今日は飛行機の日 | 瞳 まもるのブログ

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 幼い頃、電車、飛行機の絵本を買いました。そこ
 
に載っていた中で、一番好きなのは、ボーイング
 
727でした。尾翼周辺の、あの3つの円筒形の
 
部分がお気に入りの理由でした。
 
 また、当時から、年齢を重ね、中高生になって
 
も、上空を飛んでいる飛行機に気付くと、暫く眺め
 
たものでした。
 
 小学校の修学旅行(1泊2日)の最終行先が、
 
大阪国際空港でした。記念の集合写真を撮り終
 
え、屋内のゲーム機(バスケットボールだったと思
 
います)で友達と遊んでいました。そして、遊び終
 
えた時、
 
 「あっ、しまった!」
 
ゲームに熱中するあまり、肝心の飛行機を見る
 
のを忘れていたことに気付いたのです。
 
 でも、もう、移動の時間が迫り、極僅かな時間
 
しか、見られませんでした。あんな長時間、実に
 
勿体ないことをしました。
 
 20代の頃、友人たちとの旅行中、ある空港へ。
 
そこで、やっと、飛行機をじっくり見ることができま
 
した。離着陸時の写真も撮りました。
 
 この時に、搭乗客が降りた後の機体の写真を
 
割と近くで撮ったのですが、暫くして、パイロット、
 
キャビンアテンド達が降りて来るではありません
 
か!自分の記念撮影のため、1コマだけ残して
 
いたフィルム。
 
 「ああ・・・」
 
と思っている間に、全員、姿が見えなくなりまし
 
た。これも、実に勿体ないこと。自分の写真より、
 
こちらを優先すれば良かったと、後々思えど、後
 
の祭り。
 
 実際に飛行機に乗ったのは、40代。高松ー東
 
京(羽田)間の往復です。
 
 初めて乗るのは、嬉しいことには違いありませ
 
んが、やはり、怖かったです。
 
 離陸に向け、滑走のスピードが上がる時の
 
重力は、凄かったです。
 
 水平飛行に移ってからは、まるで、応接室の
 
椅子に座っているようで、
 
 「動いている」
 
感じが全くせず、拍子抜けしました。しかも、窓際
 
の席が取れず、窓から、青い空の一部が見える
 
だけでした。
 
 帰りは、窓辺の席でしたが、夜です。真っ暗で、
 
全く、面白くありませんでした。きっと、これが、
 
僕の生涯唯一の、飛行機に乗った日になることで
 
しょう。
 
 また、小学2年生の時にテレビで見た、成田空
 
港反対住民と機動隊の衝突。自分の土地、財産
 
を腕ずくで権力により奪われるのです。
 
さらに、騒音問題もあります。飛行機に乗る時は、
 
浮かれた気分だけではなく、そういった人たちの
 
ことも、心の片隅に留めておいても良いと思うの
 
です。
 
 それは、戦前のことだったと思います。母が、
 
複葉機で、女性がサーカスをしているのを見たそ
 
うです。
 
 兄の影響で、僕も、小学校中学年位から、プラ
 
モデルを作るようになりました。兄は日本の戦闘
 
機が多かったです。僕は、特撮ヒーロー物のメカ
 
が多かったのですが、ゼロ戦なども作りました。
 
 ゼロ戦・・・言うまでもなく、アジア太平洋戦争で
 
使用された機体。多くの若い命を散らせた機体。
 
そんな、戦争の兵器を作るなど、今から思うと、
 
もっての外!過去に記しましたように、母と並んで
 
沖縄のひめゆり部隊を描いたドラマ、「慟哭の花」
 
それを見ながら、母から戦争中のことをいろいろ
 
聞き、戦争、平和への想いは、既に持っていた
 
僕。なのに、なぜ、あんな物を作って楽しんだのだ
 
ろう?
 
 これは、所謂、銀玉鉄砲(ピストル)という、殺傷
 
道具で遊んだことと共に、心の中に、拭えぬ汚点
 
として、深く刻まれています。
 
 平和憲法を持つ国日本。しかし、ベトナム戦争
 
中は、沖縄等の基地から、幾多の戦闘機が飛び
 
立ち、ベトナムの無辜の民を殺戮していた、つま
 
り、完全無欠の平和ではなく、血の跡が隠れて
 
いることは、忘れてはいけません。
 
 現在、憲法擁護義務を負う人達、憲法で縛られ
 
る立場の者たちが唱える「憲法改正」。
 
 「押し付け憲法だ」と言いますが、沖縄を始め、
 
日本各地で、我が物顔に振る舞う米軍を規定
 
している日米地位協定には、不思議な程、何一つ
 
抗議せず、唯々諾々と従い続ける、この矛盾を、
 
彼らは、何と説明するや?