今テレビで見ているのは大瀧詠一作品集で、ちょうど松田聖子の

冬の妖精がかかっている。

 

「風立ちぬ」ってアルバムの曲なんだけど、このアルバムの

CDを2枚持っている。

なぜかって、別に聞く用とか保存用って感じではなくて

初期物があとから見つけたので買い足したってことだ。

知っている人は知っているが、35DHって規格番号があるんだけど

そのゴールドディスクはいい音なんだよね。

のちのものたちより録音ボリュームが小さいので音がよくないって

思っている人もいるかも知れないが、まったくその逆だ。

ボリュームを上げて聞けばわかる。

 

この「風立ちぬ」ってアルバムは松田聖子であり大瀧詠一でもある。

「一千一秒物語」は感動したね。(今ちょうど流れている)

 

ナイアガラからソロ、楽曲提供と多才ぶりを余すことなく発揮した

人でした。

 

 

 

夏の一張羅的ファッション。

 

だいたい高校生の頃から23くらいまでの夏は

このパターンがほとんど。

 

ほとんどと書いたのは、たまにアロハシャツや

ボーリングシャツの時があったからだ。

 

こんなことを思い出したのも、今もたいして変わらないと

ふと思ったからだ。

白T(無地)にデニム、コンバースではなくトレッキングシューズ

となっているが、まあほぼほぼ変わっていないなぁと。

ボーリングシャツは着なくなったけど、アロハは今もたまに

着るしね。

 

車も全然昔とは違うけど、燃費が似ているって実感している。

つまり、現代的には良くないってことだけど、それすらも

なんとなく懐かしいんだよね。

燃費が悪いのは嫌だけど、悪い気はしないって変な感覚。

 

多少暑くても窓開けて車で走るのってなんかいいんだよね。

ちょっと大きめの音でお気に入りを聞いてさ。

 

物価上昇やら言いたいことも言えない世の中になってしまった

けどさ、上記のように服装も含め車で走っていると

心は自由って感じがしていいんだよね、これが。

 

 

 

「かつや」の客離れが顕著らしいのだが

私はかつ丼が500円を超えてから行かなくなった。

理由としてはメリットが無いからだ。

(ワンコインで・・・、なんてのは関係ない)

 

私の考えるメリットとは

ああいう形態の店は安さが最優先となる。

だからいろんなことに目をつむる。

商品の味や見た目、店の作りや実際に客がいるときの

店内の雰囲気やテーブルや椅子や床の清潔感。

ほかにも、店員の接客などなど多くを低価格を理由に

目をつむる。(とはいっても限界はありますよ)

 

はっきり言ってそれ以外何があるというのか?

ほかの店と比べて半分以下の予算で済むから行くのであって

それ以上となれば行く価値は無いのだ。

ああいうところでビックリするくらいお金を使っている

人がいるが、それならもっといいところに行ったほうが

いいだろうにって、そういう客を見ながら思っていた。

 

肉系で厄介なのが「成形肉」の存在だ。

安い価格で提供する店は特にそうだ。

このご時世、安く提供するには表立って言えない理由が

必ずある。

客が喜びそうな謳い文句は言っても、「え~」ってなる

ことは言わない。

その証拠に、「うちは成形肉を使っています」って

肉料理を提供する店見聞きしたことありますか?

私はありません。

でも実際使っている店は存在します。

 

「やわらかくておいしい」なんて言ってよい肉を食べている

ように感じている人は意外と多いかも。

それ成形肉ですよって知ったら悲しいだろうな~。

そんなことは構わないって人ならいいんですけどね。

 

それにしても、掘っ建て小屋みたいな建物で少人数のバイト

だけでお粗末な料理を提供する店に沢山のお金は使えない。

どうせ使うならちゃんとしたところで使いたい。

今時私の地域なら客単価が1500円以下(ランチの場合で)の

店ではダメだね、残ながら。

1500円ってけっこうなのにね。

2000円でもちゃんとしていないところもあるし。

物価も高いけどさ、客をナメ過ぎた結果じゃないの?

「これくらいでいいだろう」って。

商品も人材も客に対して真摯ではないところが多い。

 

コストはとっても重要なことですが、客と真摯に向き合えなく

なったら衰退の一途しかなくなってしまうような気がしますけどね。

いろんな店でそれを感じます。

 

 

こうやって遅くまで起きているとふと思う。

そいえば、テレビの砂嵐見なくなったなぁって。

 

いろんな業種で年中無休ってある。

昔みたいに正月三が日は外に行っても店屋がどこも

やっていないってことはなくなりました。

 

便利ではあるけど、今思えばエンドレスのものが多いと

なんか疲れる。

不便でもちゃんと区切りはあった方がいいように思える。

 

今はたまたま労働環境等の問題で正月は休むとか

24時間営業を止めた会社とかもあるけど、そういことではなくて

世の中全体として止まるというか、自分が行動するか

どうかは別として、行動したからって世の中は止まっている

みたいな感じのこと。

 

言ってみれば街へ繰り出してみても静寂の中で自分が取り残された

ような、どこか別次元にでも迷い込んでしまった様な・・・

それも今のように携帯電話なんか持っていたら無理な気もする。

勇気をもって電源OFFして三日間とか過ごせるだろうか?

もう世の中も自分自身も区切りをつけれないのだろうか?

 

 

 

先日の「ハマダ歌謡祭」見て驚いた。

昔ちょっと遊んでいた女の子にそっくりな人が出ていた。

年齢的にはあり得ないのだが、あまりにも似ていてビックリ。

 

それは、ミュージカル女優の「豊原江理佳」って人だった。

この番組を見るまではまったく知らなかった人なのだが

30年以上の時を経てこんなにも似ている人っているんだと

驚愕した。

 

ただそれだけなんですけどね、少しくらい似ているとか

雰囲気が似ているとかならあるけど、ここまでって凄いと

しか言いようがない。