昭和51(1976)年9月11日⑤ | 瞳 まもるのブログ

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    父の「その時」


  どんなに帰りたかったことでしょう。その自宅に、


 父は、無言での帰宅となってしまいました。


  兄は高1、僕は中1ですが、弟はまだ小5。


 父と過ごした年月があまりに少なく、その分、記憶も


 少ないのです。かわいそうです。弟が、大きな目に、


 涙をいっぱい溜めていたのをはっきり憶えています。


  翌日、父を火葬にするために、棺を乗せた車に


 兄弟3人乗って向かいます。後部に置かれた棺。


 僕は、


  「生き返ってくれないかな」


 と、何度も何度も振り返りました。


  到着。そして、時間がきて、父は・・・。


  この父の、最期を目撃した人がいます。


 現場は、既に土砂崩れが起きていて、その上、降り続く


 大雨。ぬかるみで、前に進むのが非常に困難でした。


  そこに、父とやや離れた上方に、もう1人、男性が、


 家路を急いでいました。


  と、突然、土石流が発生。父は、


  「助けてくれえ!」


 と叫びながら流されていったそうです。


  家族の待つ家を目指して、命がけで帰ろうとしていた


 父。そして、悲しく、無念の死。


  それなのに!


  「プロレスを見ているんだろう」


 と話していた僕たち。言葉では言い表せない気持ちです。


  あの、家に衝撃があった時、すぐに確かめていれば、


 父の勤務先に電話、父はすぐに仕事を切り上げたで


 しょう。そうすれば、あの場所で土石流に巻き込まれる


 こともなく、無事、帰宅していたはずです。


  それが、何時間も経って。悔やんでも、悔やみきれま


 せん。無言で帰宅した父の身に着けていた腕時計。


 その針は、まさに、「その時」を指して止まっていました。



  (昨日のブログを書いていた時間は、40年前の父の


   「その時」と重なっていました。いろいろ想像しました


   が、とても、想像しきれるものではありません。)