~資地計築~ 建築デザイン 木下 稔 -23ページ目

再び思い出す 〜もう一つの東北〜

あれから4年の東北の震災。

3月11日は皆が「あの日を忘れない」と

ネット、携帯、SNSで氾濫する情報の中、あれ程の大災害だったのに薄れ行く意識です。

僕自身もそれは否めない。

猛烈なスピードで人の頭を情報が入ってくるのですから

インジェクション、押し出されて行く情報もあります。

人は忘却することで成り立つ脳を持っています。

直接我が身に降り掛からない過去は

昔より早く押し出されるのでしょうか。

そんな中

この3月11日が来る度に、思い出されることがもう一つあります。

過去に書いた記事ですが

「もうひとつの3.11 ~今日は家族の話~」

にあります。

この3月11日2時46分は

東北にあった事実と、僕にあった事実を悼んで車で走っていました。

奈良山沿いの季節はずれの吹雪の中。


僕に来る春

すこし寂しい春





あほたれ 〜男の約束②〜

あほたれ ~男の約束~のつづきです。

スクエアプラスという会社を作り、起業し、七転八倒しながら少しづつ仕事が入ってくるようになりました。

前の会社で使っていた下請けだった所に声をかけるのは、あまり行儀がよくないとは思いながらも

どうしても困っていたので、オッサンに連絡したところ

「心配すんな。あんたの所の仕事はな、どんなことが有っても絶対にやったる。わしはな、前の会社なんかどうでもいいんじゃい。あんたについて行く

そう言ってくれました。

涙が出そうなほど、うれしい言葉は果たして守られ

この会社を作ってから、さまざまな難しい建物、デザインをやってきました。

ただ、いつも

僕がピンチの時には、このオッサンが助けてくれて

「おい、お前!出来ん出来ん言うとるけどな、この社長が言うてることは絶対出来る。騙された思ていっぺんやてみぃ!!」

他の業者に檄を飛ばすほど

出会った頃を思い出すと笑えるほど僕を信じてやってくれていました。

ある日

「社長、あんた変わったな。昔、出会ったころは生意気で気に食わん若造やったけど、あんた変わったわ。今はな、あんたの事を本当に『社長』ってそう呼べるわ」

「何が変わったん?」

「思いやり」


そして、数々降り注ぐ無理難題をやり遂げてくれたオッサンに

「うちの家建てよう思ってんねん。オッサンやってくれるやろ」

やっと、僕もこの言葉が言えるようになりました。

そして、一昨年年末、これまた難しい家でしたが、オッサンの力で作り上げることができました。



そして、去年、病気で倒れ、入院することとなりました。



一度退院したとき、年末まで、うちの会社の物件だけは現場に出向き檄を飛ばしていました。

僕の現場で本当にピンチが何度もやってきたこの時期

このオッサンが僕を助けてくれました。



病院で面会不可の中、何とか会わせてもらったとき

僕は知りました。


今しかないという直感。


これまで言った事の無い、オッサンへの礼

これまで明かしたことのない、オッサンへの賛辞

これまで、僕と一緒に生きてくれた感謝

もう、口をきく事すら適わないから、その手を握り

伝えきれない想いを打ち明けました。

涙をうかべたオッサンの目に



「こんなベッドでくたばるのが大工の本分か?さっさと戻ってこい!」


その言葉が最後となり

2月9日朝

西原 一男という昭和の名工は旅立って行きました。




葬儀は家族のみで行われ

届けたかった最後の言葉は、冬の空に。

オッサン

ありがとう。

あんたがおらんかったら僕はやって来れんかった。

あんたが育てた瀬崎くんも菅谷くんも最高の大工になったよ。

そして、西原一男、あんたは最高の棟梁やったで。

「社長あんたの所の仕事はどんなことがあってもやったる」

あんたホンマに忌の際でも、最後の最後まで男の約束守ってくれたんやな。


僕にできること

さよならは言わない

あんたは僕の心で永遠に生き、そして今度は僕があんたに男の約束守るということ

今は暫くの別れということ。







あほたれ 〜男の約束〜

今から15年ほど前

一時期、小さい工務店で働いている頃

ある現場で、ライオンのように吠える小さな棟梁と出会った。

こっちは設計上の理由があるので現場で、その棟梁に

「この梁に小梁をこう掛けて、階段で頭当らないように…」と言うと

「何やと!おい、若造、ええ加減にせいよ!大工なめのんのか!そんなんやったら、ここが具合悪いやないか!」

ライオンのように吠えながら、僕に食って掛かってきました。

当然、言い争いになり

「何や!あのオッサン!!」と、事ある度に言い争いやぶつかり合いがありました。

そんな中、僕はある3階建住宅を設計し、工事をすることになりました。

その設計は簡単に言うと長方形のグリッドをすべて45°ベースに変え、

フランク ロイド ライトよろしく、八角形や菱形のグリッド
で作られたものでした。

この複雑極まりない構造の木造3階建を、この腹立つオッサンが担当することに。

果たして、この建物の建て方になりましたが、やっぱりこのオッサン

「あほたれ~!誰じゃぃ!こんな訳分からん家設計した奴はー!」


そりゃそうです。当時の木造プレカット技術では45°に振りながら梁にかかる小梁や、柱に4本以上集合してくる梁の「仕口」の加工ができないため

工場が愚かにも「長めの材に仕口」を作ってきたのです。

そんなもの来ても骨組みが組める訳がなく、当然工事はストップ。

大変なことになりました。


しかし、そのオッサンは大工達に指示を出し、現場でこのややこしい建物の仕口をすべて削り、時間はかかりましたが上棟させたのです。

それだけでも怒り心頭のオッサンは、2階の階段脇小梁の仕口が割れているのを僕に直せと言われたとき

「ええ加減にせい!この若造がー!!そんなもんでけるかー!」

とライオンのように怒鳴り、また喧嘩に。

「割れた部材があるなら残った部分に、こういう銘柄のエポキシ樹脂接着剤を入れてその上から合板を打ち付けてくれ」

「あほたれ!そのエポなんちゅう奴とか知らんわい!そんなもんでこれが直るかい!」

「あほはお前じゃ!ごちゃごちゃ言わんと、言われたことやれ!」

「いややらん!「いややれ!」

と押し問答の末、周りになだめられて僕の指摘した方法でやってみることになりました。

その後、現場へいくと、そのライオンのオッサンが近寄ってきて

「あんな、あんたの言う通りにやったらな、恐ろしい固まって全然動かん。へたしたら、元の木より強いかもしれん。あれ、どうなってんねんや?」

「オッサン、エポキシちゅうんは分子結合…いや、割れたもんも元に戻す力がある接着剤なんや。だだ木の繊維…いや木目の切断までは復元できんから直角に交わる方向から合板を張った。つまり、元の木の傷口に木目を付けて太らせたようなもんや」

「はぁ~!理屈は何とのう分かった。つまり、骨折れたとこは直ったとこの方が強いっちゅう理屈やな。

「まぁ、そういうこっちゃ」

「得心いった!」

口も悪く、態度もわるいオッサンだか、新しいことを直に受け入れ、そして頭の回転は悪くない。

この日を境に、オッサンは僕に急に怒鳴ってくる事はなくなりました。



そして、その後独立し、僕は今の会社を作ることになりました。

~つづく~