~資地計築~ 建築デザイン 木下 稔 -125ページ目

僕に宿る基本 〜探し物は忘れ物〜

今から遡る事29年前の1982年

高校生だった僕は、学校のクラブには入らず

「誰も知らない(やっていない)スポーツ」をやろうと思い

当時、本当に誰も知らない「跆拳道」という武道を見つけ

左膝蓋骨靭帯裂断で辞めることになる高校3年まで

毎日、12kmの道のりを自転車で道場に通い練習してました。

夕方6時に着いた道場は古びたビルの2階で、夏は西日で40℃を超える暑さの中

一人、雑巾がけをしていたことを思い出します。

今は何処にいらっしゃるか分からない「クレモト師範」

現在のテコンドーでは防具を付け、手足にガードを付けて随分安全になりましたが

当時の跆拳道は防具無しでの練習。

キョルギ(組手)の際、3年間一度もクレモト師範に蹴りを当てることが出来ませんでした。

その反面、気を失うほどの蹴りを死ぬ程喰らい、いつも体中がアザだらけでした。

急に天地が逆になったな~と思ったら

オリグル・アットラチャギ(顔面回し蹴り)を喰らい、床に転がっていた、なんて思い出はざらにあります。

この3年間で教えられたのは

「基本」のみ

キョルギに使うコンビネーションなどは全く教えられず

(型の練習に使う)基本蹴りばかりでした。

あとは、実戦あるのみで

つまりクレモト師範に蹴りまくられる日々。

このクレモト師範がカウンター蹴りが上手く

特にカウンターのティッチャギ(後ろ蹴り)とヨッチャギ(足刀蹴り)は、まさに死ぬ程上手で

防具の無い生身の体に、自分の体重が乗った分+キックで

よく、揉んどり打って床に転がったものでした。

基本ばっかりと

天才的なカウンターキックを生身で喰らい続ける3年間は

跆拳道とは関係ない膝の怪我で

突然終わる事になりました。

その後、この道場も突然解散することとなり、あれほどお世話になったクレモト師範とは

お礼を申し上げることなく行方知れずとなりました。

僕は今も、クレモト師範にいつかあの時言えなかったお礼が言いたいと思い続けています。



今日、融心館でテコンドーの練習に参加しました。

42歳から再開したテコンドーはゼロからどころかマイナスからのスタート

29年前の少年からは

想像も出来ないほど跡形も無いボロボロの中年の体を引きずりながら

何とか3年続けることが出来ました。

それでも僕が今やっているテコンドーと跆拳道は違うものとなっており

跆拳道をやっていた16歳と、もちろんテコンドーをやる45歳の肉体は全く別人。

既に昔の事は今のテコンドーに役立つことがありません。

しかしながら、今日の練習でサドンデスマッチのキョルギを行った時

スタミナの無い中年の僕がハヤテくんに追いつめられ絶体絶命。

その時、彼が放った蹴りに合わせて無意識に体が動きカウンター・ティッチャギが出て

結局は負けたのですが、ハヤテくんがうずくまり動けなくなる程の蹴りを当てるという事がありました。

死ぬ程喰らったカウンター

明けても暮れてもやった基本蹴り

どれも現在の僕のテコンドーで役立つことがありませんでしたが

今日、クレモト師範に体をもって教わったことが

30年近くたって僕の中から出て来ました。

基本はウソをつかない

努力はいつか報われる

体に染込んだ汗は失われない

僕に宿る基本が今日、クレモト師範を思い出させました。

いつか、あの時のお礼を言いたい

その想いも一緒に思い出させました。

僕が探すもの

青春の忘れ物





世界で頑張る人に

6月30日の夜遅く、一つのニュースが飛び込んで来た。

僕が所属しているテコンドー道場「融心館」で

有望選手としてストイックに鍛え続けていた「中川貴哉くん」

オリンピック予選会で3回戦まで戦ったとのこと。

ニュースに書かれていない内容としては、54人からの選手が出場し、世界ランキング25位のロシアを倒し

世界ランキング10位のドミニカに負けたが、ベスト16に入ったそうです。

彼はテコンドー部の無い大阪体育大学に進学し、自らの力で世界を目指して来て

あと少しの所に来ています。

練習の時、相手をしてもらう時は、いつもは感じた事がないほどの

「抜き身の真剣勝負」

を、こんな僕でさえ覚える凄まじい気合いです。

過去記事を見てもらえば分かりますが

電光石火、光速の蹴りで道場端までズササーッと吹っ飛ばされ

天地がひっくり返ったかと錯覚する、カマイタチのような顔面キックでぶっ倒れたことのある僕には

たった数行のニュースでしたが

「世界で頑張る」というスケールと

孤独に

えも言えぬ感情が沸き上がっています。

僕にできること

世界で頑張っている人に習って、今日は融心館でテコンドー


HABITA200年住宅 〜鳥取県初と再生可能〜

鳥取県で初となる「HABITA」

超長期優良住宅の先導的モデル事業となったこの家は
~資地計築~ 建築デザイン 木下 稔
200万円の補助が出る事業付き分譲住宅となりました。


~資地計築~ 建築デザイン 木下 稔
現在、順調に工事も進み

~資地計築~ 建築デザイン 木下 稔

~資地計築~ 建築デザイン 木下 稔
ムクの床材を丁寧に施工中。

そして

再生可能エネルギー太陽光発電
装置も標準装備。

4.75kwの発電装置を設定しているので、現在の売電価格と鳥取県の標準的年間日照時間をかけると

年間30万円ほどの剰余金が出る計算です。

月/約25000円

下手したら住宅ローンを780万円ほど太陽光が返してくれる計算となります。

この家の公式発表は7月末を予定、さまざまなイベントも計画中です。

ところで、このHABITAの現場監督のマツモトさん

手先が器用で
~資地計築~ 建築デザイン 木下 稔
現場に落ちていた、いわゆるゴミとなる釘打機の釘を留めるベルトと

使い捨てレンチや結束バンドなどを使い、作ったのは

「ムカデ」

~資地計築~ 建築デザイン 木下 稔

非常に良く出来ています。

これから、時々、現場のゴミを使い何か作ってもらおうと思っています。

僕らにできること

電気だけじゃないぞ、再生可能