昨日(5日)は、詩人、彫刻家の高村光太郎の妻、
智恵子の命日でした。
中3の国語の時間、智恵子の最期の時の詩、
「レモン哀歌」を習いました。詩の内容よりも、
冒頭の倒置法など、表現方法に重点が置かれていた
ように記憶しています。
以来、僕の好きな詩の一つになりました。高校時代、
図書室から、黄色い表紙の「智恵子抄」を借りた事も
あります。
このレモン哀歌、島崎藤村の「初恋」、三好達治の
「雪」は暗唱できます。
でも、「レモン哀歌」は、その内容から、母がもっと
若く、健康な頃から、その姿が頭に浮かんでしまい、
意識的に、思い浮かべないようにしていました。
母は亡くなりました。やがて、胸の不安が残念な形で
消えてしまったことで、その後、時々この詩を思い
浮かべています。
光太郎が強く智恵子を愛し、智恵子もまた、光太郎を
愛し、夫婦の信頼、絆は、本当に確かなものでした。
人間にとって、最も大事なのは、地位でも名誉でも、
金銭でもなく、真実の愛だと強く認識させてくれる詩、
「レモン哀歌」、この詩に出会えて良かったです。