もはや想像するしかありませんが、「海」という存在だったのかも知れませんし、「海」を育んだのは「大地」である「地球」だったのです。

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そして、「地球」が存在するためには、「太陽」という存在が必要だったでしょうし、「太陽」があるのは、そのすべてを包み込んでいる「宇宙」があったからとも言えるでしょう。

さらに、「宇宙」に「愛」を与えて生み出した、私たちでは知ることのできない存在があるのかも知れません。それらのすべてが居てくれたからこそ、そしてすべての存在が、私たちに「愛」を注いでくれたからこそ、私たちは、「今、ここ」に存在することができたのです。

これは考えてみれば、「奇跡」だと言えるのかも知れません。だとしたら、私たちが毎日、生きて楽しんだり、悲しんだりしているのも奇跡です。どんな出来事でも、私たちが出会うことができたのは「奇跡」です。

そして、その「奇跡」には、必ずこの世界の「愛」が注がれているのです。あとは、その「愛」のメッセージを受け取り、もっと大きくなっていくために、チャレンジしていくだけです。