南極の冷蔵庫 〜勝手に閉ざす扉〜①
雪降るこの季節
思い出すことが沢山あります。
それは、大学生の頃、競技スキーの同好会に所属しており
1年の1/3を雪山で過ごしていたので
雪降る風景には思い入れがあります。
そんな僕の「営業」についての思い出
僕の営業の原点とも言えることでした。
~1986年 冬~
僕は野沢温泉スキー場のてっぺんにある食堂兼民宿の前にいました。
スキーをさせてもらう替わりに労働力を提供するという
「いそうろう」という制度に応募したからです。
大学1年生の時、生死を彷徨う様な事故に会い
スキーのクラブに居ながらも、ほとんどスキーができないという19歳を過ごし
人より1年遅れたという思いから、不退転の決意で臨んだ野沢温泉でした。
先輩後輩、同期友人達は前の年で既にグループが出来ており
そのグループで別のスキー場へ
僕はといえば、初めての場所で初めての経験。
一人きりで何の頼りもない。
でも、そんな野沢温泉での生活が
現在の僕の多くを形成したと、思い出されます。
そんな野沢温泉生活のスタート
世は正にバブル経済の扉を開き
空前の好景気上昇中の時代でした。
世のスキー場はその好景気にも押され、どこも満員。
日本有数の温泉を持つ野沢は、さらに人気があり超満員という状態でした。
野沢温泉には頂上付近へ行くことができるゴンドラリフトがあり
僕のいた食堂兼宿屋は「長坂ゴンドラ」というリフトのすぐ近くにありました。
今では考えられないことですが、26年前にはこのゴンドラリフトに乗るため
正月などの連休は2~3時間並んで乗るというのが
ほぼ、常識という時代でした。
僕がいた宿屋では、当時、高校生のアルバイトが10人ほど居り、
忙しい食堂を切り盛りするために雇っていた子達でした。
しかし、この宿屋のご主人は、自分の食堂の前を延々と2,3時間並ぶ人の列に
何かの商機を見つけたのか、この高校生アルバイトの一人に
「おい!お前、あの行列にこのコーヒー売って来い!」
彼の前に出されたのは、カップに入ったインスタントコーヒーでした。
~南極の冷蔵庫 ~勝手に閉ざされる扉②につづく~
思い出すことが沢山あります。
それは、大学生の頃、競技スキーの同好会に所属しており
1年の1/3を雪山で過ごしていたので
雪降る風景には思い入れがあります。
そんな僕の「営業」についての思い出
僕の営業の原点とも言えることでした。
~1986年 冬~
僕は野沢温泉スキー場のてっぺんにある食堂兼民宿の前にいました。
スキーをさせてもらう替わりに労働力を提供するという
「いそうろう」という制度に応募したからです。
大学1年生の時、生死を彷徨う様な事故に会い
スキーのクラブに居ながらも、ほとんどスキーができないという19歳を過ごし
人より1年遅れたという思いから、不退転の決意で臨んだ野沢温泉でした。
先輩後輩、同期友人達は前の年で既にグループが出来ており
そのグループで別のスキー場へ
僕はといえば、初めての場所で初めての経験。
一人きりで何の頼りもない。
でも、そんな野沢温泉での生活が
現在の僕の多くを形成したと、思い出されます。
そんな野沢温泉生活のスタート
世は正にバブル経済の扉を開き
空前の好景気上昇中の時代でした。
世のスキー場はその好景気にも押され、どこも満員。
日本有数の温泉を持つ野沢は、さらに人気があり超満員という状態でした。
野沢温泉には頂上付近へ行くことができるゴンドラリフトがあり
僕のいた食堂兼宿屋は「長坂ゴンドラ」というリフトのすぐ近くにありました。
今では考えられないことですが、26年前にはこのゴンドラリフトに乗るため
正月などの連休は2~3時間並んで乗るというのが
ほぼ、常識という時代でした。
僕がいた宿屋では、当時、高校生のアルバイトが10人ほど居り、
忙しい食堂を切り盛りするために雇っていた子達でした。
しかし、この宿屋のご主人は、自分の食堂の前を延々と2,3時間並ぶ人の列に
何かの商機を見つけたのか、この高校生アルバイトの一人に
「おい!お前、あの行列にこのコーヒー売って来い!」
彼の前に出されたのは、カップに入ったインスタントコーヒーでした。
~南極の冷蔵庫 ~勝手に閉ざされる扉②につづく~
夜だから 〜夜は真面目でひたむきな時間〜
昨日、僕がサラリーマンを急遽辞め、通う事に成った夜間の専門学校の
OB交流会がありました。
初めて参加しました。
僕がこの専門学校に行くことになったのは
人が学ぶとき ~学べない理由~①
人が学ぶとき ~学べない理由~②
人が学ぶとき ~学べない理由~③
人が学ぶとき ~学べない理由~④
過去に書いた記事ですが、見て頂けたらと思います。
30歳で突然失業した勉強できない男が
朝4時に起き、夜中まで勉強して建築士を取った理由が書いてあります。
僕が行った建築専門学校は夜間。
しかしながら、さまざまな理由において夜間に取る資格は
「苦学」に他ならず
立派な方々が沢山おられました。
昼間クタクタになるまで働いて、夜は必死で勉強する。
これを2年続た人は、僕が入学した平成8年では50人に一人というものでした。
狭き門ではなく
「貫く意志」を真面目に、そしてひたむきに続けることだけ。
昨日お会いした先輩後輩のみなさんには
同じ仲間として、頭が下がります。
なぜなら
僕にできなかったこと
参加者唯一「中退」と書かれたのは
卒業できなかったからということ
OB交流会がありました。
初めて参加しました。
僕がこの専門学校に行くことになったのは
人が学ぶとき ~学べない理由~①
人が学ぶとき ~学べない理由~②
人が学ぶとき ~学べない理由~③
人が学ぶとき ~学べない理由~④
過去に書いた記事ですが、見て頂けたらと思います。
30歳で突然失業した勉強できない男が
朝4時に起き、夜中まで勉強して建築士を取った理由が書いてあります。
僕が行った建築専門学校は夜間。
しかしながら、さまざまな理由において夜間に取る資格は
「苦学」に他ならず
立派な方々が沢山おられました。
昼間クタクタになるまで働いて、夜は必死で勉強する。
これを2年続た人は、僕が入学した平成8年では50人に一人というものでした。
狭き門ではなく
「貫く意志」を真面目に、そしてひたむきに続けることだけ。
昨日お会いした先輩後輩のみなさんには
同じ仲間として、頭が下がります。
なぜなら
僕にできなかったこと
参加者唯一「中退」と書かれたのは
卒業できなかったからということ
