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スカッシュコーチGのブログ

スカッシュコーチの悲哀を綴ったサクセスストーリー
になるはずが、いつのまにやら禅の道に迷い込み・・・

物をたくさん持っているのと、少ししか持っていないのとでは、どちらが豊かなのでしょう。多くの物に囲まれていれば、物質的には豊かになったようにも見えます。しかし、持てば持つほど、もっとたくさん持ちたいという欲望も湧いてきますよね。

さらに、今持っている物を失うのではないかと、余計な心配もしてしまいます。これでは、なかなか今持っている物を楽しむことができません。

物を持っていないと、確かに少し寂しさや哀れさを覚えますが、考え方によっては、持っていない分だけ物に縛られることもないのです。

今持っている物を、楽しむ心の余裕を持つこともできるでしょうし、これから自分が手に入れる物に対して、ワクワクしながら期待することもできるでしょう。

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そう考えてみると、豊かであるかどうかというのは、現実に物をどれだけ持っているかということではなく、今持っているものに、どれだけ満足でして楽しむことができるかに関わってくるのです。

同じようなことが、私たちの経験や過去に対する思いにも言えるのではないでしょうか。

ときに、過去にしがみついて生きている人たちがいます。現在や未来は、不確定で不安が一杯です。失敗したり、自分の思うようにいかないこともあるでしょう。過去に生きていると、たとえそれがあまり満足いくものでなかったとしても、自分をとても安全なところへ置いておけるのですね。

また、自分の現在の状態や行動を正当化することもできます。「自分が今こうなのは、過去に、こんなことがあったからだ」と口にしていれば、他人や自分に、いろいろ言い訳ができるのです。

あるいは、過去だけが自分の自慢で、そこに生きていれば、うまくいっていない現在から眼を逸らすことができるということもあるでしょう。

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過去を抱えていれば、確かに安全なのかも知れませんが、自分を狭い殻のなかに閉じこめることにもなってしまうかも知れません。

それに比べて、たとえば小さな子供はどうでしょうか。子供は、過去を少ししか持っていませんが、それに縛られることなどありません。自由で、喜びに満ちあふれ、その瞬間瞬間を新たな感動で生きています。

過去から学んだこと、体験したことは、私たちの貴重な財産です。でも、それを本当に活かすのは、私たちがどれだけ今を楽しんでいるかどうかが、大切なんですね。

過去をすべて捨て去る必要はありませんが、もし、自分が過去を握りしめていることに気づいたら、深呼吸をして、その手から放してみましょう。そして今という瞬間に、大きく手を広げてみましょう。そこは、とても広大な世界で、たくさんのプレゼントに満ちあふれているのです。

そして、きっと気づくでしょう。今を生きることが、どれほど豊かで素晴らしいことなのかを・・・




私たちは、知らず知らずのうちに、せっかくの自分の可能性を生かすチャンスを見逃してしまっていることがあります。

古代インドの哲学によると、人間が、誤った思い込みや信念を持つ原因は、「無知への恐れ」からきていると、いわれています。

私たちは、自分が「知らないこと」や「理解できないこと」に出会うと、心の中に空白ができたような、不快感や恐れ、を感じてしまうのです。

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その空白を埋めて、安心感をうるために、過去の経験や教えられたことから類推して、「これはこうなんだ」という信じ込みを持つのです。

そして、一度その信じ込みが生まれると、また空白になってしまうのを恐れて、必死でその信じ込みにしがみつこうとします。

たとえ、それが誤った信じ込みだったとしてもです。

同じインド哲学では、自分の運命を変え、もっと自分らしく生きるためには、「今」という瞬間を大切にすべきだとしています。「今」は、常に無限の変化への可能性を秘めているからです。

そして、未来は、「今」の積み重ねによって、創りあげられる物なのですから。

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それを、無理矢理、自分の小さな型にはめてしまっていては、いつまでたってもチャンスを手にすることはできません。チャンスは、待っていても来ないし、探しても見つからないのです。

「わからないこと」「未知なこと」「苦しいこと」・・・でも、自分が「今」この瞬間にワクワクすることを感じることが出来たら、それこそが、大きなチャンスなのです。

何かを待っているのではなく、そのワクワクすることを大切にしましょう。それこそが、素晴らしい明日を切り開くカギなのかも知れないのですから・・・






ついに!?ついに! 憧れの「神の盃」で、極上日本酒を呑むことが出来たあ~♪

この盃、清水焼の窯元が造った、いわゆる「おちょこ」だが、たかが、おちょこ、されど、おちょこ。

ひとつ2万円!!もする、ビンテージもの(驚愕)

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日本酒と盃の相性は、絶妙なもの。この神の盃に勝てる酒が無い!と、これまで封印されていたのである。

がしかし、ついに、それに勝る、酒に巡りあい、夢叶う。。

珠玉の一献。。たまりまへんなあ~

この盃を手にした時の、その手触り、絶妙な軽さのバランスはこれまでに無い感触である。。。

素ん晴らしい~♪
自分の気持ちにしたがった行動よりも、周りの人の行動に合わせてしまう人がいます。

本当の自分を他の人に知られると嫌われてしまうと思い込んでいるので、誰からも本当の自分が見えないように鎧をつけています。

無意識に、他人から褒められたり、認めてもらうことを基準に行動するので、それがいちばん楽な生き方だと思っているのです。

私たちの心は、いつも「温かいもの」で満たされていたいと願っています。「温かいもの」は、がんばって何かを達成したり、幸運なことに出会ったりした時に手に入ります。

でも、自分自身の存在が認められたり、受け入れてもらった時の方が、もっとたくさん満たされると思っています。

自分が自分自身を好きだったり、あるがままの自分、自分の魅力のあるところを見ることが出来ているとしたら、きっとその人の心は、いつも満たされていることでしょう。

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ところが、自分の内側を見ようとしなかったり、充分ではないと感じていると、私たちは、外側に「温かいもの」を求めようとします。そのために、まわりの人たちに認めてもらったり、好かれるために、相手に合わせようと、したくもないことを、やり遂げようとしてしまうのです。

でも、いくらそんなふうに頑張っても、なかなか心は満たされません。なぜなら、自分で身につけた鎧が「温かいもの」で心を満たすことを、邪魔しているからです。

だから、もっともっと頑張って、人から認められるように、気に入られるように行動しようとして、そして、疲れて果てて苦しんでしまうのです。

当然のことですね。いくら立派な鎧をして、完璧に行動できても、何の意味もありません。そんな鎧や行動を褒めてもらったり、認めてもらったりしても、「温かいもの」は手に入らないのです。

それよりも、思いきって、そんな重い鎧を脱ぎ捨ててしまった方が、もっと楽になれるのではないでしょうか。欠点を隠そうとして必死になっている人よりも、欠点だらけでも、自分を信じて、自分を楽しんでいる人の方がずっと魅力的ですね。

私たちが出会う困難や苦しみ。それは、私たちがもっと大きく強くなるために、幸せになるために、やってくるのかも知れません。

たとえば、風邪を引くと熱が出ます。熱が出ると、これが病気の症状だと思って、あわてて薬を飲んだり、医者に診てもらいにいったりします。

これも、よく考えてみると、発熱するということは、身体の免疫機能が風邪のウィルスを退治しようと頑張っているからなのですね。

だとしたら、熱が出るということは、本来の身体の働きとしては、素晴らしいことだと考えることも出来ますね。

確かに、熱が出ると、身体は辛いし、だるくて何も出来なくなってしまいます。でも、熱が出て苦しいからこそ、自分が不健康な生活をしていたり、疲労やストレスが溜まっていることに気づくことが出来るのかも知れません。

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そして、それを乗り越えれば、身体はより強い免疫力を身につけることができますし、もっと健康的な生活を心がけるようになったりします。

熱が出るということは、病気の症状なんかではなくて、より良くなっていくための過程なんだと思ってみてはどうでしょう。

風邪をひいたとしたら、熱が何度あると心配するよりも、風邪を引くことになった原因を探って生活習慣を改善したり、良くなったらどんなことをやろうかなどと考えてみたりする方が病気とうまく付き合う方法になるのではないでしょうか。

そして、熱を下げようと薬を飲んだりするよりも、身体を休めたり、思いっきり汗をかいてみたりする方が、ずっと早く良くなるようです。

だから、もし辛い出来事や苦しみに出会ったとしても、ため息をついたり、諦めたりする必要はありません。だって、風邪をひいた時の熱のようなものなのですから。

そこに焦点を合わせるよりも、もっと大きく強くなった自分に意識を向けてみましょう。すると、そんな時こそ、もっと幸せになるための、いろいろなチャンスが見えてくるかも知れませんからね。


踊る大捜査線3!見てきました~♪ 結構、観客の年齢層が高かったのが、意外でした・・・

この映画、これまでの2本を見てないと、この「3」に、ちょっとだけ顔を出す出演者の素性は、わからないでしょうね。それほど、チョイ役で、いろんなエピソードのキャラクターが出てましたね。

キャストに誰かがいないなあ?と思っていたら、ラスト近くの新所長の挨拶に「雪乃さんが第2子を産んだので、この席に参列できません」みたいなことを言ったので「あぁ、雪乃さんだ!真下が出ててなんで、雪乃さんがいないんだ!?」みたいな。。

今回は、青島のあのトレードマークのコートが、ちょっとした小道具になってました。

引越しのどさくさに、どこかに消えたコート、これが、後半で見つかった時が、青島の復活に重なるという設定。やはりあのコートを着てる時が一番、青島らしいですよねぇ。

それにしても冬服の衣装は、この夏の公開には合わないのになあ、と思っていたら、ハタと思いついたのです。そうなんです、あの青島コートを着るには、冬の設定じゃなきゃだめなんですよね(笑)

ちなみに、あのコート、受注生産で1着3万円ちょっとで販売するそうですよ。ほしいような・・・目立ちすぎるような・・・

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今回のキーマンは、やはりキョンキョンでした。あの猟奇殺人犯が、牢獄の中から、危うい若者達を洗脳して、自分を解放するように操る。そして彼女と交渉し逮捕せよと室井から青島に命令がくだる。クライマックスのキョンキョンさまは、実在しそうな教祖さまになりきってましたね。

相も変わらずの署長トリオ。今回は、署長の悪知恵が、かえって青島に力を与えてしまうという結果に・・・いつもながらの先の読めないトンチンカントリオでしたね。

それにしても、署長交代ってほんとかなあ。読みは、次の4では、また戻ってる気がする、なにせ名物トリオですからね!?

小栗は、4にはでてくるのか。前半の小栗の役どころは、いかにもエリートという感じだったのが、クライマックスでは、出世のためには、非情になる、そんな悪役エリートに変貌してました。

はてさて、踊る4は、何年後になるのでしょう・・・


今、自分が立っている場所は、自分が自分の足で歩いてきたところです。たとえその場所を、死ぬほど嫌っていようとも、自分が「ここ」に来ることを選んだからこそ、「ここ」にいるのです。

「そんなことはない。私が本当に行きたかったのは、もっと別の場所だ。こんなところなんて来たくはなかったんだ」と思っていたとしても、本当に行きたいところへ行く、ということを選択しなかったのは自分なのです。

「イヤだったけれど、無理に連れてこられたんだ」でも、抵抗して逃げ出すこともできたのに、そうせずにいたとしたら、やっぱり、自分が「ここ」にいることを選んだのですよね。そう、今の自分の環境だって、すべては自分で決めたことなのです。

仕事、健康、人間関係、幸福かどうか。たとえ、それが自分の外から与えられたものだとしか思えなくても、やはりすべて過去にした選択や決定、あるいは選択や決定をしなかったことの結果なのではないでしょうか。

もし自分が苦しい出来事や、困難な問題に直面しているとしたら、その現実を生み出したのも、自分ということになりますね。でもだからといって、自分を責めたり、罪悪感を持つ必要などありません。

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今の、自分の現実を作りだしたのが自分なのだとしたら、その現実をもっとよい方に変えていったり、問題を防ぐ力が、自分のなかにあるということなのですから。

たとえば、今、何か問題を抱えているとしたら、それについて、ちょっと過去を振り返ってみてください。どの時点で、違った決定や選択をしていれば、こんな問題に遭遇することはなかったのかを考えてみるのです。

これは、けっして、「あの時ああしていればよかった」と嘆くためにするのではありません。過去に違った選択をして、今とは別の現実をつくりだすチャンスがいくらでもあり、自分でそれを選ぶ力があることを確かめるためです。

問題や苦しみが外から与えられる試練だと考えていると、いつまでたっても、逆境に出会うたびに、オロオロして頭を抱えていなくてはなりません。すべては自分のなかにあり、すべてを創りだしていくのは自分だということを知れば、どんな問題だって恐れることはありませんよね。

自分の行きたいところを決めて、自分の足で、そこへ向かって進んでいくのは自分なのです。
何かに行き詰まったり、不幸な出来事に出会うと、私たちは、物事を一つの方向からしか見ないようになってしまいます。

目の前に立ちはだかる壁にばかりに焦点を合わせて、それに押しつぶされそうになって「もうダメだ」とため息をついたり、諦めてしまうのです。

でも、そんな時にでも、ほんの少し心に余裕を持って、周りを眺めてみれば、他の方向や違う道が見えてくることがあるのです。

すると、今まで困難に思えていたことでも、意外と楽に乗り越えていける、ということがあるものなのです。

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悩みや苦しみのもとは、ほとんどが同じ方向からばかり、物事を見ていることから生まれます。

何かやりたいことがあるのに、「自分には無理だ」とか「出来ない」と思うことと、同じなのです。

私たちの生きている世界では、「出来ない」ことより「出来る」ことの方がずっと多いのですけどね。

「出来ない」ことばかりを見つめているのと、「出来る」ことに意識を向けるのとでは、自分がたどる道がまったく違ってくるのではないでしょうか。

そして、「やりたい」と思うことこそが、「出来る」ということの原点なのです。

物事は、前から横から後ろから見る。。特に斜め見が好きなGでした。。


緊張したり、思いもよらない出来事に出会った時には、呼吸が浅くなって息苦しさを感じます。苦しいので、何とか酸素を吸おうとするのですが、ますます息が苦しくなってきます。

そうなると、この状況が、どうすることも出来ないことのように思えてきて、焦ったり慌てたりしてしまいます。そんな時は、たいてい息を吐くことを忘れていて、吸うことばかりに気をとられているから、息苦しくなるのです。

ちょっと心を落ち着けて、溜め込んだ息を大きく吐いてみれば、吐いた分だけ新鮮な空気が入ってきて、息が楽になるのです。

すると不思議なことに「どうしよう、どうしよう」とアタフタした状況も、何とか切り抜けることを考える余裕が出てきたりするのです。

「息苦しい」と感じたら、慌てずに、まず、息を大きく吐いてみるのが、楽になるための秘訣なのです。

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これは私たちが「生き苦しい」と感じる時も同じではないでしょうか。苦しい困難な状況に入り込んでしまうと、私たちは、やっぱりそこだけしか見えなくなってしまっているのです。

そして「どうしようもない、もうダメだ!」と、自らパニックになったり、絶望を感じたりしてしまうのです。

そんな時は、ちょっと心を落ち着けて、自分の中に溜め込んでいる目の前の状況を、大きく吐き出してみてください。きっと、吐き出した分だけ、新しい見方やとらえ方などが、入ってくるかも知れませんよ。

すると、どうしようもないと思えた状況にも、立ち向かっていこうという勇気を持つことができたり、学ぶべきことを発見できたりするのです。

「生き苦しい」と感じたら、慌てずに、まず握りしめている手の平を開いてみることです。握りしめたままでは、新しいものを手にすることはできません。

手の平を大きく開いて、いろいろなものを受け取るようにしてみれば、それだけで私たちは、様々なことを学び、大きくなっていくことができるのです。

        ハイ、大きくはいて~、ゆっくりすって~Gでした。。


あるものが長いとわかるのは、それよりも短いものがあるからです。明るいと思えるのは、暗いということを経験したからです。暑いと感じるのは、寒い時があったからです。

そんなものの見方が常となっている私たちは、人を判断するときも、知らず知らずのうちに相対的に比べて評価しています。

性別、身長、体重、容姿はもちろんのこと、成功、行動、善悪、優劣、強弱、好き嫌い、できるできない、ということも、誰かと誰かを比較して判断していますね。

そしてほとんどの場合、自分と他人を比較してのことなので、これが人によっては、いろいろな悩みや問題を引き起こす元になっているのです。

何故なら、自分のいる場所を他人との比較で見ようとすると、間違った自己満足を得るか、自己嫌悪に陥ることになりやすいのです。

何かを達成したことで自分の進歩を計らなくても、自分より遅れている人と比べてみれば自己満足を得ることができますが、自分より進んでいる人をみれば自己嫌悪になります。

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自分が傷つかないように人とは競争したくない、自分の安全圏で身を守っていたいのなら、比較する対象を、もっと低いところに求めればいいのです。

テストの点が思わしくなくて、その原因が決めたとおりに勉強しなかったからだとしても、もっと悪い点を取った人と比べてみれば、少しは安心できます。

また、劣等感を持っていたり、自分に厳しすぎる人は、自分よりもよく勉強してテストでいい点を取った人と比較しようとするのです。

そうすると、「やっぱり自分はダメなんだ」と自分を責めますし、「もっともっとがんばらないと」と自分を追いつめて苦しむようになるのです。

本当は、今の自分の場所、行きたいところは自分自身で決めるものなのです。決して他の人や物との比較から、決めるものではありません。

今の自分は、今までの環境や経験、頑張ったこと、辛かったこと、思うようにいかなかったこと、楽しかったこと、涙したこと・・・そんなことが、沢山たくさんあった、他の誰とも違う存在なんです。

誰かとの比較ではなく、どれだけ自分自身をわかってあげて、素の自分のままでいられるか、ということを思いながら生きていけば、きっと自分にも他人にも優しくなれる日が来ると思います。