今日は朗読の日 | 瞳 まもるのブログ

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人前で話すのは好き?苦手?

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 国語が大好きです。朗読も好きです。高校での
 
授業で、詩の朗読をすることがあり、担任でもある
 
先生から、良い評価を受けました。
 
 詩の朗読ということで、「詩のボクシング」につい
 
て書いてみます。
 
 僕は、朗読とは、ただ、書かれている字面をなぞ
 
るのではなく、その本質を深く理解し、それを自分
 
の心の発露として、声で表現する物と考えます。
 
 ところが、「詩のボクシング」に於ける最大の目
 
的は、
 
 「相手に勝つ」
 
となってしまっているように思えるのです。
 
 「どうだ、自分は、こんなに上手だろ?」
 
と、相手の上に立つことが土台で、たとえ、テクニ
 
ックとして、優れたものを持ち合わせていたとして
 
も、
 
 「相手に勝つ」
 
ということが頭の中にある限り、本質からずれて
 
しまっていると思うのです。詩は、自分との対話
 
であるべきで、他人との優劣を競うものではない
 
と思うのです。第一、繊細な心の岸辺に、さざ波
 
が寄せる、乾いた心に水が沁み通り、瑞々しさが
 
甦る、こういう感覚の物もあるのに、岩肌を砕くよ
 
うに波頭が打ち付ける一辺倒かの如き、
 
 「ボクシング」
 
と題してこれを行う人たちに、僕は賛同できませ
 
ん。
 
 朗読ではなく、黙読で感じたことですが、図書館
 
で、お気に入りの童話の絵本を読んだ時のこと。
 
 目で文字を追っているのではなく、声を出さない
 
だけで、心では、口を開け、朗読しているように
 
読みました。
 
 1回、読みました。そして、再び、同じ作品を読み
 
出したところ、
 
 「ここは、こう読んだ方が良いのでは?」
 
など、余計な気持ちが出てきてしまい、読んでい
 
る最中、
 
 「これでは、いけない」
 
と感じていました。第一印象、直感で読んだ方が、
 
結果として良い物になると感じました。
 
 人前で話すこと、好きではありませんが、苦手で
 
もありません。但し、言いたいことを全部言った
 
ら、世の中を生きていけません。そう考えている
 
からか、夢の中で、涙が滲むほど熱弁を振るって
 
いたことがあります。
 
 強者の一声は、か弱き立場の無数の声を、無き
 
物に等しくさせてしまいかねません。か弱き者は、
 
それでも、諦めずに声を上げ続け、いつの日か、
 
「嬉し泣き」の顔・顔・顔が広がる光景を見られる
 
日がくることを願って止みません。