辞書的意味と日常的に使っている苦労という意味に少し乖離が
あるように感じる。
辞書的意味にはあまり人の思いというか感情が薄く感じる。
一方、日常で会話として聞く苦労とはもう少し重いというか
軽くても重く感じるように言っているような気がする。
私は日常的に多くの人が使っているという意味での苦労をした
覚えは無い。
何をもってみなさんが「苦労、苦労」って言っているのか
分からないんです。
辞書的意味としては精神的・肉体的に大変なことをした
というのなら経験はもちろんありますが、それが苦労?って
思うのです。
感覚としてそれが苦労に該当するとは思っていないんです。
生きていれば当たり前で、何かすれば当たり前なことなので
それを苦労なんて感じないってことです。
当たりまなことで、それを苦労という単語に結び付かない
心の持ち主なのかも知れません。
「手こずった」とか「大変だった」は言ったり思ったりします。
でも「苦労した」とは思っていないから言わないです。
ある意味「苦労した」なんてことをよく言う人はアピール癖
なんじゃないですか?
だって何かを真剣にやれば大変とか辛いとか面倒とかって当たり前
じゃん。
それをいちいち苦労なんて思っていたらやってられないでしょ。
って思うんですけど、やってられるってことは本当は思っていない
んじゃないかなとも思う。
軽く挨拶程度の感覚で使ってしまっているだけ?
それでも辞書的意味としては使い方を間違っているわけではない。
なんか、しっくりしない「苦労」です。