母とおにぎりと紅葉と | 瞳 まもるのブログ

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  コンビニのおにぎりを食べます。ほとんどが焼海苔


 の巻かれた物ですが、中には味付海苔の物もあり


 ます。その味付海苔の巻かれた物を口にした瞬間、


 いつも、母が作ってくれた弁当を思い出します。


  母のおにぎりは三角形ではなく俵型で、味付海苔


 が巻かれていました。おかずは、玉子焼き、ちくわを


 甘辛く煮たもの、赤いウィンナーなどでした。(他にも


 入っていましたが、忘れてしまいました。)


  幼稚園で、予防接種を受けるため午後まで待って


 いる日などに持って行くのは、小判型の弁当箱、箸


 共に水色のプラスチック製だったと思います。


  また、幼稚園、小学校合わせて8年間、遠足では


 いただいた折詰を洗って使用、新聞で包まれていま


 した。リュックサックは、前面下部の2つのポケットに


 「マッハGo !Go!Go!」の主人公の顔が描かれた


 物を使い続けました。


  中学に入り、リュックサックはナップサック(緑色、


 兄のお下がり)に替わりましたが、折詰、新聞紙は


 替わりませんでした。


  小学生の頃は、この弁当が大好きで、何でもない


 日なのに、弟と一緒に、「弁当を作って」とせがみ、


 作ってもらった事も何度かあります。


  その弁当も、中3まで、修学旅行初日の昼食が


 最後でした。高校に入り、半透明のプラスチック製


 の弁当箱、中身も、年齢相応の物になりました。


 そして、高校卒業と共に、母の作った弁当を食べる


 事はなくなりました。


  今、紅葉が見事です。これもまた、母を思い出させ


 ます。


  13年前、紅葉を見に、弟の車で、母、弟、僕の


 3人で寒霞渓へ出かけました。そこまでの道中も


 きれいですが、寒霞渓頂上は絶景でそれは美しかっ


 たです。


  ここで、記念写真を撮ろうかと思いましたが、「これ


 が遺影になってしまうと困る」と思い、迷った挙句、


 撮影はしませんでした。


  翌年も出かけましたが、やはり写真は撮りません


 でした。ただし、風景写真はたくさん撮り、出来上がっ


 た物を母と並んで見ました。

 

  後に、時々母が、寒霞渓の紅葉の話題を口にする


 事がありました。「思い出に残っているんだろうな、


 もっと何回も行きたかったのかな」と思いました。


  7年前の8月、暑い盛り、母は入院しました。兄弟


 3人、毎日見舞いに行きました。


  秋、病室の大きな窓からは、山の実に美しい紅葉


 が見えました。この時、母は、3人で行った寒霞渓を


 思い出していたかもしれません。寂しく、退屈な病室


 で。


  そして、12月を迎えます・・・。