を書いていたときに、
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仕事を辞めること、キャリアを継続できないことへの
不安、不満、さみしさ、屈辱感、、
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って書いてて、
自分で、
屈辱感 って・・・ なんかコワッッ![]()
ってなったんです。
書くのやめようかなって1回消しました![]()
でもね、
やっぱり、この感情があったんです。
パートナーとしてお互いが自立した中で
家族を作ろうって
してきたのに、
結局、私のキャリアは軽んじられてるのかー![]()
![]()
って。
でも、この感情があることを、最初は気がつきませんでした。
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発覚したのは、私が台湾での生活を始めて1ヶ月たったとき。
その夜、私は、夫に(娘もいる前で…)
「(夫)は、いつも私のことをバカにしてるんだよー
」
って泣きました![]()
![]()
きっかけは、私が始めた中国語の勉強のことで、
習ったことを夫に伝えたときに、
「ちょっとニュアンスが違うな」
みたいな指摘を受けた。
・・・という、けっこう些細なこと。
でも、ほんと、吹き出したように涙が止まりませんでした![]()
そのあと、子どもを寝かせて、夫と改めて話をしたときに、
「あー、仕事を辞めるという行為の中で、
自分のキャリア(いや、私自身?!)を軽んじられた
という屈辱感をどこかで感じていたんだな」
と気がつきました。
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そして、この感情が出たことのある他の場面が蘇ってきました。
それは、第1子が生まれて、我が家でも保険を見直そうってことになり、
夫が保険相談に行ったときのこと。
私は3回目くらいの訪問のときに付いて行きました。
そのときに、営業の方が見積りを提示したのですが、
夫の補償額が私に比べて圧倒的に高かったんです。
「旦那様の死亡保険、働けなくなったときの保険はしっかりしておかないとですね。
奥様はお子さんの成長とともにお仕事を辞められたり、変更したりということが
あるかもしれませんしね」
って、言われたんです。
「うちは、共働きです。仕事が続けられない可能性も半々です!」
って、思わずムキになって言ってしまいました![]()
大人げない…![]()
このときも、「対等に扱ってもらえなかった。軽んじられた」
と感じたような記憶があります。
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こんなふうに、
何かモヤモヤ・ザワザワしていた私の心の一部に
名前がついたことで、
同じような出来事が思い起こされてきました。
また、渡航準備期間であった2年間のあいだでも、
心が落ち込むときに感じていた「声にならなかった声」は
この感情に近かったことをふと思い出したりしました。
そうやって、このモヤモヤの一部に名前がついたことで
少し気持ちが和らいだ気がしました。
何に当たればいいかもわからず、
何がしたいのかもわからず、
な感情に、
「屈辱感」
という名前がついたことで、
飼い方を考えられるようになりました。
私は、
自分のキャリアを大事にされていない、軽んじられている
ということが嫌だった。悲しかったんだと。
夫と横に並んでパートナーとして歩みたいと思っていたし、
お互いがそう思っていると信じていた
ということが、私のありたい姿なんだけれど、
今がそうじゃないと感じていることが嫌だった。悲しかったんだと。
そうすると、
仕事を辞めるという行為
でモヤモヤ、ザワザワしていた私の心に対して、
「仕事があるかないか」
ではないところで、解決できることがあるなって、思うことができるようになってきました![]()
仕事を辞めるという行為
は、駐在妻の方だと、自分で決断したとはいえ、
「予期せぬ転機」
であることが多いですよね。
そんな行為に対して、いろいろな感情が絡み合っている状態は、まるでパズルのよう。
モヤモヤ、ザワザワする感情に名前をつけていく作業は、
箱から出したパズルを、
まずはすべて表に向けてあそぶ準備をする
ことと、すこし似ているのかななんて思いました![]()
