現在という瞬間が、一切の過去や未来から独立した時間である
と意識的に思いつつも、その現在を成り立たせている無限の
過去の「因」に感謝を忘れないことです。

幸い日本語には、そのための「お陰様」ということばがあります。
「陰」とは見つくせない因であり、それにわざわざ「お」と「様」を
つけて呼んでいるのです。


将来に果報があるかもしれないから、我々は供養したり「冥福」を
祈ったりするのですが、「冥福」とは善因によっていつかどこかに
もたされるであろう、「見えない福」のことといえるのです。

因果に対するそうした謙虚さが、必要なのだと思いますね。
禅的生活より
喜びを受け止める
五木寛之の「生きるヒント」という本の中に、こんなことが書いて
ありました。
毎日がしんどく感じられた時は、1日に1回は喜ぼうと考え、
手帳やメモに、その日、喜びを感じたことを書いていったのです。
「きょう新幹線の窓際の席に座ったので、富士山が真正面によく
見えた。うれしかった」
「いつになくネクタイが、1回で形よく結べた。こんなにうまくいく
なんてめったにないことだ」
といったように、実に他愛のないものばかりでよいのです。

五木さんは、喜ぼうとその気になって身構えていると、喜びは自ず
からやってくる。喜びたい心の触手を、大きくひろげて待ちかまえて
いることが大事だと言っています。

そう言われてみれば、喜びや満足というものは、出来事そのもの
よりも、それをどう感じたか、という受とめ方によるものなんですね。

癒しのことばより