~資地計築~ 建築デザイン 木下 稔 -77ページ目

猛吹雪 〜一人滑る〜

米子からの帰り道

蒜山ベアバレー スキー場にて
~資地計築~ 建築デザイン 木下 稔

吹雪の中、一人で滑り

吹雪の中一人で帰る

米子道。

でも、雪のコンディションは良かった。

南極の冷蔵庫 〜勝手に閉ざす扉〜①

雪降るこの季節

思い出すことが沢山あります。

それは、大学生の頃、競技スキーの同好会に所属しており

1年の1/3雪山で過ごしていたので

雪降る風景には思い入れがあります。

そんな僕の「営業」についての思い出

僕の営業の原点とも言えることでした。

~1986年 冬~

僕は野沢温泉スキー場のてっぺんにある食堂兼民宿の前にいました。

スキーをさせてもらう替わりに労働力を提供するという

「いそうろう」という制度に応募したからです。

大学1年生の時、生死を彷徨う様な事故に会い

スキーのクラブに居ながらも、ほとんどスキーができないという19歳を過ごし

人より1年遅れたという思いから、不退転の決意で臨んだ野沢温泉でした。

先輩後輩、同期友人達は前の年で既にグループが出来ており

そのグループで別のスキー場へ

僕はといえば、初めての場所で初めての経験。

一人きりで何の頼りもない。

でも、そんな野沢温泉での生活が

現在の僕の多くを形成したと、思い出されます。


そんな野沢温泉生活のスタート

世は正にバブル経済の扉を開き

空前の好景気上昇中の時代でした。

世のスキー場はその好景気にも押され、どこも満員。

日本有数の温泉を持つ野沢は、さらに人気があり超満員という状態でした。

野沢温泉には頂上付近へ行くことができるゴンドラリフトがあり

僕のいた食堂兼宿屋は「長坂ゴンドラ」というリフトのすぐ近くにありました。

今では考えられないことですが、26年前にはこのゴンドラリフトに乗るため

正月などの連休は2~3時間並んで乗るというのが

ほぼ、常識という時代でした。

僕がいた宿屋では、当時、高校生のアルバイトが10人ほど居り、

忙しい食堂を切り盛りするために雇っていた子達でした。

しかし、この宿屋のご主人は、自分の食堂の前を延々と2,3時間並ぶ人の列に

何かの商機を見つけたのか、この高校生アルバイトの一人に

「おい!お前、あの行列にこのコーヒー売って来い!」

彼の前に出されたのは、カップに入ったインスタントコーヒーでした。

~南極の冷蔵庫 ~勝手に閉ざされる扉②につづく~

夜だから 〜夜は真面目でひたむきな時間〜

昨日、僕がサラリーマンを急遽辞め、通う事に成った夜間の専門学校の
~資地計築~ 建築デザイン 木下 稔
OB交流会がありました。

初めて参加しました。

僕がこの専門学校に行くことになったのは

人が学ぶとき ~学べない理由~①
人が学ぶとき ~学べない理由~②
人が学ぶとき ~学べない理由~③
人が学ぶとき ~学べない理由~④

過去に書いた記事ですが、見て頂けたらと思います。

30歳で突然失業した勉強できない男

朝4時に起き、夜中まで勉強して建築士を取った理由が書いてあります。

僕が行った建築専門学校は夜間

しかしながら、さまざまな理由において夜間に取る資格は

「苦学」に他ならず

立派な方々が沢山おられました。


昼間クタクタになるまで働いて、夜は必死で勉強する。

これを2年続た人は、僕が入学した平成8年では50人に一人というものでした。

狭き門ではなく

「貫く意志」を真面目に、そしてひたむきに続けることだけ。

昨日お会いした先輩後輩のみなさんには

同じ仲間として、頭が下がります。

なぜなら



僕にできなかったこと

参加者唯一「中退」と書かれたのは

卒業できなかったからということ